p.117 試験

 

 シバの自宅は古い造りながらも手入れが施されており、セトは数ヶ月前に初めて足を踏み入れた場所だと言うのに妙に安心感を覚えていた。元々住んでいた場所が貧しく、育った孤児院も同じように貧窮しており家屋は貧相かつ年季の入っていたところであった。だからか、シバの自宅の佇まいが妙に心地よかった。


 ルーシャとともに仕事が終わって帰ってくると、シバが三人分の食事を用意してくれている。居候なので出来る家事は行うようにしているが、夕食の準備の時間は費やすことが出来ずシバに頼んでいた。


「ただいま戻りましたー」


 慣れた様子でルーシャとセトはシバの自宅に帰宅する。 ルーシャにとって慣れたとはいえ、シバはやかり頭が上がらない存在であり、スパルタ修行の記憶が強い。妥協を許さず、一時も気の抜けない修行の日々は確実にルーシャの体に染み付いており、だからこそ卒なく仕事をこなし、咄嗟の対応もすることが出来ている。呼吸ひとつ、仕草ひとつ、感情ひとつを動かすことでさえシバの前では緊張してならなかった。


「おかえり。ルーシャ、セト、そろそろ良い頃合じゃないかね」


 食卓にはすでに食事が並んでおり、ルーシャとセトはありがたく食卓に座る。暖かい豆のスープ、野菜と肉の煮物、春野菜のサラダ、シバお手製のパンやピクルスなどの副菜が食卓に並ぶ。疲れた体に食事の匂いはそそられるものがあり、セトはシバの話よりも食事に目がいく。


「確かにそうですね、実力的にも申し分なさそうですし。・・・ただひとつ疑問が」


 同じく食卓を囲むルーシャはシバから1枚の紙を手渡され、その内容に頷きながらも疑問が浮かぶ。

 ルーシャは食事に飛びつきそうなセトに紙を渡し、シバに向き合う。


「え、試験?もう受けちゃって良いの?」


 手渡された紙には「魔法術師試験」と書かれている。セトは驚いたようにルーシャとシバを見つめる。セトがルーシャのもとで修行して、まだ半年ほどしか経っていない。もっと学ぶべきことがある。


「基本的なことは全部教えてるし、ある程度の応用技術もある。私が教えることって多分もうないし」


 頷きながらルーシャはそう告げる。経験不足はこれから自ら経験を積んでいくしかない。


「なんだね、ルーシャの懸念点は」


 食卓に座り、シバは一口スープを口にする。ルーシャもありがたく暖かい食事を口にする。


「セトはまだ未成年です。その場合って合格したらどうなるんですか?」


 ルーシャが一人前の魔法術師になったとき成人していた。そのため魔法術師となって仕事の受注なども自分一人で行ってきていたが、銀行口座やその他仕事に関しても未成年一人ではできないことも多い。


 セトは現在14歳である。成人の年齢は国によって異なるが、セトの戸籍は現在魔力協会にある。魔力協会において成人は18歳と定められている。もし試験に合格しても、今年誕生日を迎えても、まだ3年セトは未成年の期間が生じる。


「ルーシャとセトは協会公認の師弟だから、セトが成人するまでは自動的にルーシャが後見人とみなされるよ。後見人の承認やら許可やらが必要な時に連絡が来るはずだよ」


 シバの説明にルーシャは「はー、なるほど」と呟き、改めて魔力協会の制度の充実さに驚きを隠せない。

 実際、魔力協会には少ないながらも未成年の魔法術師は存在している。最年少で魔法術師になったのは10歳だという記録もあるが、ルーシャの生活とはかけ離れた存在だと思っていたため今まで未成年魔法術師のことは考えたこともなかった。


「合格後、どうするのかは本人の考えによるもんだしね。一人立ちして経験を積むのか、成人するまで師匠のところで学び続けるのか」


 目の前で話を聞きながらも食事に夢中になっているセトにシバは目を向ける。ルーシャも肉を頬張るセトに目を向けるが、当の本人は自分のことなのに気にしている様子がない。育ち盛りの少年の胃袋は底なしで、特に最近は良く食べる。細身なセトの体のどこにそれだけの食事が入るのか不思議だった。


「俺は知らないことばかりの世界を見ていきたい。シスターといれば色んなことを知れるだろうけど、俺は俺の目で生きてる世界を知りたい」


 変わらずに料理を頬張りながらセトは思いを口にする。あまりにもあっけらかんとした物言いに対し、その内容は考え抜かれた意思を感じルーシャは思わず口元が緩む。

 普段から率直な意見や飾らない言葉で、時に真理をついてくるセトに何も言えなくなる。あまりに真っ直ぐなその視線にルーシャでは応えられないことも多い。


 セトのその思考は生きていく中で、セト自身を苦しめることがあるかもしれない。


「本人がそう言うなら、やってみたらいいんじゃない。身元引受けとかの連絡が来ないことを祈っとくけどね」


 魔力の存在を徹底的に否定され、悪とさえ教えこまれていたセトにとって、自分の存在はあってはならないものなのかもしれなきと思う日々が多かった。その教えが、考えが世界の全てだと思ってきた日々の中、魔力の存在を肯定し、自分の可能性をルーシャは見出してくれた。見せてくれた世界は明るく、美しく、驚くほど広かった。自分の信じていた世界があまりにも小さく閉塞した場所だと、その時初めて知ることが出来た。


 そこからは学ぶことが多く大変な毎日だったが、ひとつ知る度に知らないことがどんどんあることに気づくのは新鮮で楽しかった。人の数だけ思いもあれば考えもある、そこにはそれぞれの正義があり理屈がある。セトが教えこまれてきた考えなど、その中では小さなものでしか無かった。世界の広さに愕然とする時もあったが、その世界を知ることでしがらみのような思想の枷が解き放たれた。


