第60話 目的地、到着
朝になった。が、俺は死ぬほど眠かった。
というのも、隣で寝息を立てるメイの呼吸に合わせて上下する豊かな胸とか、何言ってんのかよくわかんないけどなんか可愛い寝言とか、あと時折寝返りを打ってメイが俺に抱き着いてきたりとか、とにかくまともに眠れるわけがない展開に一晩中付き合わされたせいで、ようやく眠りに落ちたのが空も白んできた明け方だったのだ。
ところが日が昇るとすぐにリリーがやってきて俺を叩き起こしやがった。そう言えばリリーは昨日、早起きしてこっちに来るとか言っていたな……。楽しみなのはわかるが、俺は睡眠欲と性欲で気が狂いそうだ。
ところで性欲と言えば、昨夜はたいへん苦労した。なんとこの世界、ティッシュが存在しない。どないしろっちゅうねん!
タオルで拭きたくはないし、水で流せば固まってしまう。仕方がないのでしばらくその状態のまま立ち尽くして、少しずつ水で洗い流した。時間が経てばある程度簡単に流せるのはこの世界でも変わらないらしかった。
「何寝ぼけてんのよ。起きて! 朝御飯食べるわよ!」
カンカンカンとフライパンにおたまを叩きつけて、日本のオカンみたいな起こし方をしてくるリリー。正直、近所迷惑だし寝不足の頭に響くしで死ぬほどやめてもらいたい。街道沿いだから近所いないけど。
「ン゛ン゛ン゛ゥ゛ゥ゛ゥ……」
「ゾンビみたいな声出さないでよ! 『アイスウォーターシャワー』!」
バシャッ
「冷たっ!!?」
「起きた?」
顔面に氷混じりの冷水を浴びせられてようやく少しずつ目が覚める。
「はい、朝御飯できてるわよ」
「うーーん。おはよう、リリー」
「うん、おはよう」
と、そこへ
「おはようであります。ベッドが思ったよりふかふかでよく眠れたであります!」
そりゃテメエは何も気にせずスヤスヤ寝てたからなぁ! と内心で叫びつつ、表には出さないでリリーに出してもらった冷水をぐびぐび飲む俺。真剣にパーテーションとかで区切らないと俺の安眠が保証できない。このままだと目的地に着く前に過労で死ぬ気がする。
「今日の朝御飯は、昨日獲ったオーク肉のソテーとシーザーサラダをバンズに挟んだサンドイッチにしてみました。オーク骨出汁のコンソメスープもあるわよ」
「朝から随分と豪勢だな。貴族みたいだ」
「大貴族の嫡男が何を言ってるの?」
そう言えばそうだった。寝ぼけて前世の俺が正面に出てしまったのかもしれない。
「「「自然に感謝を」」」
ハイラント皇国流の「いただきます」をして、食事をいただく俺達。決して自分で料理をしない立場である筈の公爵令嬢なのに意外や意外、リリーはとても料理が上手だった。
「なんでリリーはこんなに料理が上手なの?」
昨日の晩御飯もそうだったが、一流シェフも顔負けのクオリティの料理を出してくるのだ。それもあり合わせの素材を駆使して。リリーには料理神の加護でも付いているんだろうか?
「料理するのが好きなのよ。なんか楽しくて、お抱えのシェフに教わりながら毎日作ってたら上手になっちゃった」
今すぐ皇都の一等地で高級レストランを開けるレベルだ。味は元グルメ民族日本人の俺が保証する。
「こんな美味しい料理を食べられて俺は幸せだな」
「やめてよ、照れちゃう」
そうは言いつつ、満更でもなさそうだ。
そうして俺達は魔物の出る街道沿いにいるにもかかわらず、のんびり穏やかなモーニングタイムを過ごしたのだった。
✳︎
朝食を食べ終わって片付けてから、俺達は出発の準備をする。いざ準備が整ったところで今日の行程を確認する。
「このまま順調に行けば、今日の正午を回って2時間ほどで目的地の村に着くかと思われます」
「昨日で随分と距離を稼いだから、今日はだいぶ余裕ね」
「今日も俺が『ソナー』で警戒、リリーが撃退、メイが運転の役割で行こう」
「了解であります」
「魔物退治は任せてちょうだい!」
あとやっぱり俺の眠気は限界だった。
「ごめん、昨日なかなか眠れなくてさ。『ソナー』は自動で反応するようにしとくから、目が醒めるまで寝させて……」
「ソナー」の魔法陣を紙に書いて「バッファロー」の天井に貼り付けておく。魔方陣の形とルーン文字の配列を弄って、俺が眠っていても生物に反応して音が鳴るように魔法式を改変する。リリーが一人で対応できない魔物……B−ランク以上が現れたら、寝ている俺の脳内にアラームが流れるよう設定するのも忘れない。
「ま、何事も無いとは思うけど……。おやすみ、あとは任せた……」
「なんでそんな眠いんでしょうね?」
「さあ? メイルの寝言がうるさかったんじゃないの?」
当たらずとも遠からず、といった内容を二人が話しているのを聞きつつ、俺の意識はとっぷりと沈んでいった。
✳︎
「起きたでありますか?」
「メイ。今は?」
ふと目が醒めると、コップに注いだ飲み物を飲んで休憩していたメイがこちらを覗き込んで言ってきた。
