どう想われているか


 朝食を食べ終わると、リュカとパトリシアは幽鬼のような足取りで退室していった。一体何にそこまでのショックを受けたのかは分からないが、今はそっとしておいた方が良いだろう。自然、食堂に残るのはことのあらましを知っているオレ達三人とリーリだ。


「で、何故貴様は女になっているんだ?」


「バレとったん?」


「当たり前だ」


 アヤさんが露骨につまらなそうに口を尖らせる。だが、まさかこんなにも早くオレの正体が知られてしまうとは思っていなかった。今のオレの姿は元の原型を一切留めていない。姿形から連想することは絶対に不可能のはずだ。


「何で、分かったんだ?」


「匂いだ」


「え?」


 匂い?


「生き物には、その者特有の匂いが必ずある。いくら性別が変わろうとそれだけは変わらない」


 マジか。オレは今アヤさんにおしゃれの一環だと言われて香水を振りかけられているというのに、それでもリーリは気づいたのか。


「私は狼人族の生き残りだ。嗅覚においては魔界でトップクラスだと自負している」


「リーリぃぃ!!」


 思わず抱き付いてしまった。自分の本当の姿を分かってもらえる。こんなに嬉しいことはない。感動と安心感で胸が張り裂けそうだ。


「お、おいコラ! そんなに抱きつくな!」


「良いじゃねぇか、女同士なんだから!」


「良くない!」


 口では抵抗しつつも、リーリはオレを振り払うことはしなかった。元の姿だったら即剥がされて拳骨を食らわされた挙句に罵詈雑言が飛んでくるのだろうが、今のオレの可憐な姿に少なからず迎合しているようだ。


「でも面白ないなぁ。もっと動揺したり慌てふためいたりしよるとこ見たかったんやけど」


「いつでもあなたの思い通りになると思ったら大間違いだ」


 リーリはアヤさんの計画を見事看破して誇らしそうに胸を張っている。だが、現状を知っているのはまだリーリだけだ。


「では、早速二人にも教えてくる。あんなにヘコんでいるのは可哀想だ」


「頼む!」


 しかし、


「あかん! あかんよリーリちゃん」


 アヤさんがばっと羽を上げてリーリに突きつけた。はらはらと羽根が舞って床に落ちる。その光景はやはりどうしようもなく綺麗だと思えてしまうので少し悔しい。


「何故だ? 私はあなたの面白半分の策略には……」


「ちょっとこっちおいで」


 アヤさんがちょいちょいとリーリを手招きして、オレから離れた場所でこそこそと話し始める。


「洗濯……リューシちゃん……服……匂い……嗅いどった……」


「っ!?  な、何故それを!?」


 何かにやにやするアヤさんと、驚愕と焦燥を混ぜたようなリーリの声。何を話しているのかはここからは聞こえないが、しばらくして、肩を震わせたリーリが悔しそうな目でアヤさんをひと睨みすると、顔を赤くして帰ってきた。ぱたぱたと動いている獣耳が目立つ。


「リュカとパトリシアには内緒にしよう」


「はぁ!? だって今……」


 アヤさんの計画を見抜いたことをあんなにも誇っていたではないか。それに、リュカ想いのリーリがリュカをあんな状態にしたまま放置するなど考えられない。


「何があったんだよ!?」


「うるさい! 私の勝手だろう!」


 逆ギレされた。あまりに理不尽な行動に戸惑う。本当に何があったんだ。アヤさんに何か言われたことだけは確かだが、それはリーリの信念を折り曲げるほどのことなのか。

 アヤさんを恐怖の視線で振り返る。一体この人は何だと言うのだ。オレ達屋敷の者を一人残らず手の平の上で転がして、思うがままに遊んでいる。唯一そのカテゴリーから逃れているのは団長だけだが、この人は変態なので致し方なしだ。


「さてさて! 朝はちょっと不完全燃焼やったから、ここからは張り切って遊ぶよ」


 アヤさんがぱんと羽を叩く。無力な弱者をいたぶって楽しむ残酷さがその目には宿っていた。


「お茶会、しよか」


 オレとリーリは、手と手を取り合い震え上がった。











 中庭の噴水が清い水をキラキラと輝かせる。午前の陽光に照らされるそれは、芝生より少し高い空中に小さな虹の橋を架けていた。そんな美しい光景に癒されることが出来る休憩所で、オレ、リュカ、パトリシアが卓を囲んでいた。


「よ、良いお天気ですねー」


「は、はい」


「本当、ですね」


 流れるのは何とも言えない微妙な空気。気を遣いあう目線と、遠慮する手つき。そして、時折牽制しあうような言葉が紡がれる。その状況を少しでも紛らわせるために自然と手が紅茶のカップに伸びる。ちびりちびりと口に含んでいたのだが、もう少しでそれも底を切る。


「なんだこの空気は」


 オレの背後に立つリーリが居心地悪そうに身じろぎした。直立不動を執事の使命と考える彼女らしからぬ行動だ。本来ならパトリシアも椅子に座るのではなくリュカの後ろに立っているはずなのだが、今回は特別だ。


「お前達、黙っていてはお茶会にならないぞ。もっと楽しそうにしたらどうだ」


 そうは言いますがリーリさん。リュカもパトリシアも時々オレに目をやってくるが、明らかに萎縮してしまっている。元カノ、と言うのは彼女達にとってそれだけ破壊力のあるワードだったと言うことだ。

 なんだか嫌になってきた。今もきっとどこかでオレ達を見ているアヤさんが憎い。出来ることなら薬の効果が切れるまで一人自室に閉じこもっていたいが、それすらも許されない。しかしその時、


「あ、あのリューコさん!」


 パトリシアが口火を切った。


「は、はい」


「不躾な質問で恐縮なんですが、エドガー様とはどうして別れてしまったんですか?」


 おっと、会って数時間の相手になかなか重いパンチをしてくるな。だが、その目にあるのは嫌味ではなく純粋な疑問だった。オレももっともらしい回答を探す。


「えっと、方向性の違いで……」


 自分で口にしておいてバカかと思った。バンドかよ。お付き合いの方向性ってマジで何なんだ。しかし、


「あ、分かります。エドガーさまって普段ぼーっとしていて少し何を考えてらっしゃるのか分からなくて……」


 リュカが同調してきた。え、オレってそんな印象なの?


