p.115 この先へ
ルーシャはひとつの魔術を発動させる。
ひとつの願いを叶えるため、ひとりの命を救うための魔術。それをつくりあげるのは想像を絶する難しさがあった。ルーシャ一人では到底成しえないほど、ガラスの魔術は難しいものだった。
ひとつひとつの神語を丁寧に組み立て、読み上げ、術の発動のために必要な量の魔力を消費し、術を完成させるために必要な魔力の属性を過不足なく完璧に配合する。
自由度の高い魔術だからこそ、願いを叶えるための術者の力量が問われる。
リルトと共に築きあげた神語が、ルーシャが練り上げた魔力が反応を示し魔術が発動する。目には見えない文字がほのかに光り、神語構造に則り魔力が変化していく。
ガラスの魔術が対象者であるリヴェール=ナイトを取り巻き、その体を覆ってゆく。リヴェール=ナイトは己を包むルーシャの魔力を感じながら静かに瞳を閉じる。穏やかで暖かく物怖じしない──そんな魔力がリヴェール=ナイトの体の中に入ってくる。他者の魔力が自分の中に入り込むと、本来は言いようのない違和感や気持ち悪さを感じる。
しかし、今回は不思議とルーシャの魔力がすんなりとリヴェール=ナイトの体に馴染む。ファントムの魔力を補填してもらった時でさえ多少の違和感があったのに、ルーシャの魔力は最初から自分の体の中にあったのではないかと言うほどリヴェール=ナイトに馴染む。
そのままルーシャの魔力が溶け込みながらリヴェール=ナイトの身体を変えていく。長年の強く禍々しい魔法術によってボロボロになったリヴェール=ナイトの身体は、目には見えない傷と汚れで溢れている。禁術に近い強い魔法術は本来、ひとの身体には強すぎて耐えることが出来ない。しかし、リヴェール=ナイトは竜人ノ民であり、人間と同じ容姿をしながらもその身体は人間よりも丈夫であった。また、長年の強い魔法術に耐えるための強化や保護の魔法術も使用していたこともあり、リヴェール=ナイトは有り得ないほどの長い年月を耐え続けてきた。
ルーシャガラスの魔術は、身体の内にある傷をひとつひとつ優しく覆い、癒し、縫うように繋げて治していく。身体中のあらゆる箇所の些細な傷さえもルーシャの魔力が見つけ、ひとつも残さずに傷を癒す。
さらに身体の中に溜まった淀んだ汚れも、拭って清められる。リヴェール=ナイトは身体が浄化されていくたびに体が軽くなり、息を吸うだけでも清々しく感じる。汚れが清められる度に、重い鎖がひとつひとつ解かれていくかのように感じられる。
そうして自分の身体なのに、まるでまっさらに生まれ変わっていくかのような感覚に身を投じたリヴェール=ナイトは意識を失い眠ってしまう。不思議と暖かく心地よい感覚に、寝入ってしまったという感覚もないまま、自然と深く眠る。
「美しいですね」
積み上げ築き上げられた神語に、練り上げられ過不足なく配置された魔力とその属性に、展開された魔術の効果に──ファントムはそう感想を漏らす。
神語は竜が眠った後に、魔力協会の初代会長・イツカが創り上げた魔法だった。そのため、竜は神語による魔法術の使い方を知らない。しかし、魔力を組み立てることで意味を成し言葉を形成していることはすぐに分かった。
人間の編み出した魔法術は神語で成形されている。研究し、計算し、編み出された魔法術とそれを発動させるための神語構造は美しい。規則的な構造もあれば、一見無秩序にさえ見えるものもある。そんなものが並べられ、折り重なり、立体的に並ぶ様は芸術のようでもある。
「かなり神経すり減らして、めちゃくちゃ丁寧に組み上げてるからな。もうこんな魔術創れないな」
ファントムの言葉に共にガラスの魔術を完成させたリルトが感情を込めて口を開いた。その声からは苦労だけではなく、今後もうこの魔術に関わりたくないという強い思いも感じ取られる。今まで数多くの難解な魔法術を仕掛けてきたリルトの強い感情と言葉に、セトはいかにガラスの魔術が難しいものなのかを痛感する。
* * *
ルーシャがガラスの魔術を展開した翌日。
いつの間にか眠りについたリヴェール=ナイトが目覚める。目覚めたリヴェール=ナイトは自分の体から自分の魔力を感じ、当たり前のことなのに不思議に感じてしまっていた。
