第139話こんな世界を望んでいたのかな?
「正人さんが言うなら安心ですね」
体から緊張がいっきに抜けた里香は、シートに寄りかかる。車内は暗く表情は見えないが微笑んでいるようにも見え、言葉ではなく本当に安堵しているようだ。
このタイミングなら言ってもいいだろう。
隠すより危機感を共有した方がいいと思った正人は、先ほどの通話について話すと決心する。
「ユーリさんから重要な話を聞いたんだ」
「重要な? ですか?」
シートに寄りかかったまま首を動かして、里香は正人を見る。いつもと変わらない柔らかい表情をしているが、目だけは鋭い。これから話される内容が冗談ではないことが、伝わってくる。里香はゴクリとつばを飲み込んで、静かに続きを待つことにした。
「どうやらモンスターは地上に出ると自然交配するようになるみたい」
「え、それって、放置してたら数が増えてしまうってことですよね」
「うん。捕まってないモンスターは多いし、繁殖スピードは速いらしい。被害は今以上に拡大すると思う」
ニュースを聞いた当初、里香は逃げ出したモンスターだけを倒すだけだと、楽観視していたが、正人から告げられた事実を聞いて甘い考えだったと思い知らされた。
状況は、自分、いや世間の予想を大きく超えるほど悪く、解決する未来が見えない。
「そんなことになったら……安全な場所はなくなりますね……」
「特に地方、田舎は酷いことになると思う。人が安心して住める場所ではなくなるかもしれない」
少子高齢化が進んだ結果、田舎は老人だけが住んでおり放棄された村や集落も多い。数日連絡がつかなくなっても誰も気づかないだろう。人型のモンスターにとっては、エサと生活場所に困らない理想的な環境なのだ。
もう、地上にモンスターがいなかった世界には戻れない。すべてを撲滅させるのも難しい。
モンスターのいる日常が普通となってしまうのは、避けられないのだ。
「だから、大切な人がいるかって聞いたんですね」
「うん。被害が小さい内に、避難した方がいいと思ってね」
「だったら、大丈夫です。大切な人たちは手の届く範囲にしかいませんから」
里香はそれを寂しく感じたこともあったが、今は身軽な自分に感謝していた。
「わかった。とりあえず家に帰って、今後のことを考えながら冷夏さんたちの問題を解決しよう」
「はい」
返事を聞いてから、正人は車を発進させる。
警官や探索者と思われる人々が街中を監視しているなか、普段よりもゆっくりと車を走らせて自宅に向かって行った。
◇ ◇ ◇
モンスター出現による混乱は収まらず、むしろ広がっている。最初は東京だけであったが、今は全国各地でモンスターの被害が発生しているのだ。
他人事だとSNSで騒ぎ楽観視していた人々も、山奥にある限界集落の住民が全滅したというニュースを見て、恐怖を煽るような投稿ばかりになる。
一連の騒動を収めるために探索協会は、探索者に強制依頼を出して山に逃げたモンスターを探してはいるが、進捗は思わしくない。逆に返り討ちに遭って死亡する探索者まで出てしまう状況だ。
モンスターの脅威を思い出した人々は、平静ではいられない。
インターネット上では様々な陰謀論が出回り、探索協会への責任を追及する声が日々高まっている。
緊急事態宣言も発令されて、不要不急の外出も控えるように政府からお願いがされた。外食産業などは経済的なダメージを受けるだけではなく、畑を荒らすモンスターによって農家にまで影響が出始めており、さらに世界各地で日本への渡航禁止令が出てしまう。
世界はモンスターが地上に出てしまった最初の事例として、参考にしているだけ。手を出すことはない。
日本の経済は大きく後退していた。その責任を取らされるのは政府や探索協会だけでない。モンスターたちを排除しきれない探索者にまで向かっていた。
「ユーリさんは、こんな世界を望んでいたのかな?」
車を運転する正人が呟いた。
助手席には里香が座っており、外を鋭い目で見てモンスターの出現を警戒している。
「わかりませんが、ワタシには間違っているように思えます」
「私も同じ意見だよ。結局、被害を受けているのは普通の人ばかり。協会は批判されているけど、たいしたダメージは受けてない。復讐は失敗だったんじゃないかな」
と、正人は言ったものの、ユーリは失敗したと思っていないという確信があった。
理不尽な依頼で仲間が死に、看取ってきたユーリの恨みは根深く、倫理観など紙くずのように吹き飛んでいる。探索協会を破滅させるまでは、どのような犠牲が出ても自分を正当化して過激な行動を続けるだろう。
重い空気になった車内は静かになった。これから英子と話し合いが始まることもあって、気軽に話す気分にならず二人は黙ったままだ。
緊急事態宣言が発令されていることもあって、車道を走る一般車はほとんどない。代わりにパトカーや救急車、また自衛隊の車両を見かけることが多かった。
物騒になった都内を走り続けること、約三十分ほどで冷夏たちの住む家に着く。近くではサイレンが鳴っていて、自然と恐怖心と警戒心が湧き上がってくる。
双子の実家は大きな一軒家。二階建てだ。小さいながらも子供が遊べそうなほどの広く庭もあり、都内にあることを考慮すれば高額で売れそうだ。
近場の駐車場に止めた正人は、里香と共に玄関前に立つとインターホンを押した。
「はーい」
応対に出たのは冷夏だ。
慣れ親しんだ声が聞こえて、正人は少しだけ緊張感がほぐれた。
「正人です。例の件でお話に来ました」
「あ、ありがとうございます。すぐにいきます」
インターホンから出ていた声がブッと途絶え、しばらくすると冷夏がドアを開けてくるだろう。
借金の件で英子と話す約束は取り付けているので、彼女が不在ということはありえない。
これから大切な仲間の自由を奪い返す話し合いが始まろうとしていた。
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