「わ、私も。この前ここで空を見てられているエドガー様に何をしていらっしゃるのですかって聞いたら、雲がザリガニの鋏みたいで見てたっておっしゃられて……。何とお返ししたものか困ってしまいました」


 確かに言ったな。あの時パトリシアが黙りこんだのは共感してくれたのではなく困っていたのか。でも、本当にザリガニの鋏みたいだったんだ。そんな雲珍しいだろ。


「た、確かに変な時もありますが、基本的には優しかったですよ」


 堪らず自分で自分のフォローを入れる。リーリがバカじゃないかと言うように眉を上げた。


「そうですよね。この前なんか私がお料理の材料を運んでいたら、代わりに持って下さったりして」


「私も。いつもお洗濯を手伝ってくれます。手が荒れたら可哀想だって言ってくれて!」


「本当よく気がついてくれるんですよ。ネギとシラタキとハクサイがあまりに戯れついてきて困っていたら引き離してくれたり」


「昨日も私が夜の見回りしてたら、一緒についてきてくれました。私がちょっと怖かったの分かってくれたんですよね」


 その後もオレを褒める話が永遠に出続ける。二人は最初の雰囲気など忘れて花が咲いたように盛り上がっていた。楽しそうで何よりなのだが、それを身近で聞かせれる身としてはかなり厳しい訳で。


「おい、今貴様はどんな気分なのだ?」


「全身がかゆい」


 悪い意味ではない。心から染み出してくるようなかゆみは、喜びと気恥ずかしさを伴って生じるものだ。だが、二人の話をこれ以上聞くのは精神衛生上良くないと判断したので、早めに断ち切ることにする。


「あ、あの。江戸川君の素敵な所はもう良いから、逆に嫌いな所を挙げていきませんか?」


 これなら心に負担はないと思った。それにこの二人からならそこまで辛辣な内容は出てないと言う微かな自信もあった。しかし、その目論見はすぐ粉々に打ち砕かれることになる。


「良いですねそれ!」


「はい! 私それなら一晩中喋り続けられると思います!」


 予想したハードルの遥か上を行く食い付きだった。目を輝かせた二人は、マシンガンの如く早口で並べ立てていく。


「まずあの浮気癖は許せないですよね。もう目を離せばすぐ女の子に近寄っていくんですよエドガーさまは。誰にでも良い顔をするというかカッコつけるというか」


「その癖に一旦気をひくといなくかるんです。こっちとしては遊ばれてるとか焦らせれているみたいで本気で悔しい時もあります」


「それに絶対エドガーさまむっつりですよ。普段平然としてますがリーリやアヤさん、団長さんと話す時は五秒に一回は視線が胸にいきますもの!」


「私も分かります。前を歩いているとお尻やスカートの裾や首筋あたりに凄く視線を感じて……。でも振り返ってみると空とか眺めてたりしてて。バレバレなのに!」


 リーリの名前が出てきた時に後ろの彼女がぴくりと反応した。そのあと顔を真っ赤にしてオレを睨んできている。


「女の子にはすぐデレデレしますよね。可愛い子には特にです。距離が近くなると顔がいやらしいんです。そして何より、パティちゃんが近くにいる時が一番デレついてるんですよ! ズルい!」


「簡単にボディタッチしてくることも不満です。普通に頭を撫でてきたり肩を叩いてきたり。いちいちこっちがドキドキするのも馬鹿らしくなってきちゃいます。それに、そんな事を言えばリュカお嬢様が一番頭を撫でてもらっていらっしゃるではないですか! 私ももっと撫でて欲しいです!」


「で、でも、エドガーさま、角まで触ってくるんですよ! 私が角弱いのも知らずに! いつもいつも恥ずかしくて泣きそうになっちゃいます!」


「わ、私だって、にこにこしてくれるのは嬉しいですけど、その顔のまま心配とかされたりすると心臓に悪いって言うか……。手が震えるのがバレちゃいそうです!」


 よくもまあここまで積もり積もったものだと感心してしまうようなくらいオレへの不満が飛び出してきた。終いにはただの愚痴になってきて、毒を含んだ悪口すら見え隠れする。オレはその一言一言にぶん殴られながらお茶会を大変楽しんだ。今アヤさん爆笑してるだろうな。誰かを笑顔に出来るって素敵な事だよほんと。

 喋り始めて一時間くらいが経っただろうか。そろそろ昼食の準備に取り掛かる時間になってしまったので、リュカとパトリシアはオレに一言断ってキッチンに向かった。リーリと二人でお茶会の後片付けをする。


「今どんな気分だ?」


「わたあめとかになりたい」


 もしくは雲とか。とにかくふわふわしたものに成りたかった。プラスの感情故でないことは説明の必要がないだろう。


「あぁ、疲れた」


「おいこら。テーブルに乗るな。拭けないだろ」


「ちょっと待ってくれよ」


「ちょっとだけだぞ。ま、これに懲りたら少しは心を入れ替えることだ」


 そんな事を言われても、オレはオレなりに一生懸命生きている。しかし、それすらダメだと言われたようなものなので、今後の私生活を改善していこうと心に誓った。

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