幸せ
燃え盛る火球を大量に吐き出してくる巨虎を、全ての火球を吸収、強化した
「凄いな。圧倒的だ」
「こう言う相手はカモなんだよなぁ」
何か強力な火力や必殺技とかを持ってる奴らは
「その右腕。強力なのは間違いないけど、どちらかと言えばカウンター向きだね」
「そうなんだよ」
それはこの世界に来てから分かったことだった。日本では皆能力を使うことが大前提だったため、それを上回ってさえいれば良かった。しかしこちらではオレ単体の火力では倒せないベルゼヴィードや、能力や魔法を使うことなく強力な攻撃や戦術を用いてくる奴らがいる。
「その右腕の能力ってさ、どう言うものなの?」
「えっと、ありとあらゆる能力や力を超越する。まあ言わば完全上位互換だ」
また洞窟は狭くなってきた。当然大きな魔族は出てこないが、蟲のような魔族が大量に押し寄せてきた。最早蟲の海だ。気色悪いことこの上ない。しかも、今はオレの前を歩くアキニタが、そいつらを拾っては口の中に放り込んでいく。この世の終わりみたいな咀嚼音が洞窟内に響いて、もう吐きそうだ。
「その認識が……んぐ、間違ってるんじゃないかな」
「頼むからさ、蟲を食べるのは我慢してくれよ」
しかし、アキニタは聞いてくれない。ムカデのような魔族を右手で捕まえると、頭から丸呑みにした。
「認識が違うんだよ」
「うん……」
もう見ないことにする。
「君は自分の右腕の力を何だと思ってる?」
「何って……だから、あらゆる力を超越する……」
「そこだ」
アキニタが人差し指を立てる。
「その認識だとしたらさ、さっきの呪い騎士との闘いで見せた、あの地面を割る力はなに?」
無言になってしまった。あれ、そういや、何だろう。あれ?
「地面に能力なんてないよ。君は一体、何を超越したの?」
歩みを進める度に奏でられる不快な蟲のオーケストラが、意識から遠くなっていく。口を手で覆い隠した。初めて突きつけられた疑問に、思考が暗くなっていく。
山を削った。家を壊した。超パワーで敵を粉砕した。その時オレのこの
「さて、ここが最後だ」
前で止まるアキニタの背中にぶつかってしまった。気がつくと、蟲の海は消えていた。そこは、今まで闘ってきた大物魔族の空間とは違う、狭い場所だった。だが、荒々しい洞窟の岩肌ではなく、白い大理石で囲まれた部屋だ。例えるなら、オレが女神と出会った異空間に似ている。
「いらっしゃい」
その小さな部屋の中に、一人の老人が座っていた。白髪混じりの黒髪や髭は伸び放題で、その先が床についてしまっている。
「あんたを、倒せば良いのか?」
話が出来るところを見ると、低級魔族ではない。いつでも迎え撃てるように、
「いんや、闘う必要などない」
老人は首をふる。
「貴方は、私の質問に答えて下されば良いです」
「質問?」
頷く老人。
「では始めます」
それは突然始まった。
貴方の名前は何ですか?
「江戸川竜士」
貴方の故郷はどこですか?
「日本だ」
貴方の家族は何人ですか?
「三人」
そこから、百を超える質問を受け、答えた。全て簡単なもので、一つ一つ、穏やかな声で発せられる質問に、ストレスなく答えていく。老人は終始笑顔で、アキニタは長い時間にも関わらず座ることなく立ったままだ。そして、
「では、最後の質問です」
「ああ」
老人は、深いシワの刻まれた顔を、くしゃりと歪めた。
「貴方にとって、幸せとは何ですか?」
ここで息が詰まった。これまで淀みなく答え続けてきた言葉が止まる。俯いてしまった。オレにとっての幸せ。それこそすぐに答えが出てきてもおかしくない質問のはずなのに、心にずしりとのしかかってきて、上手く整理出来ない。
「この質問には、何の意味があるんだ?」
苦しくなってしまって、逆にオレから問い直してしまった。
「大丈夫。焦ることはない。落ち着いて、ゆっくり、答えを見出しなさい」
老人は答えてくれなかった。だが、優しい笑顔でオレを待ってくれた。何故かそれがとても嬉しいことのように思えて、静かに自分の心と対話を始める。
幸せ、か。日本にいたころは、毎日生き抜くことに精一杯で、そんな事考えもしなかった。自分が幸せだと思ったこともない。日々を漠然と、生きることのみに執着していた。誰もいない、一人切りの空間で、ただ待ち惚けしていた。暗く闇のように沈んでいく思考と、閉じられていくまぶた。そんな世界の中で、オレはうずくまっていた。耐えていた。
何を? 何のために耐えていた? 何を待っていた? この世界に来るまでは、オレは一体何を……
