第125話 ジャバウォック

 次の日。俺の『アクティブ・ソナー・アラーム』とオスカーの『種火結界』を二重にかけた上で簡易野営ハウスに閉じこもっていた俺達は、一度も魔物に睡眠を妨害されることなく朝を迎えることができた。備え付けのシャワーとベッドのおかげでおよそ野営中とは思えないほどの快眠を得られたので、朝から体力は万全だ。


「うむ、気分爽快!」

「これが野営中とはなぁ……」

「思えないよね……」


 だが、心地よい睡眠を嫌う人がいよう筈もないので全く問題はない!


「確かにいざという時のために野営の辛さやノウハウを学んでおくのは必要だが、それはそれとして無駄に消耗などしない方が絶対に作戦行動の質は向上するのだ。現場の人間に我慢だけ強いて設備や補給を軽んじることは断じて罷りならんのである!」

「それ論文して軍に提出しろよ」

「それ冒険者なり軍人なり、野外で活動する人なら皆が思ってることだよね……」


 まあ現実には技術的・資金的な問題が山積みなのでそう上手くはいかないのだが、あくまで理想論として目標を具体的に設定することは大切だからな。机上の空論と一笑に付すなかれ。それを目指さない上層部など何の存在価値もないのである。


「マリーさんはその辺に理解あるから、こうやって黙認してくれてるのかもね」

「そもそもエーベルハルトに関しては冒険者生活が長いから、今更訓練する必要が無いってのもあるよな」

「それもそうか」


 自分達がズルすることを無理矢理正当化しつつ、俺達は朝食の準備を始める。綺麗な天然水をインベントリの中に大量に保存してあるので、その水を用いてスープを作ったり、紅茶を作ったりして朝のまったりとしたひと時を過ごす。


「魔の森なのに……まったり?」

「規格外が一人いるだけでこんなに楽になるんだね」


 魔の森は皇国三大難所。最低でもBランクの実力がなければ立ち入ることすら難しい危険地帯だ。だがAランクほどあればギリギリ単独での行動が可能だし、そのくらいの人間が複数人でまとまって行動すれば色々と役割を分担できるので消耗も少なくて済む。おそらく、今回修行に参加できずに魔の森からの撤退を余儀なくされた人達でも何人かでまとまって班行動をしていればもう何割かは中心部にまで辿り着けた筈だ。


「こうやって班行動してるのは大きいと思うよ」

「そうだなぁ。一人の時に比べて負担がだいぶ小さいぜ」

「冒険者や軍隊でも絶対にパーティを組めって言われる理由がわかった気がするよ」


 こういう気付きを与えてくれる修行カリキュラムを次々と組めるマリーさんは、凄い魔法士であると同時に凄い教育者でもある訳だ。彼女一人でどのくらい皇国に貢献してるのか、考えるだけで空恐ろしいものがあるな。


 まったりしつつ、俺は卵のタマちゃんに魔力を注ぐ。朝魔力ごはんと夜魔力ごはんだけでいいのは楽で助かるが、地味に笑えない量の魔力を持っていかれるのでこういう修行の時はちょっとした不確定要素の一つだ。とは言っても俺の魔力量は最近さらに成長して現在6万ほどはあるので、そこまで深刻な問題ではないのだが。

 それと不思議なことに、卵はまだ生まれてないからなのか「生物は収納不可能」の基準に引っかからず、何故かインベントリに入れることが可能なのだ。インベントリの中に入れている限りはタマちゃんに危険が及ぶこともないので、安心して演習に連れて行けるということである。


 さあ、俺達の朝食もタマちゃんの朝食も共に済ませたことだし、そろそろ出発するとしよう。


「さて、そろそろ行こうか」

「おう。本日の調子もバッチリだぜ」

「おれもしっかり休息が取れたから意識が冴えてるよ。危険察知と斥候なら任せてよ」


 オスカーが指からボボボッとガスバーナーのように火を噴射し、マルクスが工作用万能ナイフを構えながら言う。二人とも準備は万端のようだ。


「よし、では出発だ」


 簡易野営ハウスをはじめとする諸々の野営グッズをインベントリに仕舞い、俺達は出発する。さあ、今日こそジャバウォックを発見するぞ。



     ✳︎



「なんだか昨日よりも魔物の数が少なくないか?」

「そうだなぁ。確かに今日は『パッシブ・ソナー』に引っかかる魔物の数が昨日の3割減くらいだ」

「……おれ、ちょっと偵察に出てくるよ。二人とも物陰に隠れていてくれるかな」

「おう、頼む」

「あ、マルクス。これを持っていって」

「これは?」


 俺はマルクスに小粒の魔石が埋め込まれたチタン製の指輪を渡す。


「これは『通信』の魔法が付与されてる通信魔道具だよ。俺がいつも使ってるヤツの廉価版だけど、数十キロ程度なら問題なく通信できるから異変を感じたらすぐにそれで報告してくれ。その指輪を頼りにそっちの位置情報を特定することもできるから、怪しい反応を見つけたら報告してくれるだけで俺達はそっちに向かえる」

