第11話 晦の日は光がなくて心細い1

 四月十六日。春になった。二年生になった零は、あの冬休みから約四か月間、神島の鍛錬場に通い詰めた。おかげで体力は格段に上昇、力の加え方、細かな足さばきも上達し、身体のブレもなくなっていた。音すらなかった素振りにも、剱で風を斬る甲高い音がなるようになり、飛躍的に技量は向上している。……はずなのだが、剱術が開花するまでには至らなかった。


「……」


 戦いにおける基本的動作は形になってきたけど、そこから先が行き詰っている。落ち込む零とは対照的に、神島さんは腑に落ちたような表情をしていた。


「そんなに焦らなくても大丈夫よ。剱術というのは、術者の『型』。つまり、個性が深く関係している。因みに、私の型は『風』で、剱術も風に特化しているわ。言ってしまえば、最後は己の感覚で掴めるか、掴めないかになるわ。剱の具現化と同様、感覚の掴み方を自身で感じ取るしかない。習得はいつだって自分との戦いになるわ」


 ――型。神島さんの剱術は見たことがあるからか、風と聞いて納得した。彼女の髪が靡くところやキリっとした立ち振る舞い、まさしくその姿は風を連想させる。それなら自分は、どんな型なんだろうと、考えても分からないことに気持ちが乗った。


「今日はこのぐらいで切り上げて、貴方の帰宅がてら私と一緒に巡回に行きましょう」

「はい」


 巡回は、朝と夜の週に三日ほどしているようなのだが、ここ一か月の間は、巡回の回数が増えている。というのも、夜になると、相次いで人が姿を消しているというのだ。だから、こうして自分も彼女と巡回をするようになっていた。


 午後九時過ぎ。引き戸を開ける。この日の夜も月が雲に隠れていて、一人で出歩くには少し心細い。市街地に出ても、人気があまりないのはそういうことなのだろうか?


「神島さん、何か異変はありましたか?」

「いえ、何もないわ」

「そうですか」

「けれど、私たちが見つけられないだけで、今夜も知らない場所で知らぬ間に、犠牲になっている人がいるかもしれないわ」


 二人は、市街地から離れた林道を歩いていた。月光を街灯代わりにしている街並みを見ると、晦の日は、迂闊に外を出ることはできない。身に染みてそう思う。だって、一人で歩くことを躊躇うぐらいの闇が、そこには広がっている。


「零、憶えておくことだわ。夜が深くなればなるほど、その闇は闇に生きる者の活動を活発にさせるわ。当然、夜行性の動物や虫にとって闇という世界は必要不可欠だわ。けれど、光もそれは同等で、人間で言えば光は行動。闇は休息。光と闇でこの世に生きる生命体は、役割を使い分けている。そして大抵の堕人にとって、闇は彼らの動きを活発にさせる―――」


「――っ!」


 すると突如、悲鳴が聞こえた。獣のような雄叫びは何かに対する威嚇。しかし、その咆哮は瞬時に閉じられ、男性のどうにもならない叫び声に変わる。近くで男の断末魔が聞こえた。二人は、怪訝な顔になって生が死に変わった現場に駆けつける。絶命の声は林道の向かい側からだ。幾つにも連なる林を掻い潜って隣道に移った。だが、甲斐なく辿り着いた時には遅かった。


 雲に隠れた月が露わになって辺り一面を光が照らす。


「ちっ」

「一体何処に」


 零は、周りを見渡すが、堕人と思しき姿は何処にも見当たらない。ましてや遺体と思しき姿もない。なら、分かることはただ一つ。敵は姿を消すことに長けているということだ。


「相変わらず瞬時に姿を消すのが上手ね」


 零は視線を下にずらして、手掛かりを探っていると何かが落ちていた。


(あれは、何だろう?)


 零は、キラキラ光るものに目がつられて視線の先にあったものを確かめた。それは紅い宝石であった。地面に転がる一滴の赤いルビーが、月の明かりで照らされ眼中に飛び込んでくる。――血だ。


「神島さん、血です」

「……」


 神島は、片膝をついてしゃがみ、指先で血の感触を確かめる。


「血が固まっていない。まだ新しいわ」


 新鮮な血の状態から見るに、まさに此処で人が襲われた。いや、攫われたと言った方が正しいのだろうか。血の痕跡が一滴だけだなんておかしい。喰われればきっともっと多くの血が流れるはず……。零は自分なりに推測する。


「でも一体どうやって姿を隠したんでしょうか? 堕人の姿もましてや被害にあった人も未だ見つからないなんて」


 神島さん曰く、ここ一か月で被害に遭った人数は二人。今回を合わせると三人で、大天使の彼女が手こずる様子から当然、遺体もましてや堕人の姿も確認できていない。そして、今回の堕人は、先ほど神島さんが言ったように夜中に活動する。


