8 遺跡探索2

「くっ……うう……ふあぁ……ぁ……」


 ユリンの口から断続的に漏れる、艶めいたうめき声と喘ぎ声。

 苦痛とも快楽ともつかない、声。


 その全身が、蜃気楼のように揺らめいた。


「ユリン──!?」


 彼女の体が──輪郭が空間に溶けるように曖昧になる。

 肉体というよりも、まるで霊体のような。


「ユリンちゃん!」


 シアが悲鳴を上げた。


「うぅ、ああぁぁあああああおおおおおああぁぁぁぁぁあぐるぅぅぅぅぅああああああああぁっ……!」


 ユリンの絶叫が、弾けた。

 清楚可憐な少女らしからぬ、獣のような雄たけびだった。


 一瞬の後、彼女の姿はふたたび輪郭を取り戻す。


 元の、メイド服姿の美少女へと。


「大丈夫か、ユリン……?」

「ユリンちゃん……!?」


 俺とシアは恐る恐る声をかける。

 ユリンはハアハアと荒い息をついていた。


「クロム様、シアさん……」


 俺たちの方を振り向いたユリンは、不安げな表情を浮かべていた。


「私、何か変わりましたか?」


 その目が、異様に鋭い眼光を発している。


「私、まだ人間の姿をしていますか……?」

「いつものユリンのままだ」


 俺は彼女を安心させるため、力強くうなずいた。

 隣でシアもうなずく。


 とはいえ、内心では不安感もあった。

 外見こそ変わらないものの、人ならざる者の発する瘴気のオーラがかなり濃くなっているように感じる。


 この遺跡の影響なのか……?


 だとしたら、ユリンには離れた場所で待っていてもらった方がいいだろうか。

 それとも──?


 ヴァレリーの弟子であるマイカとの戦いの中で、ユリンは致命傷を負った。

 俺は彼女を【従属者】にし、【魔人化】のスキルを付与することで、失われようとする命をつなぎとめたわけだが──。


 本当に、それでよかったのか?

 今さら気持ちが揺らいでしまう。


【魔人化】は完全永続スキルであり、解除はできない。

 つまりユリンは永遠に魔人のままである。


「そんな顔をしないでください、クロム様。よけいな気を遣わせてしまいましたね」


 ユリンが寂しげに微笑んだ。


「私は大丈夫です。お二人のおかげでだいぶ気持ちが落ち着きました。そうですね……これを機会と思って、遺跡を進んでみたいです。私の中で何が起きているのかを、確かめるために」

「一緒に行こう、ユリンちゃん」


 シアがにっこりと微笑む。


「あたしたちは仲間だし、友だちだよ。あなたがどう変わろうとも」

「シアさん……」

「そうでしょ、クロム様?」


 シアが俺に同意を求める。


 仲間……か。


 あの日、ユーノやイリーナたちに裏切られて以来、俺は諦めていた。

 もう二度と、誰かを深く信じたり、愛したりすることはないだろう、と。


 俺の中の心の一部は、もう死んでしまったんだ。

 愛や友情、そういう綺麗なものは全部なくなってしまった──。


 そう思っていた。


 だけど、シアやユリンを見ていると、胸の奥に温かいものが広がっていくような感覚がある。


「そうだな。一緒に行こう」


 肚は決まった。


 俺はユリンに、そしてシアに向かってうなずく。


「仲間をここで見捨てることはしない。見放すこともしない」


 もしかしたら──。

 俺はもう一度、人を想うことができるようになるのかもしれない。




 遺跡に入って数分、ユリンが突然立ち止まった。


「クロム様、シアさん、前方におかしな場所があります」


 ユリンの双眸が深紅の光を宿す。


「そこだけ魔力の流れが明らかに違う……たぶん、魔力で迷彩化された隠し通路があるのではないかと」

「隠し通路……?」

「あたし、見てきます」


 シアが前方へと走る。


 その両足に黒いブーツが装着された。

 両くるぶしの位置には翼を模したパーツがある。

 彼女のスキル【加速】を発揮する際に現れる装具だ。


 シアが一直線に突き進んだ。


 恐れも、迷いもない。

 こういうときは、もっとも近接戦闘能力に優れた自分の出番だとばかりに。


 もちろん、もしものときのために俺から10メートル以上離れないようにしている。


「あ、本当だ。床の一部が動きます。下に階段があるみたいです」


 と、シアが足を止めた。


「すごーい、ユリンちゃん」

「うふふ」

「ユリン、君は──」


 俺は驚きを隠せず、ユリンを見た。


 以前のユリンにはそこまでの魔力知覚能力はなかったはずだ。

 やはり、彼女の中で何かが変わり始めている……。


 とはいえ、今はまず進むことだ。

 原因不明のまま放置するよりも、リスク承知で踏みこみ、その原因を突き止める──それがユリンの望みでもあるのだから。


 俺たちは地下通路を進んだ。


 ほどなくして、最深部へとたどり着く。

 天然の鍾乳洞を利用しているのか、巨大な空洞があり、その奥に二つの巨大なシルエットがあった。


 いずれも、モニュメントだった。


「これほど強力な【闇】を宿した人間が来るとは珍しい」

「どうやら『供物』の神殿に眠る呪法『闇の鎖』の影響を受けているようだ」


 二つのモニュメントから声が響いた。


 こいつは──。

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