「迷惑かけないよう気をつけるけど・・・、何かあってもシスターなら文句言いながらも助けてくれるだろうし」


 変わらず食事にありついていたセトは笑ってルーシャを見返す。屈託のない笑顔と真っ直ぐな瞳に、ルーシャは驚きながらも首を縦に振らざるを得なくなる。ため息混じりに笑うルーシャに、シバは静かに口元を弛めめながらルーシャとセトを見つめる。



(後世が育っていくのは何度見ても嬉しいもんだねぇ)



 賑やかな食卓を囲みながらシバは二人の若い師弟を見つめる。






 * * *



 二週間後、セトは魔法術師試験に挑む。

 一日目の筆記試験に送り出したルーシャは特にすることがないので、思想本部の魔力街で時間を潰すことにした。ここ3ヶ月はセトの実践能力強化のため次々と仕事をこなし、難易度もどんどん上げていったことに伴い報酬も上がっていた。セトと共同で働いたので手取りは半分ずつだったが、それでも3ヶ月間特に大きな買い物もせずに仕事ばかりの生活だったため、手持ちに困ることは無かった。


 そんな状況であえて仕事をする必要もなく、ルーシャはぶらぶらと店が並ぶ通りを歩く。この春流行している服や食べ物を見ながら時間を潰していく。


(そっかー、セトいなくなるのかー)


 ふと、店のガラスに映る自分一人の姿を見てルーシャは改めてこれからのことを実感する。

 いつの間にか、そこにいて当たり前となったセトという存在は当たり前ではなくなる。一人前の魔法術師になって日が浅い中、弟子を持つことに不安はあった。しかし、そんな不安は慌ただしくも楽しい日々に打ち消されてきった。


 誰かに何かを教えることをしたことはなく、誰かの面倒を見たこともなかった。年上の人間との関わりは多くあったが、年下の子との関わりはほとんどなかった。セトとの日々は新鮮で、分からないことだらけで、正解なんてなかった。教える度にそれでいいのか、セトに質問される度に適切な答えは何なのか考えてばかりだった。ルーシャの知っていることが絶対に正しいとは断言できないし、セトの知りたいことに対するもっと適当な答えがあるのかもしれない。


 悩んで、考えてばかりの半年だった。


 不思議と、セトがひとり立ちすることへの不安はない。何かあってもそれなりに対応するだろうし、無茶はしなさそうだし。ルーシャよりもずっと貪欲にたくさんのことを知りたがる姿勢は、きっとセトの世界を広げる。



「お嬢さん一人なら、ちょっとお付き合い願えるかな?」



 ぼんやりとしていたルーシャの元に誰かの声が聞こえる。店のガラスごしに声の主をみつけ、ルーシャは思わず笑ってしまう。


「なに、そのナンパ調」


 ルーシャの隣にたっていたのは、久しぶりに会うリルトだった。色々と多忙で会議三昧かつ、世界中を駆け回っているという噂を耳にしていた。リヴェール=ナイトとリルト、そしてあと二人いる禁書に封じられていた奇術師たちが、これからの世界の動向や生じうる問題について話し合っていた。禁書の奇術師のひとりは、もう魔力を封じて普通の生活に身を投じていたが、どうしても知恵を借りる必要があったという。


「激務三昧だったから、息抜き付き合ってくれよ」


 三ヶ月前にリルトは会長・フィルナルから直々に、覇者の覚醒に備えた対策室のメンバーに推薦された。それから多忙ではあったものの、実はセトが高等部の授業でいない時などにルーシャと会うことが多々あった。この三ヶ月のルーシャの仕事はセトの実力向上のためのものであり、特に一人でなにか仕事をすることも無く、フィルナルから新たな任務を言い渡されることも無く時間のゆとりがあった。


 そして、リルトは思想本部に泊まり込み仕事三昧だったため息抜きにルーシャをランチやカフェに誘うことが多かった。

 リルトは封印される前の年齢が21歳で、ルーシャは少し前に19歳になったところでお互いに年齢が近いこともあり打ち解けるのに時間はかからなかった。


「その調子だと、リルトが次期大魔導士様かもねー」


 詳しくは知らないが、その昔は禁術まで手にできるほどの奇術師だったというリルト。禁書に閉じ込められてからも信じられないほどの魔法術を施行してきた。その魔法術はちょっとやそっとで成せるものではなく、膨大な知識と技術と経験が必要となる。


「俺なんか大魔導士じゃねぇよ。シバの婆さんみたいな魔導士なんて、この先そうそう現れないだろうし」


 二人で歩き出しながらリルトはそう言う。

 シバは大魔導士であり、その実績も甚だしい。ゆえに人々はグロース・シバと呼び敬っている。リルトのように婆さん等と呼ぶ人は非常に少ない。軽口を叩くことが出来るのも、ルーシャの知らない膨大な年月を生き、多くの偉人と関わってきた経験によるものかもしれない。


「で、今日はどこに行くの?」


「この前、同僚の魔導士に美味い店教えて貰ってさ。行こうぜ」











──────────



早くもセトが魔法術師試験を受けることになった。

早いなー。

ついこの前、出会ったばかりなのに。


セトは何でも勉強して、自分の考えも持っていて、高みを目指して・・・私には無いものばかりを持っている。

積極的で好奇心が旺盛だから、セトといて本当に毎日が刺激的で楽しかった。


いやーでも、一人の後輩を育て上げたという達成感みたいなのは全くないなー。


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