第73話 イリス・シュタインフェルト

「やめ」


 90分が経ち、試験官ジェットの指示でペンを置く。そのまま解答用紙と問題冊子が回収され、ジェットが続けて言った。


「11時から実技試験を行う。15分前になったら第1演習場に向かうので、それまでにはこの部屋に戻っているように」


 そう言い残してジェットは解答を抱えて部屋を出て行った。


 それにしてもこの試験、なかなかに難しかったな。史学・哲学・数理学・魔法学の4分野から各25点ずつ。どの科目も難関とされる皇立学院の入試レベルはあったように思う。特に数理学が危なかった。前世では文系だったから、あまり数学は得意ではなかったのだ。ただ、哲学と魔法学はバッチリだ。史学はやや勉強不足が祟って7割くらいか?

 取り敢えず筆記試験はパスしたと見て良さそうだ。


「君、さっきの試験できた?」


 たった二人しかいない受験生だ。仲良くしておいた方が良いと思って、俺はもう一人の受験生の子に話し掛ける。


「ん、やばかった」


 すると何とも頼りなさ気な返事が返ってきた。マジか。


「えっと、何割くらいいけそう?」

「3割くらい?」

「マジかよ大ピンチじゃん」


 3割なんてボーダーラインぴったりじゃないか。試験会場で余裕ぶっこいて寝てるからそんなことになるのだ。直前まで足掻こうという気概は無いのかね!?


「わたしは実技でカバーする。筆記は捨てた」

「面接もあるんだけど……」

「面接も捨てた」

「おい」


 何とも自信あり気だが、それほどの魔法が使えるのだとしたら非常に楽しみだ。筆記・面接が最低点でも合格を勝ち取れるだけの魔法か。ぜひ仲間になって欲しいものだ。


「あれ、どこ行くの? もう5分くらいで集合時刻だよ」


 女の子が部屋の外へ出ようとするので訊いてみる。もし時間を把握していなかったら大変だ。


「トイレ」

「あっ、失礼」


 そりゃ試験時間長かったからね。トイレに行きたくもなるよね。…………俺も行っておこう。



     ✳︎



「よし、ちゃんと時間通りにいるな。では第1演習場へと向かうとしよう」

「筆記試験の結果は?」

「うむ、取り敢えず二人とも最低基準点はクリアだ」

「「やったぁ!」」


 俺はともかく、女の子が合格なのは嬉しい。早く実技試験で魔法を見せてもらいたい。


「ただシュタインフェルト受験生に関しては最低基準点ジャストだったからな。他で挽回しないと合格は厳しいぞ」

「むっ」


 シュタインフェルトさんというのか。なかなかにかっこいい苗字だ。


「イリス」

「?」

「イリス・シュタインフェルトです。よろしく」

「ああ、俺はエーベルハルトだよ。ハルでいいよ」

「ハルトがいい」

「あ、うん。好きに呼んでくれていいよ……」


 合否が懸かっているってのに、自由な奴だな……。

 それにしても、俺が冒険者として活動している時の名前と同じ呼び方とは面白い偶然だな。特魔師団では「白銀の彗星」が師団に加入したていで、エーベルハルトとしての正体は外部には明かさない方針で行くつもり(流石に師団内では公然の秘密になるだろうが)だから、むしろ「ハルト」呼びの方が相応しいのかもしれないな。


「さて、エーベルハルト受験生にシュタインフェルト受験生。お前達は実技の試験、どちらの方式を選択する?」


 第1演習場に向かう道すがら、ジェットが俺達にそう訊ねてくる。当然、俺は戦闘だ。


「俺は戦闘かな」

「わたしは実演」

「へえ、実演なんだ?」

「魔法には自信があるけど実戦を経験したことがない」

「なるほどね」


 つまり入団したとして、今後の訓練次第では好敵手ライバルになりうる可能性も秘めている訳か。試験官は実演試験でその可能性の高い低いを見るということだな。


「さて、ここが第1演習場だ」


 第1演習場はかなり広い立派な体育館だった。サイズは県立アリーナや市民体育館と同じくらいはあるだろう。ただし床はリノリウムや木質系のフローリングではなく、乾燥した土。屋根付きの学校のグラウンドのようなイメージだ。


