第十章 闇中の路
p.85 奇術師
晴れ渡った空に白い雲が点々と浮いている。季節は夏から秋へと向かう途中で、まだ暑さが残るなか朝晩だけは過ごしやすくなっていく。心做しか吹く風も少しずつ涼しくなっていく。風の中に秋の香りを感じながらも、ルーシャは小さな港町にいた。
アストルとの一件から特になんの事件も出来事もないまま、ルーシャはただただ放浪の旅を続け、魔力協会に寄せられる依頼をこなしながら経験を積み生活費を稼いだ。一人前になって最初はリスクの少ない簡単な仕事をこなしていたが、今はある程度の収入が見込める仕事を選ぶことが多い。元々、シバに鍛えられていたルーシャが実践で魔法術を身につけることはそう難しいものではなかった。
また、時折フィルナルが思い出したかのように仕事を託してくることがあり、ルーシャの旅の目的地は基本的にフィルナルの仕事によって変わっていった。未だに会長のパシリ役を師匠から受け継いだということに違和感を覚えるが、それでも人からなにか託されるということは誇らしい気持ちがないわけでもなかった。
そして、ルーシャはフィルナルからの仕事のために港町にやってきていた。今回は無人島で起きる謎の現象の実態、そして出来れば原因を探ってこいというお達しだった。
その無人島は自然豊かで様々な動植物が生息しているという。そんな無人島で、ここ最近おかしな出来事がみられるという。まず、無人島の動物たちが泳いで近隣の町や村に来るようになったという。泳げる動物が存在はするが、あまりむやみやたらに海を泳ぎ島を離れるということは聞いたことがない。
そして、調査に出かけた研究者は謎の体調不良を引き起こしたという。何か感染症の類かと思われたが、特に検査では問題は見つからず帰ってきて数日で体調は回復したという。
また、穏やかな気候な地域なのにも関わらず異様に暑かったと研究者たちは語っていた。
(ヤダなー)
そんな未知の土地にルーシャは一人で駆り出される。不安にもなるし、出来れば理由をつけて断りたいが、相手が会長となれば下手に断ることも出来ない。
ルーシャは渋々ながらも仕事のため、港町で必要なものを準備していた。田舎育ち故にサバイバル能力はある程度あり、魔法術の応用で多少のことには困らない。だが、行き先で何があるか分からない、それがおかしな現象が起きて起きている地に行くというのなら尚更だった。
大きめの商店街があり、食料品から日用品などなんでも揃っている。本屋も、オシャレな雑貨屋も揃っておりルーシャのテンションが少し上がる。商店街には石畳が敷き詰められ、アーケードからは優しい陽光が降り注ぐ。
商店街にある食料品店で旅のお供となる食材を適当に見繕う。干し肉や干物、缶詰、ドライフルーツといった日持ちがしそうなものから、主食となる小麦粉も多めに買う。魔法術を使用すればパンを作るのにも手間はそれほどかからず、ルーシャは今まで何度も野宿をしながらパンを焼いてきていた。
食料品だけで両手いっぱいとなったルーシャは一旦、宿に戻ることとした。無人島に行くに際し、アウトドア用品をいくつか買い足す必要があった。世界を放浪しているルーシャは野宿となった時ようにテントや寝袋、簡易の調理器具などは常備している。だが、ルーシャの赴く土地は穏やかなだけではなく過酷な環境の場所もあり、安物のテントを使い回していたのだがテントが悲鳴をあげて裂けてしまった。
(これを機にお鍋とか食器も揃えようかな)
妙にワクワクしながら歩いてたルーシャは商店街の人混みを歩く。港町とはいえそれなりに大きさを誇る町のため人も多く、地元民だけではなく新鮮な魚介類を求めて買い物にやってくる外の人間も遠い。活気づいた町特有のざわめきがルーシャの買い物意欲をひきたてる。
「うわっ!」
そんなルーシャは石畳に足を取られて大きくつまづく。両手いっぱいに買い物袋を抱えたルーシャはバランスをとれずに転けそうになる。
「おっと」
今にも転けてしまいそなルーシャの左腕を誰かが力強く支え、ルーシャはかろうじて転けずに踏みとどまる。思わぬ出来事にどっと冷や汗が流れ、心臓が強く早く鼓動を打つ。
「ありがとうございます」
胸がドキドキしたままルーシャは振り返り、支えてくれた人物に礼を言う。
そこにはルーシャよりも背の高い黒髪の男が立っていた。ルーシャと同じ青い瞳の男は口元を弛めて笑う。
「いや、怪我がなくてよかった」
その声と、これの青い瞳を見たルーシャは何かが引っかかった。どこかでその顔を見た事が、その声を聞いたことがある気がする。
「久しぶりだな、ルーシャ」
ルーシャの心を読み取ったかのように男は口を開く。
「・・・申し訳ないんですが、えーっと」
困ったようにルーシャは相手を見つめる。確かに全くの見ず知らずの人物ではないとは思うし、どこかで会ったことはあるとも思う。
「俺だよ、リルト。ほら、あんたの師匠が呪いにかかった時に」
彼のその言葉にルーシャの記憶と感情が一気に蘇る。
「あ!呪文ノ書の」
どこかで見たことがあると思っていたルーシャは目の前の人物と、禁書から出てきたリルトの姿が重なる。
「立ち話もなんだし、ちょっと寄り道してかないか?」
