嘘はつきたくなかった
うっすらと目を開くと、すぐ近くに団長の美しい顔があった。鼻筋は綺麗に通り、瑞々しい唇が色っぽい。
「目を覚ましてくれたか。さぁ、約束通り教会に行こう?」
「過去を捏造しないで下さい」
団長の温かいひざ枕の上で、取り敢えず抵抗する。
「さて団長。エドガー君も起きたことだし、そろそろお風呂に行ってもらおう。国王様との会食に遅れたりしたらことだよ」
「む、そうか。ではなダーリン。また後で」
「ツッコム気力もねぇよ……」
アーノンに左から肩を支えられて、団長の執務室から出た。
「ごめんねぇ、うちの団長が」
「いや、あんたも確信犯だろ」
アーノンは悪びれもせずニヤリと笑う。
「いや、だってもうほんとに団長しつこいんだもん。別の男をあてがいたくもなるよ。それに、団長も昔は普通だったんだよ? でも、一年、また一年と婚期を逃すごとに服も脱いでいって……。今はこうさ」
「なんだその一人野球拳……」
「だからさぁ、団長と結婚してあげてよ? 変態だけど、強いし美人だし、良い人だよ」
「変態の部分が看過できねぇ」
どうしよう。異世界を救うことと全く関係ない面倒ごとがどんどん増えていく。もうオレ一人でどうにかなるレベルではない気がする。
「じゃあ、お風呂で頭と身体を休めて、それから団長と結婚してよ」
「あんたも必死だな」
きっと相当団長がしつこいのだろう。そんな会話をしながらアーノンに案内された浴場は、とてつもなく広かった。ライオンの口からお湯が出てきている。軽く五十人は一度に入れそうなほどだ。
「す、すげぇ、もしかして国王様の浴室か?」
「そんな訳ないじゃん。騎士の共同浴室だよ。常に芋洗い状態で、演習後の血と汗と土汚れで湯船が茶色く染まるんだ」
せっかくの嬉しい気持ちを、間髪入れずに壊される。はしゃいでた自分がバカみたいだ。
「さて、国王様との会食まで時間がない。急いでもらうよ」
「了解」
その後、本当に五分かそこらで浴場から出されて、満足に湯船に浸かることすら出来ずに会食におもむくことになった。
「さて、先ほどは大変失礼をした。ささやかだが宴を用意させてもらった。存分に楽しんで欲しい」
国王がグラスを持ち上げる。あの赤い液体は酒だろうか。だとしたら放送できないな。しかしジュースだと締まらない部分もあるので、難しいところだ。
「はぁ、そりゃどうも……」
広い食堂内に、長い長方形のテーブル。国王とオレは向かい合って座っているが、その距離は遠い。国王の左隣には、ツインテールの王女様も座る。その目がチラチラとオレをうかがっていた。
「うわ、美味ぇ……」
出される料理は、オシャレで豪華で、考えられないほど美味い。ステーキ肉は分厚いが柔らかく、舌の上で溶けるようだ。次にいきのいい魚の香草焼きが出される。白身魚なのに赤身のように味が濃厚で、噛むたびに違った香りが楽しめる。国王の前であるため、マナーを守って食事をしなければならないのが歯がゆいくらいだ。美味い料理達は、オレの荒んだ心を優しくほぐすように癒してくれる。
ただ、一つ気がかりなのは、オレの後ろに控える団長の目が怖いことだ。今は流石に軍服を着用していた。嫌な視線を背中一杯に受けながらも、食事は和やかに進んでいく。国王は意外と話し上手で、オレの嘘混じりの適当な会話を広げてくれる。王女様も会話には入ってこないが、オレと国王の話を楽しそうに聞いていた。そして、
「さて、クリスティア騎士団長、彼をどう思う?」
オレの背後の団長に話題が向けられた。
「はい。彼は私のダーリ、いえ、我が騎士団の最高の戦力となってくれるでしょう。それは間違いありません」
本心が透けて見えている。なるほど、アーノンがオレにすがるはずだ。これはかなりしんどい。