「見ての通り床は土でできているから、仮に魔法で破壊したとしても土魔法で修復が可能だ。つまり建物を壊さない範囲内であれば思いきり魔法をブッ放して良いぞ!」


 流石は特魔師団といったところか。入団試験の段階で既に演習場が壊れることを想定しているとは。


「む、他の試験官が来たようだ」


 ジェットの言葉につられて出入口の方を見ると、数名の試験官が演習場に入ってくるのが見えた。


「皆強そう」


 イリスが呟くが、そりゃそうだろうなと思う。ここにいる試験官は皆、超一流と云われる特魔師団の団員なのだ。強くない訳がない。


「それではまずはイリス・シュタインフェルト受験生からだ」

「はい」


 呼ばれたイリスが前に出る。


「シュタインフェルト受験生は実演でよかったな?」

「はい」

「ふむ。それでは早速説明しよう。まず、使用する魔法は何でも構わない。合計で三つ、得意な魔法を見せてもらう。それぞれの魔法の発動までの制限時間は1分だ。攻撃魔法など、標的を狙いたい場合はあの人形に向かって攻撃するように。人形は破壊して構わない。床ではなく、屋根や柱を含めた演習場自体が壊れたり、試験官に被害の及ぶ規模の魔法は使用しないこと。もし使用したいのであれば別途、皇都郊外の屋外演習場で試験の機会を用意する。質問は?」

「大丈夫」

「よろしい。それでは演習場の中心部で待機せよ。始め、の合図で開始だ」

「わかった」


 俺とジェットは演習場の壁際に退避して、イリスの魔法実演を見学する。数人いる試験官はそれぞれイリスを囲むような位置に移動して、全方向からイリスの魔法を採点するようだ。プレッシャー半端ないな……。

 合格するには魔法だけが頼りというイリスは、一体どんな魔法を使うのだろうか。とても楽しみだ。


「始め!」


 ジェットがよく通る大きな声で合図を出す。

 イリスが魔法を発動するのと同時に、イリスの周りに複雑な魔法陣が展開されていく。そしてイリスが右手を前に向かって突き出したと思った次の瞬間、右手が激しく発光して標的の人形が黒焦げになって弾け飛んだ。――――右手が光ったのと、だ。


「な、何だ今の?」


 人形はまるで焼き切れたかのように、胴体から上が吹き飛んでいる。上半身は黒焦げになって側に転がっていた。

 昔、どこかでこんな映像を見たことがある。あれはそう、前世の自宅で、スマホ片手に米軍の新兵器実験の動画を見ていた時――――。


「レーザービーム?」

「ほほう、攻撃型の光魔法とはなかなか珍しいな!」


 隣でジェットが満面の笑みを浮かべて唸っている。

 光魔法。ジェットは今、そう言った。


 この世界において、光魔法とは別名「聖魔法」とも呼ばれる珍しい魔法で、社院の神官などに多いとされるの属性だ。聖なる魔力を帯びた光を操り、対になる邪悪な闇属性の魔力を相殺すると言われている。

 ……だが今イリスが使ったのはの光魔法。およそ通常の光魔法の定義からはかなり外れているであろう、珍しいにも程がある光魔法だった。


「これは面白いな」


 ジェットが興味深そうにイリスを眺めながら呟く。


「威力、発動速度ともに問題は無さそうだ。特に発動してから標的に直撃するまでのタイムラグの無さは実戦では大きなアドバンテージになるぞ」


 通常、魔法というものは発動してから標的に命中するまでに数秒のタイムラグを要する。典型的な初心者の『ファイヤーボール』なんかだと、撃ち出してから20メートル先の標的に命中するまで5秒以上掛かったりすることも珍しくない。放物線軌道を描いて当たるまでに5秒もあれば、たとえ「初心者向けモンスター」などと揶揄される雑魚魔物の代名詞であるゴブリンだろうと簡単に避けることができてしまう。

 魔法に慣れてきた中〜上級の魔法士であっても、やはり1秒を切れるか切れないかくらいの時間はかかってしまうものだ。

 音速に近い俺の『衝撃弾』はかなり異常な速度だと言える。


 しかし光魔法はそんな『衝撃弾』すらも遥か後方に置き去りにしてしまう。光の進む速さは1秒間に約30万キロ。魔法士と標的の間など文字通り「一瞬」で到達できるのだ。

 それに反応できる敵など存在しない。いるとしたら全知全能の神様ぐらいなもんだろうが、そもそもこの世界に神がいるのかはわからない。俺が異世界転生しているくらいだからもしかしたらいるのかもしれないが、それでも人間とコミュニケーションが可能な存在なのかはわからないし、そもそも人間と敵対するのかもわからない。いるかいないかよくわからない相手のことを議論するのは正直ナンセンスだと思う。


 話は逸れたが、要するに放たれたイリスの攻撃を避けられる奴は理論上、存在しない。避けられるとすれば、攻撃が放たれる前のイリスの挙動から弾着地点を予測して予め攻撃が当たらない姿勢を取れる者だけだ。

 そしてそんなことができる実力者がそうそういる筈もなく。

 ジェットが言うように、イリスの光魔法は実戦未経験の現状においてさえ、相当なアドバンテージを有しているのだった。

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