リルトは笑って近くにあったカフェを指さし、ルーシャは驚きながらも首を縦に振る。リルトは自然な動作でルーシャの荷物を半分持ってくれる。買い物袋を半分持ったリルトはその重さに驚愕し、ルーシャはその反応に笑ってしまう。
見知った土地でもないところで知り合いに再開したことに驚いたルーシャだが、実際はそうでもなかった。カフェでお茶をしながらリルトはここへ来た経緯を話す。
「偶然じゃなくて、フィルナルから居場所を聞いたんだ」
「会長に?」
コーヒーを一口飲んだルーシャは首を捻る。
「〈青ノ第二者〉・・・セルト王子がソートと誓約を交わした段階で、俺ら禁書の人間は解放されたんだよ。俺らはたしかに昔は奇術師として名を馳せてたけど、現代じゃ資格がないから一般人になる」
リルト曰く、ナーダルの誓約により覇者である竜を縛る眠りの術は解けた。そのため世界に最低限の魔力を供給する役目であった禁書に封じられた人間たち三人は自由の身となった。魔法ノ書に封じられていた奇術師は魔力を封じてもらい普通の人間として生きることを選び、魔術ノ書に封じられた人間とリルトは魔法術師として現代を生きることを選んだ。
リルトたちは現代に生きるため、それぞれ戸籍や魔力協会籍を用意してもらっていた。過去の出来事を断片的にとはいえ知っているリルトたちは、協会にとっては過去を学ぶための生き字引であり、その存在を重宝しているようだった。
リルトはフィルナルに頼み、〈第三者〉であるルーシャの居場所を聞きだし再会を果たしていた。
「正直、ここまで来れるなんて思ってもいなかった」
リルトの表情が曇り、その目は今現在とルーシャの知りえない過去を映す。
ルーシャは竜の存在も、過去にあった歴史もナーダルから語られた物語でしか知らない。だが、リルトは確かにその時代に生きて、その世界の空気の中にいた。決断ノ巫女が想起したものがどれほど無謀なことだと思ったことか、過去のことも何もかもを忘れてなかったことのように進む時代に何を感じていたのか、そうして築き上げられた現代に再び覇者が目覚めることへの期待と不安がいかほどのものか──ルーシャには想像することも出来ない。
奇跡に奇跡を重ね続けてきた──リルトにとって、今現在はそれほど有り得ない状況だった。
「だからこそ、俺は怖い」
リルトの声が一段と小さくなる。その声色にルーシャはその気持ちが痛いほど伝わってくる。
奇跡に奇跡を重ね続けていた今があり、だからこそその先に続いていく未来を決して途絶えさせることは出来ない──そんなプレッシャーを感じてしまう。呪縛のように、過去のあの時代に吐きそうになるほど脳裏にこびりついた共存という信念がリルトに付きまとう。
一度土壌を整え、環境を一新した今だからこそ失敗は許されない。
だが、果たしてこれほど強大な組織となった魔力協会ですら時代の荒波に耐えられるのだろうか。決断ノ巫女であるロナク=リアが望んだ覇者と人間の距離感が保たれるのか、その均衡が崩れずにこの先進むことができるのか。そもそも、それほど長く眠った竜がなんの問題もなく目覚めるのか。
不安を言い出せばキリはない。
「私は昔のことは何も分からない、だから無責任なことかもしれないけど・・・」
リルトの吐き出す言葉と感情を肌で感じながら、ルーシャはリルトに何をどう言うべきか分からない。ルーシャは今現在しか知らないし、リルトの吐き出すものを想像することしか出来ず、その思いを共有することは出来ない。
「フィルナル会長は中途半端なことをしないし、あの人が魔力協会を牽引する今だからこそ何があっても安心出来ると思う」
未だに少し苦手意識のあるフィルナルのことを思い浮かべる。一般会員と会長という雲泥の差のある立ち位置でもあり、フィルナルの強い口調や目力は威圧的でもある。
だが、師匠であるナーダルはフィルナルのことを恩があるからかもしれないが信頼していた。フィルナルもナーダルを信頼していたし、だからこそルーシャはフィルナルを信じている。
それにフィルナルはたとえ権威ある人間相手でも間違っていると思えば言及するし、自分が間違っていればすぐに謝罪して正しい対応をする。会長に上り詰めて様々な実績を積んできており、協会を率いるのに申し分がないと思っている。
「次世代を担う〈第三者〉にそこまで言われたら、さすがのフィルナルも満更でもないだろうな」
ルーシャの言葉に驚きながらもそう言い、リルトは笑みを浮かべる。
──────────
呪文ノ書のリルトと再開した。
びっくりしたけど、それと同時にマスターが最後の〈第二者〉と言われていたことを実感した。
私の知らないところで世界は確実に動いている。
これからやらないといけないこともたくさんあるんだろうけど、私にちゃんとできるんだろうか。
リルトにはフィルナル会長がいるから大丈夫とは言ったけど・・・。
昔は初代会長のイツカがいた、その時代で・・・。
イツカは魔力を発見したとか、神語を開発したとか、協会を発足させて基盤を築いたとかすごい功績ばかりだった。
そんなイツカでさえ乗り切ることの出来なかった荒波を、私たちは乗り越えられるのかな・・・。
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