第168話 初回授業
一週間の履修登録期間が終わり、ついに今日から授業が始まる。カリキュラムで定められた中から興味のある授業を自分で選べるので、要らない授業をあまり取らなくても良いのが嬉しい。
俺は前世では高校在学中に死んでしまったので、残念なことに大学には行っていない。魔法学院は高校と大学の中間のような教育機関なので、実質的にこれが俺の大学デビューとなる訳だ。だから俺はこの日が楽しみで楽しみで仕方がなかった。
「ハル君、随分とご機嫌ね」
「そりゃあもうね! 待ちに待った学院生活がスタートする訳だからね。興奮を抑えろと言われても無理というものですよ」
「私も本来なら学院に入学するなんて夢のまた夢でありましたからね。気持ちはわかるであります」
そう言いながらニマニマ笑っているメイ。彼女の家は今でこそ皇国にその名を轟かす大工房のオーナーだが、ほんの十年ほど前までは地方都市の一鍛冶屋でしかなかった訳だ。当然、魔法学院に進学するだなんて選択肢は存在しなかっただろうし、そんな
「まあメイの場合は特待生制度を使えば余裕で入学できただろうけどな……」
彼女の才覚は本物だ。たとえ俺と出会っていなかった世界線においても、自力で奨学金を獲得して進学していたことだろう。
「というか、そもそも地方の鍛冶師の娘が学院に進学するという発想が無いんであります。普通なら、鍛冶師の娘は鍛冶の修行に励む以外に道なんて無いですから」
言われてみればその通りかもしれない。この世界において親の職業が子供の将来に与える影響は、現代日本と比べたらやはり想像以上に大きいのだろう。もっとも、江戸時代の日本や中世ヨーロッパと比べたらはるかにマシではあるのだろうが。
「いずれにせよ、私はハル殿と出会えて本当に良かったであります。私は幸せ者です」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」
「ちょっと、私は?」
「もちろんリリー殿も、であります!」
「ふふ」
出会ったばかりの頃は険悪な雰囲気になることもあった彼女達だが、今ではすっかり親友ポジに落ち着いていた。幼い頃からの二人を知る俺からすれば感慨深いものがある。たとえ
「それにしても、ハル君が張り切りすぎたおかげでまだホームルーム開始まで時間があり余っているわね」
「いやー、張り切りすぎた」
ホームルームの開始時刻は前世の日本の一般的な中学や高校よりはやや遅く、朝9時だ。大学ならあるいはそのくらいが普通かもしれないが、例によって俺は高校すら卒業せず没したので、あいにくとキャンパスライフの詳細は知らない。
「奇遇なことに一限は皆一緒な訳だし、校内散策でもして暇を潰そうか」
「奇遇も何も、皆で一緒に履修組んだんだから当たり前じゃないの……」
「探検でありますな!」
そうして、皇都中心部というハチャメチャに地価の高い好立地に所在しているにもかかわらずやったら広い敷地を誇る我が皇立魔法学院の施設を探索しつつ、俺達はホームルームが始まるまでの時間を潰すのであった。
✳︎
「では講義を始める」
一限の講義は、現代魔法学・概論の授業であった。
皇国黎明期の偉大な学者達が残した著作や研究資料をもとに、この学院の創設者であり、皇国中興の祖と呼ばれる七賢人を中心とした魔法学者達が体系的に理論を構築したことで生まれた魔法学。
それまで神秘に包まれ、漠然とした法則しか知られていなかった魔法から「魔法学」という概念が生み出されたことによって、皇国の魔法界は飛躍的な発展を遂げる。
国力の規模もさることながら、皇国が政治的にも軍事的にも超大国として君臨できている幸運に寄与している要素の最たるものが、この魔法学の発展であった。
現代魔法学――別名・現代魔法理論は、その最先端ともいえる学問なのだ。
「――――であるからして、この部分の魔法式が前項の魔法式と重複していることが、この多重連立魔法の発動を妨げる要因である。それでは彼の高名な魔法学者にして偉大なる魔導師であるガイウス・ルクレティウスは、これをどのようにして解決せしめたか。ベルンシュタイン学生、答えなさい」
「はい。該当する魔法式と同じか、あるいは近い作用を持つ古代魔法文字と置き換えることで式の重複と矛盾を解消しました」
「よろしい。ではファーレンハイト学生、この古代魔法文字との置換によって考案された新しい魔法的技法は何か」
「はい。詠唱短縮、ならびに詠唱破棄です」
「うむ。……以上のように、古代魔法文明の遺産を活用し、魔人による支配によって断絶していた歴史上の魔法学の流れを繋げたことによって、魔法学は大いにその可能性を広げたのだ。……それではこれで本日の講義を終了する」
気難しそうな初老の教授がそう言って広辞苑ばりに分厚い本をパタムと閉じ、教室を去る。後にはびっしりとチョークの文字で埋め尽くされて真っ白になった黒板と、殺気立った学生達が残された。
教授が教室を出た途端、張り詰めた教室内の空気が弛緩する。ペンでガリガリとノートを引っ掻く音が止み、
「……れ、レベル
「当てられた時、心臓止まるかと思ったわ……」
「確かになかなか密度の高い講義でありましたね」
メイがそんなことを言って肩をぐるぐる回しているが、要するに今の講義はメイをしてそこまで言わせるくらいのハイレベルな講義だったということだ。大半の学生が板書とメモを取るだけで精一杯な様子がありありと伝わってくる。端っこの方に座っているヴェルナーに至っては、ペンをぷるぷる震わせての顔面蒼白状態だ。
「肩が凝ったであります」
「胸がでかいからな」
「えい」
「いぎゃあッッ!」
俺のセクハラに対して、恐ろしい道具を持ち出してきて反撃するメイ。この学院が危険物持ち込み禁止でないことが実に悔やまれる。魔法学院のカリキュラムには実技の演習もあるので、武器の持ち込みが許可されているのだ。おかげで過去には構内で殺傷事件が起こったこともあると聞いている。実に恐ろしい限りである。
だがまあ、メイの肩が凝ったのは講義がキツかったからというよりは、胸が大きいから、の方が正しいだろう。それだけ立派なものを彼女はお持ちだ。
「あとで一緒に復習しましょ」
「そうだな……」
「実は私もちょっと怪しいところがあるので、助かるであります」
なるほどな。こりゃあ四年で卒業が難しいと言われる訳だ……。
魔法学院の卒業率は、実は100%ではない。さらに言えば、留年しないでストレートに卒業できる確率もそれほど高い数字では無いのだ。
理由は簡単。あまりに進級の基準が厳しいからである。厳密に言えば全単位の6〜7割を順当に取れていれば進級も卒業も可能なのだが、その6割を取るのがかなり難しいのだ。あの超絶難関な入学試験をパスしてもその数字なのだから、いかに魔法学院の教育のレベルが高いかが窺えるというものだ。
「俺の魔法学院での目標は四年で卒業することだ!」
「首席が随分と情けない目標を掲げたわね」
「よく言えば謙虚でありますな」
入試成績トップ陣がこんなことを言っていて良いのかという自責の念はあったものの、初っ端からこんなハイレベルな講義を受けてしまったせいで、一気に自信を喪失するという洗礼を受けた俺であった。
魔法哲学研究会の皆は、ああ見えてストレートに進級しているエリートだったんだな……。
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