「もうあと1時間くらいで目的地であります。今は休憩中です」
「ハル君起きたの?」
リリーもやって来て声を掛けてきた。
「うん、だいぶすっきりしたよ」
何時間も寝たおかげか、もうすっかり元気だ。
「危ない魔物は出なかった?」
「全然。普通に私が倒せるのばっかりだったわ」
「多分『バッファロー』号が大きくて速いのも影響してるんでしょう。ある程度知性があって状況判断のできる魔物なら、びっくりして逃げちゃいますから」
「なるほど」
「バッファロー」を見て尚、襲いかかってくるのは、未知の物に危険性を感じない馬鹿か、あるいはビビって動けなくなるチキンな魔物かのどちらかということだ。
地球でも、車のヘッドライトに照らされた鹿なんかは立ち竦んでしまうと言うしな。弱い魔物でも似たようなことが起こるようだ。
「はい、スープ。美味しいわよ」
「ありがとう」
朝の残りのオーク骨出汁のコンソメスープを飲みながら、俺は背骨をパキパキ鳴らして背伸びする。
「じゃ、そろそろ行くであります」
「了解」
「おっけー」
メイが魔導エンジンを始動させて、「バッファロー」が走り出す。目的地はもうすぐそこだった。
✳︎
「いや〜、しかし随分と早く着いたな」
「我がアーレンダール工房の技術の勝利であります」
「普通なら1週間はかかるわよ。それがたったの2日で着いちゃうんだから凄いわ」
俺達は今、目的地である魔の森近くの集落に到着して一息ついていた。350キロと長旅だったが、この世界基準では非常に早く僅か2日で到着していた。路面が舗装されておらず、長距離移動が初めてということもあって余裕を持ってダラダラ進んだ割にはなかなか健闘した方だろう。「バッファロー」号、面目躍如である。
ちなみにこのトレイルワーゲン「バッファロー」だが、技術的にはメイが手を下さなくとも、既に工房の職人達だけでギリギリ生産が可能であるらしい。なので大々的に売り出そうと思えば実は売り出せる訳だ。
ただ、こんなのが世に出回ったら馬車の商隊なんて商売上がったりだし、どこぞの得体の知れない工房やら他国やらに分解されて技術を盗まれてしまう結末が見えきっている。なので現状としては、信用のおける領内の有力者や懇意にしている貴族、そして皇族と皇族の許可した者のみに絞って販売する方針になっていた。
「とは言ってもまあ、魔導エンジンや魔導バッテリーの技術が無かったら真似しようにも真似なんてできやしないであります。あれは天性の才能を持った鍛治職人が特殊な修行を数年間は積まないと再現できる類のもんじゃないでありますから」
「なるほどな、そこがブラックボックスになっている訳か」
それにしても、天性の才能を持った鍛治職人が数年間修行しなきゃ作れないものを、メイは6歳で作ったんだよなぁ。そう考えるとやっぱりメイル・アーレンダールという女の凄さを今一度実感するよな。一番近くで見てきて誰よりもそれを知っている筈なのに、未だにふと振り返ってみるとその才能に戦慄することがある。
もしかしたら、メイならいつか宇宙ロケットすら開発してしまうかもしれない。少なくとも現時点でこの世界の科学文明を百年分は進めているのだ。ありえない話ではないだろう。
「ええ。でもやっぱりそれ以外のところでも技術の流出は控えたいので、結局こうして生産は絞っている訳なんであります」
魔導エンジンや魔導バッテリーの技術がブラックボックスになっているからといって、全く技術流出の不安が無いかといえばそういう訳でもない。例えば、それ自体は単純な構造のボールベアリングやサスペンション機構などは今のところアーレンダール工房の独占状態にあるし、リベット工法や溶接技術など、アーレンダール工房独自の技術も多数存在している。
しかし、ある程度の知識と経験のある鍛治師であれば、これらの仕組みを理解し、真似して類似品を作ることは不可能ではないだろう。そうなれば莫大な資金を研究開発や設備への投資に回してきたアーレンダール工房としては大損害である。特許や著作権などの法整備が追いついていない現状では、自分達で技術の流出を防ぐしかないという訳だった。
「ねえ! あれ何!? 鳥……じゃないわよ!」
「リリー?」
そんな話をしていると、先に「バッファロー」から降りて農村の長閑な風景を眺めていたリリーが、何やら落ち着かない様子で車内に首を突っ込んできた。
「デカくて黒いのがこっちに飛んでくるわ。あれがもしかしてワイバーンじゃないの?」
車外に出て遠くの怪鳥に「ソナー」を放ってみると、そのシルエットがはっきりした。
長い首、広い翼、太い尾、鋭い鉤爪、そして表面を覆う硬質の鱗。
――――紛れもなく、ワイバーンであった。
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