「うむ。クリスティア騎士団長は、前任の団長の推挙によって騎士団に入団した。元は黒猫亭の冒険者だったのだ。我が国は、優秀な人材を積極的に登用する。そして、そなたにも是非その一例として加わって欲しいのだ」
そして、国王もなかなかしつこかった。だが、その要請に応えるつもりはない。いや、本来ならばそうすべきで、願ってもない話だ。この王都に滞在しつつ、勇者の更生に力を注ぐ。そして時がくれば魔王軍と戦うのだ。まさに理想的だと言える。しかし、
「出来ません。私には、故郷に婚約者を残しております」
思い返す。魔王の真摯な瞳を。セルバスの丁寧な所作を。リーリの怒った顔を。そして何より。
「エドガーさま!」
リュカの花が咲いたような笑顔が、オレの心に蔦のように絡まって離れない。
「ほう。それはめでたい。では、婚約者も王都にお招きして……」
国王は、オレの再三の拒絶にもかかわらず、まだ引き止める。その彼の瞳を、オレは真っ直ぐ見据えた。
「出来ません。何故なら……」
この場には、何人もの近衛騎士が待機していた。暁の騎士団の三人も、変わらずオレの背後に並んでいる。明らかにこれからする話は、秘匿すべきことだ。しかし、不思議なことに、この場で嘘はつきたくなかった。
「その者は、六大魔王アスモディアラの娘だからです」
室内が一瞬、時間が止まったかのように凍りついた。誰も言葉を発しない。しかし、その静寂を突き破るようにして、背後の扉が乱暴に開かれる。ハウルと呼ばれる騎士が突入してきた。
「やはり貴様、魔の者か……!! この場で討伐してくれる!!」
「ハウル、よせ」
「先ほどのようには行かぬぞ! 近衛騎士! こやつを取り囲め!」
「黙りなさい」
「クリスティア騎士団長も、何を突っ立っている! 今すぐそやつを……」
「黙れと申しておるのがわからんのかっ!!」
それは、変声期の子供の声ではない。威厳ある国王の一喝だった。
「ハウル、および近衛騎士は直ちに退室せよ。余の話の邪魔だ」
「し、しかし陛下……」
「二度は言わぬ」
両肘をテーブルにつき、その手を顎にのせる国王は、冷静でもあるようだ。そのただ事ではない雰囲気に押されて、ハウルと近衛騎士がすごすごと退室していく。
「さて、エドガー殿。そなたはこのような場で冗談を言う類の男ではあるまい。その話、魔王の娘の婚約者と言うのは真か」
「はい。ただ、オレは人間です」
国王は、椅子の背に寄りかかるように座り直す。
「アスモディアラは魔界でも賢き魔王だ。これは、先を越された、ということで良いか?」
「まあ、そうですね。そうなるかと」
「ふぅ。それは残念だ。では、余からは一つだけ」
国王の碧眼が、オレの目を矢のように射抜く。
「そなたは、この世界、いや、魔界と人間界をどうしたい? どうあるべきだと思っておる?」
その問いに、少しだけ迷ったが、それでもはっきり答えることが出来た。
「誰も、魔も人も無意味に傷つけ合い、憎み合うことのない世界であれば良いと思っています」
「……そうか」
国王はその眼を固く閉じた。少しだけ思案するように手を握る。そして、その聡明さが光る瞳を再び開いた。
「了承した。何度もしつこく迫ってすまなかった。今宵は一晩ゆるりと城で過ごされ、明日からはまた城下に戻られよ。城や町の者には、絶対にそなたに危害を加えさせないと誓おう」
「はい。ありがとうございます」
「うむ」
国王が静かに席を立ったことが合図となって、会食は終了した。一向に立ち上がらないオレを、王女様が興味深そうに見つめていた。
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