異世界には性別が四つある


 夜中、食堂にはオレとリーリ、パトリシアが席に座っている。リーリは難しい顔で椅子にもたれかかっており、時折苦しげに天井を仰いだ。そして、オレは微動だにすることなくパトリシアを見つめ続けている。オレの視線を受けたパトリシアは目を手元に落とし、少しそわそわしていた。その少し妙な雰囲気の空間に、


「お父様に、確認してまいりました」


 暗い面持ちでリュカが帰ってきた。夜の執務に励む魔王をパトリシアの性別について問いただしてきたところだ。


「あれ? 言ってなかったっけ? だそうです。お父様をパンチしたのは久しぶりでした」


「良くやったリュカ」


 リーリが小さく拍手を送る。ただ元気はない。獣耳が垂れ下がっている。


「つまり、リゲルさんは女装をしていたと言うことですね」


「お嬢様、パティとお呼び下さいませ」


 邪気のない笑顔で微笑むパトリシア。オレはその横顔を眺め続ける。


「屋敷オーガは、だいたいが女性ですが、たまに産まれる男の子には女の子の格好をさせて奉公に出すそうです」


「なるほど」


 女の子の方が可愛がってもらえる。パトリシアが言っていた話と合致する。事実、オレ達三人は彼女を女の子として接していた。男だからと言って態度が邪険になるわけもないが、やはり女の子ならその物腰は柔らかくなる。


「となると、だ。これから私達はリゲ、パトリシアをどう扱えば良いのだ? 女の子か、男の子か」


「パティちゃんはどちらが良いですか?」


 げっそりしている二人は、問題を本人に丸投げした。もうしっかりした判断が出来なくなっているのだ。こんなにも美少女な魔族を、今更男の子として扱うのは難しい。しかし、実際は男の子の魔族を、女の子として扱うのには抵抗がある。


「はい。皆様のやり易いように。私は私。一人のパトリシアに過ぎませんから!」


 良い笑顔で言われて、リュカとリーリもうっと、声を詰まらせる。そのあとしばらく二人で目線だけで会話し、出た結論をリュカが伝える。


「分かりました。男、女は置いておいて、私達はパティちゃんとしてパティちゃんを扱います。わたくしもパティちゃん大好きですから、まあ問題はないかなと……」


「私も異論はない。これまで通り接させてもらう」


「はい! よろしくお願いします!」


 ああ、笑顔が眩しい。大輪のひまわりが彼女の背後に花開く。


「と、まあ一つ問題は解決した訳ですが……」


 すると、リュカの声音が一オクターブ下がった。下から睨め付けるような視線がオレを射抜く。それを右の頬で受け止める。オレは、まだパトリシアを見つめていたからだ。


「エドガーさまは、いつパティちゃんが男の子だと知ったんですか? そして、お風呂場で何をしていたんでしょう?」


 オレは反応しない。無言を貫く。


「あの、その……。私がエドガー様のお背中をお流ししようとしたのです。その結果として私が男の子だと知られました」


「つまり!」


 リュカがだーんと、机を叩く。


「エドガー様は、女の子のパティちゃんとお風呂に入ったのですね! 裸同士で!」


「まあ、そう言うことになるな」


 リーリも冷たい視線で同調する。


「いくら主人とメイドの仲とはいえ、そんな、ぇっちな……行為は許しませんよ!」


 途中で声が小さくなったリュカだが、オレを睨む朱と蒼の瞳の勢いは失われない。そこで、


「良し。分かった」


 オレは椅子を引いて立ち上がった。もう、心に決めた。


「な、なんですか?」


 三人がオレを唖然として見つめる。オレは、右手でがしりと握り拳を作って振り上げた!