そこでふと気がつくと、オレは屋敷の食堂に座っていた。オレの隣には、見上げるような魔王の巨大がある。その見事な黒髭を撫でながら、オレを真摯に見つめていた。
「なぁ婿殿」
「は、はい」
「リュカを、よろしく頼む。あの娘は自慢の娘だ。きっと良い妻になる」
「で、でも、オレなんか……」
魔王は、ニヤリと不敵に笑った。
「君は、私が見込んだ男だ」
そこで視界が溶けた。すると今度は、オレは屋敷の中庭へと続く廊下に立っていた。そこに、
「おい貴様!」
「あ……リーリ……」
「また汚れた靴で屋敷に……! 何度言えばわかるんだ。外から帰った時は靴底をマットで綺麗にしろ!」
「す、すまん」
「全く!」
「……」
リーリは少しイライラした様子で髪をあげる。
「ほら! ここは私が拭いといてやるから、そんな顔をするな。次からきちんとしてくれれば良い」
景色が、また歪んでいく。そこに据えられたベッドには、団長がイエスと書かれた枕を頭に目を閉じていた。
「……何やってるんだあんた」
「準備は万端だぞ!」
「知るか。出てけ」
「ふふ」
団長はごろりと回転すると、枕に頬杖をついて可愛いものを見るような目でオレを見る。
「私が必要になったら、いつでも頼るが良いさ」
赤い瞳に灯る優しさがオレを包み込むようにして、また景色が変わった。カタカタと、真っ暗な部屋でパソコンをいじる牧村の背中が見える。
「む、またレディの部屋に断りもなく入ってきたでござるか」
「ここは部屋じゃねぇ。ゴミ箱だ」
「まあ良い。これを見るでござる」
牧村がパソコンのブラウザをずいとオレの顔に押し付けてきた。
「何だよ」
「お主の写真でござるよ。いつもいつも一人でござるか。孤高を気取っていたのか?」
日本での、オレの写真だった。パソコンに映し出される全てが、オレ一人だけだった。しかしそこに、
「あ……」
「ふふん」
写真のオレの隣に、牧村が追加された。ぱっぱっと、次々と牧村が現れる。
「これで、一人ではないでござる。良かったでござるな。スーパー美少女兼闇の眷属である我が輩とツーショットでござるよ」
その言葉を最後に、オレはオレの目に焼き付いたブラウザの中に吸い込まれていく。顔を上げると、王都の雑踏の中に紛れ混んでいた。道行く人々が、前から後ろからオレとぶつかり歩き過ぎて行く。他人の海に溺れて動けなくなっていると、
「エドガーさま!」
オレの右手に、柔らかな何かが絡まってきた。
「リュカは、ここでございます!」
モコモコとした白い髪の少女が、オレの隣で花が咲いたように笑った。オレはその光景に、何故か、いや、やっぱり涙が溢れてきてしまった。壊れる涙腺から流れ落ちる止めどない雫に耐えきれなくなって、オレほその場にしゃがみこんだ。
するともうそこには、魔王も、リーリも、団長も牧村も、リュカもいなかった。
老人が笑っている。
「オレにとっての幸せは」
「はい」
「幸せは、誰かに、愛してもらうことだ」
オレはもう、この世界で手に入れていた。日本でずっと持っていなかったものを、ずっと一人で、欲しくて欲しくて堪らなかったものを、周りの人達から受け取っていた。
老人が、胸の前で手と手を合わせた。
「なら、それが貴方だ。これまでの全ての返答が貴方だ」
「ああ、そうだ」
老人が目を瞑った状態でオレを指差す。
「傲りなさい。貴方が貴方であることを。誰かに見せつけ、自慢し、高笑いなさい。誰よりも自信過剰に、自意識過剰に進んでいきなさい。さすれば」
貴方の手から、幸せがこぼれ落ちることはない。
その最後の言葉がオレの耳に届いた時には、白い大理石の空間は夢のように消失し、かわりに広い広い洞窟が広がっていた。見上げる天井は、その蓋を教えてはくれず、限りがどこにあるのかもわからない。その岩陰には、
「シミズ草……」
教えられなくても分かった。青々とした若葉を生やす、真っ白な花が咲いていた。その花は至る所に咲き誇り、洞窟の地を白く染める。
「採りなよ」
「どれくらい、必要かな」
「五株もあれば充分。用心して倍は採っていった方が良いかな」
「分かった」
アキニタは、必要なことだけしか言わない。あの一瞬、次々と見えた景色は、オレの心の中だけのものだったのだろうか。アキニタに確認したい気持ちもあったが、何となくやめておいた。あれは、オレだけのものだ。そんな風に思いたくて、胸の奥底にこっそりとしまった。
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