p.84 その先へ
アストルとの決別の翌日、ルーシャの元に一人の客人が訪れる。
「昨晩はどうも」
にこやかな笑みを浮かべながらも、その背景にある感情が友好的なものではないことはルーシャはすぐに分かった。
セルドルフ王国の王宮魔導士・マセルがルーシャの滞在中のホテルを訪ねてきた。昨晩の一件があるため、ルーシャは報復を覚悟する。
ホテルのラウンジで腰掛けながら、マセルは冷たい瞳を向ける。
「まさか魔法術師に出し抜かれるとは思ってなかった、僕の失態だよ」
ため息混じりにマセルはそう言い、冷たい紅茶を一口飲む。
「さすが、あのナーダル殿の弟子で、グロース・シバの手ほどきを受けていただけある。魔導士としてのプライドを引き裂かれたよ」
マセルは昨日、二対一という状況だったがそれでも最初はすぐにその場を納めることができると思っていた。ルーシャのことは少し知っていたし、シバの手ほどきを受けていたことも知っている。新米魔法術師だが、魔法術のレベルはそれなりにあると踏んで対応していた。
だが、実際に対峙したルーシャは魔法術の展開が早くしかも何らかの方法で魔力探知されにくいようにしていた。魔法術を組み立て展開させながらも、物理攻撃にも対応するには相応の場数が必要となってくる。さらに、誰かと組むということは相棒の動きも見て動かなければならず、俯瞰的に物事を見て冷静に判断を下さなければならない。
「それで、マセルさんはどのような用でこんなとこまで?」
マセルが褒めてくれることを嬉しいとは思えない。ルーシャがここまでやってこれたのは、ナーダルとシバの教えがあったからに過ぎない。特にシバの特訓は身体に染み付いており、そのおかげで何度も命が助かってきた。
「あの男はどうなったかなと」
鋭い瞳をルーシャに向け、マセルはルマのことを問いただす。手合わせした時にルマから感じたのは尋常ではない殺意と、常人ではない研ぎ澄まされた技術だった。あれを野放しにしていれば確実にまたアストルの命を狙いに来る。
「それなら大丈夫です。深淵の眠りで・・・その記憶をなくすようにしてます」
昨晩、アストルと決別してからルーシャは眠りにつかせたルマを抱え彼の住処に送り届けた。そこで追加の魔法術をいくつか彼にかける。ルーシャのかけて魔法は下手をすれば相手を昏睡の後に殺してしまうものだった。ルーシャの目的はルマの復讐心を忘れさせるためであり、ルマの憎しみという感情に起因する魔力を対象に魔法をかけている。その感情の魔力がなくなるまで、ルマは深く眠り続ける。
その眠りがいつまで続くのかは術者であるルーシャにも分からない。ただ、一日二日でルマの憎しみの感情が消えるとは到底思えない。それは数週間──数ヶ月かかるかもしれない。それほどまでにルマに根付いたその感情は深い。
生身の人間がさすがに数ヶ月も眠りに続けば肉体がもたない。水分や栄養を撮ることが出来なければ脱水や餓死を引き起こすし、同じ姿勢でいつづければ床ずれも起こすし、動かないことで筋力の著しい低下などもある。放っておけばルマは死ぬ。
そこでルーシャは生命維持のための魔法術をいくつかルマにかけた。数ヶ月は生命維持ができ、長期間の眠りの影響を最低限に抑えられるよう。
「なかなか残酷だね、君のその行動は」
マセルは真剣な眼差しをルーシャに向ける。
ルーシャはルマが生き甲斐としていた人生で最も大切なものを奪った。主人への忠誠心、それに起因する思い出や感情を忘れさせた。かつ、そんな大切なものを忘れたまま生きることを強いている。魔法が解け、目を覚ましたルマは大切なものを忘れたこと、思い出せないことに苦しむかもしれない。それか、忘れたことも分からないまま空虚な気持ちを抱え何が起きたのか、自分が何者なのかも分からないまま孤独に生きなければならないかもしれない。
「本来なら協会がすべきことでしたよ?」
魔力協会がかつて行っていたというセルドルフ王国第一王子の記憶を全世界の人間から消すという、ありえない程膨大かつ無茶な計画があった。本来ならばルマはその魔法術によって第一王子のセルバのことを忘れていたはず。