「オレは、パティが男だろうが女だろうがいける!!」


「そんな話は聞いてません!!」


 リュカは困ったように叫んだ。しかし、それをリーリが手で抑えた。オレに目で座れと命令して、パトリシアの方へ向き直す。


「まずいくつかの確定事項を伝えておこう。パトリシアよ。この屋敷では主人の風呂の世話は必要としていない。今後はしなくて良い」


「そ、そんな……」


「それと、君の立場はメイドだ。そして、主人はリュカ。そして、この変態はリュカの婚約者候補だ。腹立たしいがな」


 最後の一言いらなくね? あと変態扱いはやめろ。オレを団長と同列にするな。


「なので、こいつにそういった行為をするな。男、女は関係ない。主従の問題だ」


「ですが、私達屋敷オーガは、既婚の主人様と関係を持ち、ご寵愛を受けることもあります」


「それも別の屋敷の話だ。ここにそのような爛れた生活はない」


「そうです! よそはよそ! うちはうちです!」


 何かリュカがお母さんみたいなこと言ってる。

 リーリの厳しい言葉に、パトリシアは露骨に残念そうに首を項垂れた。


「はい……。分かりました」


「うむ。分かれば良い」


「これからリュカ様とエドガー様がご結婚された暁には、私はエドガー様のご寵愛は欲しがりません! でも子供は身籠りたいです!」


『何にも分かってない!』


 リュカとリーリが同時に机を叩いた。流石は仲良しコンビ。ツッコミも息ぴったりだ。リュカがわなわなと震えながらパトリシアを指差す。


「そもそも! 男性同士で子供は出来ませんよ! ねぇエドガー様!」


 オレを見るリュカの目は必死だ。それをきちんと受け止めて、今度はパトリシアに視線を移す。その碧眼をうるうると潤ませる彼女の可愛さは核兵器級だ。


「そうだな」


「ほら見たことか!」


「ほら見たことかとか言うな。それに……」


 ショックを受けたような顔をしているパトリシアを、優しく見つめた。


「パトリシアなら何とかなるかもしれない」


「エドガー様!」


「なりませんよ!? なりませんからね!?」


 大混乱を来たす食堂。性別の問題、主従の問題、男女の機微の問題。渦巻くそれは大宇宙の真理のごとく巨大かつ混沌。


「頭が痛い……。騒いで腹も減っただろう。夜食を作ってくる」


 リーリが逃げるように頭を抱えながらキッチンへと出て行った。普段ならリュカも手伝いに行くはずだが、そうとう疲れているらしく椅子から動けないでいる。食堂に流れるのは暗い空気だ。それを感知したパトリシアは、悲しそうな顔で謝罪する。


「申し訳ございません。私がこんなだから……。前に仕えていたお城でも似たようなことがあって……」


「似たようなこと?」


「ご主人様が、私の服を脱がそうとした時に性別が分かってしまって。ご主人様は私を女の子だと思っていたのでカンカンにお怒りになられたのです……」


「その主人の名前を教えろ。一発、いや、百発殴ってくるから」


 オレのパトリシアに何てゲスな真似してくれてるんだ。絶対許さねぇ。フルボッコにしてやる。


「だ、大丈夫です。私の純潔は守られていますから!」


「そ、そうか? パティがそう言うなら……」


「パティちゃんに純潔はありませんよ……。エドガーさま、ツッコミをして下さいませ」


 リュカが顔を青くして疲れきった表情をする。オレへのツッコミも使命感のみで行われているので元気がない。マナーを遵守する彼女が初めて食堂のテーブルにうつ伏せになった。


「お嬢様、ご気分が優れませんか?」


 パトリシアが慌ててリュカに近寄っていく。


「何と言うか……。本当に何と言えば良いんでしょうか。体調は悪くないのですが気持ちが重いみたいな……」


 分かる。オレもパトリシアの真実を知った瞬間はそうだった。だが、今はもうそれは乗り越えた。パトリシアはパトリシアとして愛する。男、女、ブラックさん、パトリシアだ。この世界に性別は四つあるのだ。そう考えると素敵に思えてこないか。

 オレとしては嬉しいことに、リュカの風呂への追求も止んだ。パトリシアが上手く誤魔化してくれた形だ。今のリュカにオレを責め立てる気力は残されていないだろう。


「おい、軽く作ってきた。欲しい者は食べてくれ」


 すると、バスケットを持ったリーリが戻ってきた。中には彩り豊かなサンドイッチがたくさん詰まっている。どれも美味しそうだし、何より目が楽しい。この短い時間にこれだけの質と量を準備出来るリーリは、やはりスペックが高い。


「じゃあ、オレこれ」


「私はこれを。リーリ、ありがとう」


 オレは焼き豚を挟んだものを。リュカは卵を挟んだものを選んだ。パトリシアは最後にレタスとハムのサンドイッチを選んだ。


「美味しいです。何か特殊なソースを使ってますか?」


「いや、香りづけにシナモンパウダーをまぶしている」


 すげぇ。夜食のサンドイッチにそこまでするのかよ。確かにシナモンのほのかな風味がして美味しい。


「いや、リーリもリュカも、パトリシアもいつでもお嫁に行けそうだな」


 皆家事は完璧。容姿端麗だ。リュカは天真爛漫。パトリシアは純情可憐。リーリは鮮美透涼。それぞれがそれぞれタイプの違う美少女だ。


「パティちゃんはお嫁には行きませんよ」


「私は……その、もうエドガーさまだけのメイドですから……きゃっ」


「ふ、ふん。別にそんなこと言われても嬉しくなどない。だが、良く聞こえなかったからもう一回言え」


 返ってくる反応もそれぞれだな。あと、二回言うのは恥ずかしいので嫌だ。二つ目のサンドイッチをつまみながらふと頭をよぎった考えに震えが起こった。

 嫁に行く、と言う単語を口にしてしまった。これは例のあの人には絶対に聞かせられない単語だ。ヴォルデモートじゃないぞ。何かこれがこれからの伏線になる予感がしたのだ。いや、まさかな。だってここ魔王の屋敷だし。次いつ会えるか分からないってお互い言い合ったのはほんの数日前だ。それが、まだパトリシアの衝撃冷めやらぬ状況で起こり得るはずがない。

 その後は皆で美味しいサンドイッチを食べきって、それぞれ自室に戻った。今日も色々あったから疲れた。すぐに押し寄せてくる眠気に抗うことなく身を任せた。


 朝日とともに、あの女性がやってくる。そんな夢を見た。

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