身体の中にあった傷や汚れは一切なくなり、魔力がまた身体中を巡り留まっている。
「良かったです、成功して」
リヴェール=ナイトが心配で、一晩中そのそばに居たルーシャは目覚めたリヴェール=ナイトとその体の状態を確かめて安堵の表情を浮かべる。青い瞳が小さく揺れ、小さく吐息が漏れ出る。
「あなたのおかげで助かった。本当にありがとう」
目が覚め起き上がったリヴェール=ナイトは深々とルーシャに頭を下げる。
「私がしたのは、その体の傷を治しただけです。この先、リヴェール=ナイトさんが使っている術による副作用とか、またその術に耐え続けて新しく出来た傷とかは手出しできません」
ルーシャが施したのは、長年の強い術による傷ついた体の修復だった。これから先、新たな副作用による傷は癒すことが出来ない。それに長年の強い術を使ってきた反動がどこでくるのか分からない。今回のことは長く強い術を使用してきたことによる肉体の限界であり、術の反動や副作用ではない。
リヴェール=ナイトの施している術は非常に強力であり、術を継続している限り体が大きな力により傷つき汚れていく。さらに術が切れた時に反動や副作用が一気に襲いかかり、おそらくはそれに耐えきれず命を落とす。ルーシャの施したガラスの魔術では、それらを回避することや治すことは出来ない。
「構わない。次倒れた時、それが俺の命運と思っておこう」
静かに瞳を閉じ、リヴェール=ナイトは深く頷く。当たり前のように息を吸えば胸が上下すること、胸の鼓動が規則的に打っていること、その手に温かさがあること──ひとつひとつがどこか尊く思える。
「では、次は目覚めた時に会いましょう。リヴェール=ナイト」
静かに事を見守っていたファントムは優しく微笑み立ち上がる。今ここにいるファントムは分身のような存在で、本物ではない。
「ああ、必ず」
リヴェール=ナイトは深く頷き、ファントムはルーシャたちに手を振り部屋から出ていく。ルーシャは深々とお辞儀をしてファントムを送り出す。
リヴェール=ナイトが回復後、ルーシャたちは魔力協会本部へと移動する。あらかじめフィルナルには掻い摘んで状況報告はしていたが、改めての説明とリヴェール=ナイトの体調を気遣い送っていくことにした。
「時を動かしに行こう」
そして何より、リヴェール=ナイトのみが知っているという竜の眠りをとくための手続きをしに行かなければならない。そこへルーシャも同行を求められた。特に何かをする訳では無いが、現在の時代に終止符を打ち、新たな時代の始まりとなる出来事を〈第三者〉として知っておく必要があった。
今までその話を聞いたことはあったが、いま一つ実感のなかったルーシャは静かに緊張感が迸る。
ナーダルがルーシャに託した未来がくることは分かっていたことだが、それでもやはり夢心地に近い気持ちがあった。未来と表現することで、まだどこか他人事のような気がしていた。
しかし、いざリヴェール=ナイトを目の前にしてみると、それが他人事ではないこと、目の前にやるべきことが来ていることを肌で感じる。いつか来ると思っていたことが、もう目の前まで来ているのだと思うと漠然とした不安が込み上げてくる。
「お願いします」
痛いほどの自分の鼓動を感じながらルーシャは頷く。
──────────
ガラスの魔術を無事に完成させることが出来た。
ほんと良かったー。
あんなに細かく神語を構成するのを考えたの初めてだったし、自由度が高すぎるからどこから手をつけたらいいのか分からなさすぎた・・・。
完成したのはリルトのおかげ。
本当にありがとうございました。
リルトは凄腕の魔導士なのに、一緒にいると楽しいし刺激になる。近寄り難い雰囲気とかもないし。
知識も技術もあるから頼りになるし、色々と遊びに行って面白かったし、いてくれるだけで安心する。
これから止まっていた竜の時間を動かす。
私は今の時代しか知らないし、覇者と呼ばれる存在が実際に世界にいて、生きて、影響を与えることがどういうことかも分からない。
でもリルトがいてくれる世界だと思うと、そんなに怖いものでもないのかもしれないって思えてしまう。
・・・ひとに頼りすぎかな。
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