第111話美味しそうですね
宿の部屋に入った正人は、足を止めて周囲を見た。
床に使っている木の板は黒く変色しており、ひび割れや穴がある。一歩足を前に踏み出すと、床がギシギシとなって抜けるかもしれないといった不安を煽る。
壁は薄く、隣の部屋に入った里香たちの声がうっすらと聞こえるほどだ。何を喋っているかまではわからないが、楽しそうに話しているといった雰囲気は伝わってくる。また一応、壁紙はあるのだが全体的に黄ばんでおり、赤黒く変色しているような箇所もある。血痕だったらいやだな……などと、正人は思っていた。
幸いなことに部屋の大部分の占めているベッドのシーツは白く、清潔感はある。ダニ等が潜んでいる可能性は低そうで、寝るだけなら問題ないだろう。
「部屋は問題なし、か」
罠感知のスキルを使っても反応はない。
ここで何かが仕掛けられているということはなさそうだと、正人は安堵した。
晩ご飯を取るには少し早い時間だ。今日はこれ以上、探索するつもりはないのでベッドで横になって仮眠することもできるが、時間は有効に使いたい。正人は荷物を持ったまま部屋を出ることを選んだ。
里香たちが泊まる部屋の前に立つと「周囲を見てくる」と言って、宿を出る。
これから初めて訪れた補給所の様子を調べるのだ。
宿を出ると目の前には補給所のメインストリートがあった。左右に宿や飲食店が並んでいる。店との間にある細い通路に入ると、探索者が勝手に開いている露店が並んでいる光景が見えるはずだ。そこでは、先ほど門番と正人がやりとりしたように、物々交換で魔石やドロップアイテムを手に入れることが出来る。
メインストリートを歩く正人は肉の焼く匂いにひかれて、東京ダンジョン内で唯一の屋台に入った。
屋台の店主は坊主頭にタオルを巻いた四十台の男性だ。笑顔で正人を歓迎する。
「いらっしゃい」
魔石で動作するコンロの上で、串に刺さった鶏肉が焼かれている。茶色いタレがたっぷりとついていて、香ばしい匂いが辺りに充満していた。
「美味しそうですね」
「だろ! 地上から取り寄せたばかりの鶏肉だ。新鮮だぞ!」
保存食ばかりを食べていた正人は、焼き鳥から目が離せない。口の中から唾液出てきて、ゴクリと飲み込む。食欲は抑えられなかった。
「いくらですか?」
「一本、1200円だ! 地上より高いが、ダンジョン内で温かい料理が食べられると思えば安いぞッ!」
モンスターと戦いながら九階層まで食料を運んだと考えれば、高い料金も納得できる。また持ち込んだ保存食の消費を抑えられるので、値段以上の価値はある。とはいえ、保存食には余裕があるので購入する必要はないのだが――。
「一本ください」
今回は食欲に負けてしまった。
節約を心がけている正人であるが、軟骨を一本頼んだのだった。
「毎度あり! 探索者免許を見せてくれ! 後で協会経由で請求する」
宿と同じように、ここでもクレジットカード代わりに探索者免許が使われている。正人は探索者免許を取り出して店主に見せると、免許番号を記入した。
会計処理が終わると店主は串を手に取るとそのまま正人に渡す。受け取ると、すぐに口に入れた。
コリコリとした感触が心地よく、ずっと噛んでいたくなる。タレのほんのりとした甘さと、肉を炙った香ばしさが鼻孔を突き抜けた。普通の味に飢えていた正人を満足させるには十分な味だった。
「美味しい」
「他にも冷たいジュースがあるぞ。飲むか?」
商魂たくましい店主は魔石で動く冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。コップ一杯で500円。ペッドボトルだと1200円もする。非常に高価なのだが、焼き鳥を食べて地上の贅沢な暮らしを思いだした正人は拒否できない。喉が渇いていることもあって、購入してしまう。
「それも一つください」
「はいよッ!」
コップを受け取って一気に飲み干す。人工的な甘味が正人の口内に広がった。
先ほど食べた串と手に持ったコップを返す。
「ごちそうさまでした」
「おう! また来てくれよな!」
こうして探索協会の狙い通りにお金を消費した正人は、屋台を出ると今度は探索者の露店エリアに入っていた。
レジャーシートの上に、魔石やドロップアイテムを置いただけの簡易的な店が点在している。アイアンアントの外殻やビッグトードの油などのドロップアイテムが置かれており、値段の代わりに交換するアイテムの名前と分量が記載された紙があった。
大抵の場合、商品は魔石と交換することになる。アイアンアントの外殻であれば、九階層に出現する魔物の魔石十個といった具合だ。
露店を出している探索者は、かさばるドロップ品を魔石に変えて持ち帰る量を増やしたり、狙ったドロップ品を安く手に入れるために魔石と交換する探索者の姿が、ちらほらと見える。
正人はそんな中を目的もなく歩いているだけだった。
今回は補給所の雰囲気を確認するだけなので、どういったドロップ品や魔石が露店に出ているのか、それさえわかればいいのだ。
数も少ないこともあって数十分程度ですべてを見終えてしまう。
他にすることもないので、正人はホテルに戻る。ドアを開けてエントランスに入ると、里香たちとそれを囲む四人組の男性の姿が目に入った。
怯えている冷夏やヒナタの代わりに里香が前に立ち、四人を相手に何か話している。
険悪な雰囲気ではないが三人は困っている様子に見えたので、正人は状況を確認するために間に入ると決めた。
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