「こちらとしては、王子の命を狙う人間がいなくなって助かるけど」
マセルはそう言いルーシャに手を差し出す。
「何にせよ今回はいい勉強になった。また縁があればそのうち」
ルーシャはなんとも言えない表情でマセルと握手を交わす。マセルと会いたくないというよりは、マセルの近くにはアストルがいるということが大きい。出来れば縁がないことを祈り、王宮魔導士と別れる。
*****
ナザ・パパンをルーシャはその後数日で去る。
南国の地を後にしたルーシャはどこかすっかり見慣れてしまったところに足を運んでいた。
「まあ、ルーシャらしい決断よね」
目の前では長い金髪を綺麗に結い上げたオールドがお茶菓子をつまみながらルーシャの話を聞いていた。
ルーシャは今回の報告も兼ねてオールドのもと、ベタル王国王城に足を運んでいた。いつの間にかオールドに会う度にここを訪れることが日課となり、一国の王城なのに足を運ぶのが当たり前のようになってしまっていた。
「シスターは・・・セルドルフ王国の第一王子のことって知ってたんですよね?」
ルーシャはどこか腫れ物に触るかのようにオールドにひとつの質問を投げかける。王族であること、魔力協会員であることからオールドがかつてセルドルフ王国で起きた事件を、その当事者たちを知らないわけがない。
「まあ、存在だけね。顔とかはっきりと思い出せないのよねー」
考え込みながらオールドはそう語る。事件の前から魔力協会に在籍していた者は第一王子の存在を知っているが、ウィルト国王の意向を組みその話題を出すものはいないという。そして、なぜか協会員──魔導士や呪術師ですら第一王子のことを存在のみしか思い出すことが出来ない。
「王子も相当な腕前の魔法術師だったって噂だし、姿をくらますのに何らかの方法を使ってるんじゃないかって言うのが
そして、事件後から魔力協会に入った人間は協会により記憶を上書きされているため第一王子のことを知らない。協会の方針として、最悪の事件を繰り返さないため硝子ノ魔術事件のことは語り継がれ、その時にセルドルフ王国に第一王子がいたことも語られるが現実味を感じず、夢物語のように感じてしまうことが多い。
「で、ルーシャはどうすんの?」
語りながらもお茶菓子への手は止まらないオールドはルーシャの方を見て首を傾げる。
「まあ、特に予定もないので適当にまだブラブラしますよ」
ルーシャは魔法術師になることを目的としていたが、今は特にこれといってやりたいこともなければ、なにかやらなければならないことも無い。特に意味もなく世界を当てもなく放浪している。
「あんたなら大丈夫だろうけど、若い女が1人で放浪旅なんて気をつけなさいよね」
ルーシャの魔法術の腕前をある程度知っているためオールドはそこまで厳しく言わないが、それでも心配なものに変わりはない。
「はーい」
心配性なオールドの瞳を受け止めながらルーシャは笑いながら返事を返す。
数日滞在した後、ルーシャは再びあてのない度に足を踏み入れる。
──────────
兄さんとの色々悶々としたことに決着をつけた。
ルマのことは確かに残酷だとも思うし、だからこそそうしたのかもしれない。
私には許せないけど大好きな兄さんを殺す度胸はない。そうしたらセルドルフ王国が大変なことになるし、大恩あるウィルト陛下が困るのも目に見えてるし。
そして、そんな兄さんを恨むルマを手にかける度胸もない。
ほんと、つめが甘い。
でも、だからこそ命を奪うと同等・・・下手したらそれ以上の仕打ちを選択した。
私と兄さんにとって会えるけど会えないというその状況は相手が死ぬよりも、ある意味つらい。
ルマにとって、大切なものを奪われ、それすらも思い出せない空っぽのまま何が何かわからず生きているのは殺されるよりもつらいことかもしれない。
犯した罪はなくならない。
だからこそ、罰は重苦しく課せられなければならないのかもしれない。
難しいことはわかんないんだけどねー。
なんにせよ、私はとりあえず明日のご飯のためにまた働かないとっ!!
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