p.105 嵐

 

 ルーシャとセトは神の庭と呼ばれる場所にて、それぞれが亡くした大切な人の背を追いかける。

 ルーシャの視界の先にいるのは紛れもなく師匠のナーダルだった。その背中をどれだけ見てきて追いかけたのか分からない。


 誰よりも頼りになり、そこに居てくれるだけでどれだけ安心できたか。何があってもナーダルがいれば何とかなると根拠もなく思えてしまうほど、ルーシャにとってナーダル以上に敬愛する存在はない。


 必死に走り、その背を追う。

 呼びかけても聞こえていないのかナーダルからの反応はない。


 それでもルーシャは必死に追いつこうと走る。胸の鼓動が痛いほど強く感じられ、呼吸が乱れて苦しい。走っているはずなのに追いつくことが出来ず、まるで夢の中のようだった。


 あと少しでその背に追いつく。




「ちょい待ち、お二人さん」




 その背に届く前に誰かの声が聞こえ、ルーシャの左腕を誰かが強く握る。

 突然のことに驚きながらも、振り返る。


「リルト!」


 息が乱れる中、ルーシャは自分の腕を力強く掴む人物の名を呼ぶ。

 よく見れば、セトも右腕を強く掴まれている。


「なんで・・・」


 ルーシャが立ち止まり息を整えながら言えたのはその一言だけだった。何故ここにいるのか、何故止めるのか・・・思いつく疑問はいくらでもあるが、多くの言葉を発することができるほどの状態ではなかった。

 リルトは何とも言えない表情を浮かべて口を開く。


「ちょっと落ち着いた方が良いぞ、ルーシャ。お前の魔力探知なら惑わされないと思ってたんだけどな」


「・・・え?」


「ルーシャの追っかけてる奴、お前の知ってる魔力はねぇだろ」


 くいっと顔を動かしリルトはルーシャに前を向くよう促す。改めて前を向くと、変わらず見慣れたナーダルの後ろ姿が見える。リルトの言葉通り、ルーシャは再度魔力探知を行う。


「・・・マスターの魔力がない」


 今までずっと隣にいて感じてきたナーダル特有の魔力が一切感じられない。


「あんた誰?」


 突然現れた人物に対してセトは警戒心をむき出す。今にも襲い掛かりそうな勢いだが、様子を見るようにリルトを睨む。


「俺はリルト。ルーシャの友達だ。お前のことはフィルナルから聞いてるぞ、セト」


 敵意に満ちた眼差しに怖気付くことなく、リルトは笑って答える。


「でも、死んでるなら魔力なくてもおかしくないじゃん」


 腕を掴まれたままセトはそう言い、不満げな表情を浮かべている。


「魔力には基体性がある。命や魂の存在そのものに魔力があるから、死者の世界なんてものが本当にあるならそれぞれの魔力があるはずだ」


 リルトの言葉にルーシャは深く頷き、なぜそんな簡単なことに気づかなかったのかと悔やむ。


「ここは死者の世界じゃない」


 ルーシャとセトの耳にリルトの力強い言葉が響く。



「死してもなお、現世に囚われ続けている魂が集められた箱庭だ」



 そう言いリルトは二人の腕から手を離すと、躊躇うことなく魔力で神語を構成し一つの魔法を発動させる。

 それはルーシャたちの追っていた人物を攻撃する。驚くセトは講義の声をあげようとしたが、すぐに異変に気づく。


「なんだっ?!」


 目の前にいた人物の姿が、ぐにゃりと曲がり人の形を崩す。そのままそれらはルーシャたちに攻撃を行う。

 ルーシャとリルトはとっさに防御魔法を展開させ攻撃の直撃を避けるが、周囲の景色がガラリと変わり嫌な予感がする。


「セト、離れないで。リルト、どういうこと?」


 周囲を警戒して見渡しながらルーシャは魔力探知を行う。ここに来た時から魔力は感じていたが、明らかな神語は一切見つけることが出来ていない。


「かつて世界大戦が勃発してた時代、死者の魔力を戦争に活用しようとして創られたのがこの神の庭だ。戦争による死者の魂を一所に集めて捕えることはできたが、その魔力を扱うことは人間の出来ることじゃなく・・・ここは放置され続けてきたんだ」


 その口から語られる言葉にルーシャは驚く。死者の魂をこの世に留めておくこと、それらを一所に留めておくとは。それに死者の魔力を使おうという発想があまりにも倫理から逸脱しており、いかに戦争中の人の心理が常軌を逸していたのかというのが想像出来る。


