竜士の過去
オレは再び客間に戻ってきていた。よく見ると部屋の奥には整えられたベッドもあり、この部屋には人が生活するための物が揃っている。
「あー面白かった。ずっと王城にいてよ」
アーノンは腹を抱えて笑っている。
「やだよ。めちゃくちゃ居心地悪いじゃん」
「魔王の屋敷より?」
「比べるべくもねぇよ」
「そりゃ傑作だ」
もう一笑いして、アーノンは出て行った。ため息をつきながらソファに埋もれるように座った。自分のしでかした事を順を追って思い出す。オレにしてはかなり大胆なことをしてしまった。これで人間界も予想できない方向に走り出すかもしれない。だが、それも仕方ない。仕方ないと理解して行動した。ぶらぶらさせていた脚を止め、立ち上がって窓の方へ歩いていく。決して部屋は狭くなかったが、何となく息苦しくなってしまった。気分を変えたくて、外の景色を見たかった。
「へぇ……こっちは月が一つなんだな」
見上げた夜空には、月が一つだけだった。それも雲に隠れて鈍く光っている。理由はまるでわからない。と言うか、あり得ない超常現象だ。ただ、こちらの月も美しい。日本にいた頃を思い出させる。だが、リュカ達が今見上げている月とは違うものだと考えると、少しだけつまらない気持ちになった。
「ん、あれ? 開かない、何故だ! 何故開かん!」
そして、そんな感傷的な気分をぶち壊す変態が来た。
「く、くそ! ダーリンとパーリナイするはずが、こんな形で邪魔されるとは! 開けろ! そこにいるのはわかっているぞ!」
「マジで怖いな。鍵かけといて良かった」
軽く頭をよぎった可能性を考慮した行動だったが、我ながらナイス判断だ。これで安心して眠れる。そう思った矢先、鋭い音で扉に閃光が走った。縦横三条の光で扉が斬り裂かれたことがわかる。
「ふん。このような薄い壁で私の結婚願望をはばめると思ったら大間違いだ」
「……とんでもねぇ変態だな」
もう元気良くツッコム気にもなれない。長剣を一振りして鞘に収めるその仕草が様になっていてカッコいいだけに、本当に惜しい人だ。
「さてダーリン。二人の未来、そして過去について語り合おうではないか!」
髪をなびかせながらソファに脚を組んで座り、自身の隣をバシバシ叩く。あえて無視して向かいに座った。
「未来についてというのは分かる。分かりたくないけど分かる。けど、過去って何だ?」
「なに、少し興味があるだけだ。そんなに身構えないで欲しい。少々無粋だが容赦してくれ。私は一度気になると夜も眠れなくなるのでな」
「はぁ。それで? 一体オレの何が知りたいんだ?」
オレが何かを隠しているということはない。これといって、誰か他人に興味を持たれる要素なども、この右腕以外にないはずだ。
「ダーリン。そなたは謁見の間での騒ぎの時、私の一振りをその右腕ではなく、左手で受け止めた。振り向きもせずに。私も殺す気などはなかったが、手加減したつもりもない。それが引っかかってな」
あぁ、そう言うことか。確かにあの時は必死で余裕もなく、つい左手を使ってしまったのだ。
「昔、七歳から九歳の終わりくらいまで、三年間くらい古武術を習ってたんだ。今でも我流だが鍛え続けてる」
そう言えば、こちらの世界に来てから一度も鍛錬していない。色んな事が一気に起こり過ぎて、そんなことに頭が回らなかったのだ。
「ほう、古武術か。良い師がいたのだな。私も是非お会いしたいくらいだ」
「無理だよ」
「何故だ?」
死んでるから。思ったより淡々と口からこぼれ落ちた。
「師匠ってのは、オレの爺ちゃんだったんだ。オレが九歳の時、事故で死んじまってな。だからそれ以降我流なんだよ」
「そうか。それは悪いことを聞いたな。すまなかった」
弄ぶ指を眺める。言うか言わまいか少し迷ったが、だいぶ心が疲れてしまっていたからだろう。その後もしなくて良い話がポロポロ出てくる。
「オレ、六歳くらいまでずっと虐められててさ。気味の悪いこの腕、トカゲ野郎って呼ばれてたんだ」
「それで、鍛え始めた。と言うことではないのだろう?」
鋭い。変態なのが本当に惜しい。
「そうだ。その日も近所の奴らにいつものように虐められててな。相手は四人いたんだが、流石に悔しくて殴りかかったんだよ。この右腕で。そいつらには当たらなかったけど、後ろにあった家屋が全壊した」
「力の発現、か……」
「そう。それから虐められることはなくなっけど、とにかく大変だった。制御出来ないこの右腕で、たくさんの物を壊して、消した。山を半分削ったりしたこともある。唯一運が良かったのは、誰も死人が出なかったことだな」
「その力を制御するために、古武術で身体と心を鍛え始めたのだな」
団長は脚を組んだまま、俯くオレの顔を覗き込むようなことはせずに、静かに聞いていてくれる。
「あぁ。あとは単純に護身用だ。色んな組織や国から狙われたり、勧誘されたりした。話し合いだけじゃどうにもならない時も多くてさ」
襲われ慣れている。ギルマスが見抜いた通りだ。三日に一度は襲われた。彼らからすれば、世界の何も分かっていないガキが、圧倒的な力を持つ事が怖くて目障りだったのだろう。