「……こりゃまた随分と貴重なものを。通信魔道具なんて皇国軍の偵察部隊でも貴重品扱いだよ。親戚の叔父さんが偵察部隊にいるから聞いたことあるんだ。……ああ、これは機密情報だから内緒で頼むよ」

「特魔師団の俺にそれを言うか? ……あと、それを作ったのは俺とメイ……俺の幼なじみだからね。手間賃を度外視して考えれば、実質一つ数千エル程度だよ」

「なんてこった! このシンギュラリティめ!」


 人を特異点シンギュラリティ扱いとは、一体俺を何だと思ってるんだ。真の特異点はメイル・アーレンダールというレオナルド・ダ・ヴィンチもびっくりの超天才鍛冶師である。もはや鍛冶という領域に留まっている気がまったくしないのが難点だが、一応身分だけを考えればメイは鍛冶職人だ。士農工商の工である。


「じゃあ行ってくるよ」

「おう、気を付けろよ」

「頼りにしてるよ」

「う、うん。まあ無理しない程度に頑張るよ」


 マルクスの斥候としての戦力はこの中の誰よりも高い。それはこれまでの訓練と昨日一日でしっかりと証明されている。マルクスなら何かしらの成果を挙げてくれるだろう。仲間に期待されても変に気負うことなく自分の限界をしっかりと見極めて行動できる点も評価できるポイントだ。


 俺達が見送り、マルクスは茂みの向こうへと消えてゆく。俺とオスカーはしばらくこのまま待ちぼうけだ。


「マルクスが偵察に出ている間に俺達は少し休んでおこう。何があるかわからんし」

「そうだな。昨日より魔物の数が少ないとはいえ、消耗がない訳じゃねーもんな」




 手頃な倒木や木の根っこに腰を下ろしつつ、待つこと約30分。

 俺の持つ通信魔道具に反応があった。


「マルクス?」

「大変だよエーベルハルト!」

「マルクス、どうしたの。何があったのさ」

「魔物が……魔物を襲ってる!」


 思わず俺とオスカーは顔を見合わせる。

 魔物が魔物を襲うことが珍しい――からではない。そのような場面は、そこそこ頻繁に目にする光景だからだ。魔物とて動物の亜種。半分は魔力みたいなものとはいえ、それは言い換えればもう半分は動物ということだ。動物ならば、自分以外の他の生き物を食べることでしか生存は難しいだろう。

 だからこそ、俺とオスカーは不思議に思ったのだ。マルクスとて、ここに来る前は地元で冒険者をしていた身。そのような知識など当たり前のように持っていなければおかしい。つまりマルクスが目にしている光景は、およそ普通に見られる光景からはかけ離れている……ということだ。

 そして魔物が魔物を襲う場面として考えられる可能性はそこまで多くない。

 すなわち。


「「――ジャバウォック!!」」


 ジャバウォックはその身に狂ったような破壊衝動と殺戮への飢えを宿している。つまり、他の魔物に見られるような捕食活動ではない、完全なる殺戮のためだけの襲撃が今、マルクスの眼前で行われているということだ。


「マルクス! 今そっちに向かう。目標の戦力が不確定な以上、何が起こるかわからない。お前は俺達が来るまで隠れてやりすごせ!」

「わ、わかった」


 マルクスの技量なら見つかることはないだろう。だが同時にそれはジャバウォックにいつ逃げられるかわからないということだ。地上や空中タイプの魔物が原型になっているならいい。俺達でも……空中なら最悪俺だけでも追跡が可能だ。だがもしジャバウォックの元になった魔物が地中タイプや水中タイプであったら、俺達にジャバウォックを追跡する手段は無い。


「急ぐぞっ」

「おう!」


 俺は『纏衣まとい』を、オスカーは『身体強化』を発動して魔の森をダッシュで駆け抜ける。『アクティブ・ソナー』を発動しながら余計な戦闘を避けるように、最短距離、最速の時間で辿り着けるよう駆け続ける。


 そうして駆けること約5分。マルクスが慎重に進んだ距離を一気に駆け抜けた俺達の前に現れたのは、そこら中に散らばった肉片に臓物。大量に広がっている真っ赤な水たまりと現在進行形で聞こえてくる苦しそうな魔物の悲鳴。


 不自然に伸びた首にひょろ長い手足。寸胴の胴体に全身を覆う禍々しい鱗に、身体に不釣り合いなほどやたらと長い尻尾。そしてこちらを見つめてくる爛々と輝くギョロリとした二つの目。


「――――ギュルルルァァァァア゛ア゛ア゛ッッ!!」


 身の毛がよだつほどおぞましい、およそ真っ当な生物とは思えないガラスを引っ掻くような不快な鳴き声。


 ――――ジャバウォックだった。

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