「異能術だわ。何か手掛かりを探すしかない。零、今日はもう遅いわ。帰りなさい」

「でも」

「この辺り真夜中になると、もっと暗くなるわ。それに今日は月の光が頼りにならない」


 鈍色の空を見上げる。先ほど上空の雲の隙間からチラチラ垣間見えた月光は、分厚い雲で途絶えかけていた。


「新たな被害者も出ているし、私はもう少し手掛かりを探るわ」

「なら私も一緒に」

「だから今言ったけれど――」


 否定の言葉が返ってくる前に、自身の言葉を差し込んだ。


「私も神島さんと同じ天使です。それに犠牲になった人を残して、大人しく帰ることなんてできません」 


 弟子の頑なに構築された意志を崩すことができないと諦めた師は、仕方なく応じた。


「はあー、わかったわ」


 それから一時間後、完全に月は身を潜め、光は途切れた。ここまでくると巡回どころではなくなり、とりあえず二人は、林道を抜け数本の街灯が建つ市街地にひとまず身を置いた。零は、光があることに安心感を覚える。神島の言葉を使うなら正しく自分はこちら側の生命体なのだろう。


「何か気になることはあったかしら?」


 あれから捜索にあたったが、結局、手掛かりになることは見つからない。きっと、仮にあったとしても何処までも色を濃くさせる闇のせいで見落としている可能性が高い。――いや違う。すでに敵が残した証拠があった。これまで形を残さずに実行してきた堕人が残した、決定的な証拠が。


「今まで何の証拠も残さなかった堕人は、あの場に一滴の血を零しました」

「……一滴の、血ね。確かに三人の被害者は、誰もが聞こえるぐらいの叫び声を上げてはいたけれど、今回は血という形となる証拠を残して現場を後にしたわね。きっとその血は堕人の身に想定外のことが起こった表れなのかしら。被害者の方は、誰も今日、自分が死ぬとは思わず真っ暗になった帰路に就く。そこに唐突に現れた死に直面すれば、必死に抗おうとするでしょう。普段なら上手く実行できたことも想定外なことが起これば、化け物でさえ戸惑うはず。ましてや堕人も元は人間だったのだから」

「でも身を隠しているせいで、敵の居場所が分からない以上、どうすれば……」


 零が難しい顔をする中、神島さんは一滴の血から考えられる一つの推測を立てた。


「そうね。遭遇しない限り何とも言えないけれど、おそらく敵は未熟だと思うわ。人間界では二度あることは三度あるっていう諺があるようだけれど、考えてみればこれまでの被害者全員が悲鳴を上げているあたり、戦い慣れしていないように思える。それに水滴のような血を残すあたり、鋭い針のようなもので攻撃をしかけている。今回の場合、殺さざるを得ない状況に追い込まれ、仕方なく鋭利な細長い針で、脳やら心臓やら一刺ししたのかしらね。一つの可能性として敵である堕人は、子どもである可能性が高いわ。なら堕人と言っても心はまだ幼い。そこに付け入る隙があると思うわ」


 確信はできないけど、可能性はあると思った。一つの可能性を頭の片隅に入れて零は頭を縦に振った。


「けれど今日はもう暗すぎて捜索できたもんじゃない。また明日巡回するわ」

「分かりました」

「そうと決まった以上、早く家に帰った方がいい。親御さん心配しているわ」

「はい、そうします」


――――――


 袴から浴衣に着替え終え家に着くと、案の定、母が玄関前に立っていた。怒られると思った零は謝ろうと口を開くが、母は一言よかったと呟き、何かを決心したかのように肩に手を添えて目を合わせた。


「母さん?」


 いつもと何だか違う母の振る舞いに戸惑い出す。


「何をしていたか突き止めることはしない。お母さん、あなたがこうして家に帰ってきたことが凄い嬉しいの」


 零はただただ、うん、と返事をすることしかできなかった。だって、この言葉は自分に言われているようで言われていない。母は何処か違うところを見ている気がした。それにこの台詞はまるで、あの日を境に帰ってこなくなった父親に宛てたかのようだったから。


 父さんは、当時五歳の時、行ってくる、と言ったきりその姿を見かけることはなくなった。正直どんな顔と声であったか、今はあまり覚えていない。ただ幼い自分が寂しいと感じることがなかったのは、きっと傍らに安心できる大きな背中と温もりがあったからだと思う。


 ――ベッドに入ったのは午前一時。こんな夜遅くまで起きているのは初めてで、自室に入ると疲れと安心からかすぐに眠りについた。

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