「それを、ダーリンを保護してくれる人や機関はなかったのか?」
「爺ちゃんが唯一そうだったんだ。だから、今考えてみれば事故ってのも怪しいもんだ。今さら悔しがっても、泣いてもどうしようもないけど」
当時のオレがその手で抱き抱えていられたものなんて、本当にわずかしかなかった。しかし、それさえ許される事はなかった。オレの周囲には誰もおらず、何もない。周りの連中を見下して、バカだと思って生きて行こうとした時期もあった。それが無意味で虚しいことだと分かるまで、それ程の時間は流れなかったが。それでも、そんなオレでも何とか今日まで生きてこられたのは、自分が最強の存在であるという自負があったから。オレから温かい全てを奪っていったこの右腕にすがりつくことで、辛い日々が過ぎ去っていくのを、膝抱えて待っていた。
「そうか。全てを理解したとは言わないが、良くわかった。辛い話をさせてしまったな」
「いや、オレも話して少し楽になったよ。気にしないでくれ」
別に気を使ったわけでも、強がりでもない。本気でそう思った。心の隅でうずくまっていたものが、ほんの少し軽くなった気がした。
「ふふ。それに私は少し嬉しいぞ。ダーリンのことを知れた。もはや結婚は秒読みだと言えるな」
「勝手にカウントダウンするな。そのタイマーは一生動かねぇよ」
「いけずな事を言うな。それと」
団長が、身を乗り出してきて、オレの肩をを優しく抱きながら、笑って言った。
「困った時辛い時は、私、お姉さんに頼りなさい。きっと力になれるはずだ」
目の前のその表情は、動悸がするほど美しくて、騎士の清廉さと、彼女の温かさがあった。
「ま、まあ、そんな時がきたらな」
「あぁ、それで良いさ」
こうしてせっかく綺麗にまとまったのに、その後頑なにオレと寝台を共にしようとする変態を四苦八苦して押し返すことになった。残念美人という言葉は、きっとあの人のためにあるのだろう。ただ、今夜はきっと悪い夢は見ないはず。そんな確信を持って、オレは一人、ベッドに潜り込んだ。
翌朝、アーノンが扉をノックする音で起床した。朝陽と小鳥のさえずりが、窓の外からこぼれてくる。
「おはよう。今日これからどうするつもり?」
「んん、ひとまず城を出て、黒猫亭に行くよ。ギルマスやシャンに話したいこともあるし、何より勇者に用があるからな」
「了解。じゃあ軽く朝食用意してるから、それ食べて行くと良いよ。あと、見送りという体の監視もつくからね」
「せっかくの建前なんだから、壊さないでくれよ」
「そんなの意味ないじゃん。そうそう。それと団長が呼んでるから、あとで顔を出してあげてね。今日は一日執務室にいるから」
「……やっぱり全裸なのかなぁ」
「もちろん全裸さ」
朝からがっかりさせないで欲しい。アーノンは明るい良い奴だが、オブラートに包む会話をしない。それはそれで美徳なのだろうが、話してる身としては時に嫌な方向に進んでいく。
「渡した眼鏡さえかけてれば大丈夫だよ。団長は怒るけどね」
あの人は露出癖もあるのか。彼女をその道に追いやった何かが憎い。メイドが運んできてくれたパンとスープをささっと完食して、団長の執務室に向かった。
執務室までの短い距離を、早歩きで進む。黒い扉に着くと不安が押し寄せてくるが、こればかりはどうしようもない。裸の団長の出迎えを覚悟して、ノックの後入札した。
「おはよう。昨晩はよく眠れたか?」
「おかげさまで」
広い机で書類に判を押しながら、団長は微笑む。
「これから黒猫亭に行きます。お世話になりました」
最後なので、しっかり礼儀正しく。彼女もきちんと軍服を着ているようで安心した。そうだよ。ちゃんとしてればカッコいい美人なんだ。ずっとそうしていろ。
「そうか。では、良ければ私も同行させてくれないか? ブラックさんと話もしたいし、勇者にも会ってみたい」
「会ったことないのか。ガッカリするからやめた方が良いぞ?」
それに、向こうの世界の最新機器に驚いてしまうだろう。
「いや、構わない。それに、暁の騎士団団長が、勇者と面識がないのは不味いと思っていたのだ」
「確かにそうかもな。じゃあ今から行くか? それともあとで……」
「いや、すぐ行こう。服を着るから待っていてくれ」
そうだった。オレは今特注眼鏡をかけていたんだった。あとナチュラルに全裸なんだな、この人は。アーノンが見慣れたと言っていたが、オレもいずれそうなってしまうか気がする。女性の肌にドキドキしなくなっては、男として終わりだ。何としても踏みとどまりたいところだ。
「よし行こうか。全く、服というのはどうも重くていかんな」
「それはモラルの重さだから、ちゃんと感じてろ」
長剣を腰に差す姿は、惚れ惚れするほどカッコ良いのに。彼女が鳴らすカツカツという靴音は、団長という人を美しく魅せる音楽のようだと感じた。
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