「そんな創られた空間なら神語を見つけて還元すれば・・・」


 ルーシャは解決策を口にするが、相も変わらず神語が見当たらない。


「ルーシャなら気づいてるだろうが、この空間を創ってるのは神語じゃない。いわゆる古代術だ」


「・・・でも、古代術でも神語に似た構造があるんじゃ」


 ふと、ルーシャはかつて出会った古代術を思い出す。

 まだナーダルが存命だった頃、呪いを受けたことがあった。その呪いは古代術を使用しており、その中には神語のような構造があり、そこから呪いの解明を行った。


「術によるな。受け継がれてきたものなら、術が少しずつ改正されて神語やそれに近い形になってる。だが、個人の開発した術で継承されてなければ今の形とは全く違うものなんだ」


「じゃあ、ここは・・・」


「忘れられた古代術ってとこだな。ま、忘れてもらうに越したことはないんだけどな」


 リルトが解説する間に、神の庭の状況はどんどん変わっていく。

 曇天と荒廃した土地が拡がっていた世界が、今はもう世界という概念をなくしている。


 黒く渦巻く何かが蜷局を幾重にも巻き、ルーシャたちを取り巻く。もはや、ここには空も大地もない。人影も街並みも消え去り、嘔吐いてしまうほどの怨念のような感情が膨れ上がっている。


「でも、リルトがどうしてここに?それにこの状況どうしたら・・・」


 防御魔法で周囲からの攻撃を防ぐ。今のところは何とか持っているが、どれほど耐えれるか分からない。


「ま、俺の話は一旦置いといて・・・ちょっとヤバそうなのを先に捌くぞ」


 幾重もの真っ黒な蜷局がひとつに固まり、驚異的なスピードとパワーをもってルーシャたちに攻撃をしてくる。とっさに防御魔法の魔力を補充し防御の耐性を上げる。


 莫大な魔力と、その密度は容易にルーシャたちの防御魔法を破壊する。ルーシャはすぐにセトを連れ、魔力の塊から距離を取り再度防御魔法を発動させる。中和や還元系統のいくつかの魔法術を同時に発動させながら、目の前にある真っ黒な魔力の塊を消す方法を考える。


 魔力相手ならば還元すれば良いのだが、目の前の魔力はあまりに混沌としており全てを解析し還元することは不可能なほど複雑だった。魔力そのものを消すことも視野に入れるが・・・。



(ここにある魔力は戦争による死者の魂・・・)



 ルーシャのなかで魔力を消すということへの躊躇いが大きい。

 魔力そのものを消滅することはできない訳では無いが、とても高度で複雑な術でルーシャに出来るかどうか怪しいものだった。さらに魔力と命──魂は密接しており、魔力を消滅させるということは命の消滅を意味している。


 いくら自分が危険な状況だからといっても、見ず知らずの存在とはいっても、人の命を消滅させることを容易に選択することはできない。


 膨大な量の魔力が凝集し、ルーシャたち目掛けて爆ぜる。


「うっ!」


 最大限まで強化していたルーシャの防御魔法はあっさりと破られる。強引なまでの力技で尽くを破壊する勢いの相手に、守りの姿勢のルーシャは劣勢を強いられる。


 荒れ狂う魔力による異様な圧力が充満し、周囲を嵐のように強い力が駆け巡る。どこから攻撃が飛んでくるのか分からない中、ルーシャはリルトのほうを垣間見る。

 リルトは防御魔法を発動させながら、何かを探すように魔力探知を繰り返している。ルーシャの知らない、この術の何かを探しているようだった。


 リルトのサポートをしようにも、ルーシャは自分とセトを守ることで精一杯だった。次々と攻撃が飛んでくる上、強化した防御魔法を尽く破壊される。魔力が消費されていくだけの状況にルーシャの焦りは募る。



「シスターっ!」



 何度目か分からない攻撃に防御魔法を壊され、再度魔法を発動させようとしているルーシャにセトの声が届く。何事かと振り返ろうとしたルーシャは衝撃を頭部に感じ、そのまま視界が真っ黒になる。









──────────



マスターだと思って追っかけていたのが、人ですらなかった。

マスターの魔力、言われてみれば感じないし・・・普通ならおかしいと思うのに思わなかった。


気持ちが焦ってたのか、いつの間にか神の庭の空気に飲まれてたのか・・・。


どちらにせよ、リルトが来てくれなかったら神の庭の魔力に取り込まれてしまってたのかもしれない。


とんでもないとこに来てしまった・・・。


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