p.81 夢への誘い
セルドルフ王国の王宮魔導士・マセルに声をかけられた翌日、ルーシャはアストルが滞在しているというホテルに再び足を踏み入れた。
アストルが今日の夕方なは公務も予定もないことを、昨日マセルに確認していた。マセルの魂胆や思惑は分からないが、それでも無理に警備を掻い潜るよりかは計画的にアストルに接触できると踏んでいた。
アストルへのアポイントメントをとったルーシャは昨日、すぐにホテルを後にしていた。魔力探知を行いマセルが尾行や追跡の魔法術を行っていないことを確認し、ルマの隠れ家に直行する。そして、ことの次第と明日の夕方にアストルへ接触できるという情報を伝える。
まさかこれほど簡単にことが進むとは思わず驚くルマだが、冷静に計画を練り出す。
マセルは王宮魔導士であり、彼にどのような魂胆があるか不明だがネスト家を──アストルを守護するものとしての役割を果たすと考えられる。ルーシャがアストルに接触を図っている理由がなんであれ、マセルは影からでもルーシャを監視しアストルに危害が加えられぬよう動くであろう。
魔導士相手に魔法術師になってまだ半年ほどのルーシャがどれだけ立ち回れるか分からない。シバの地獄の特訓を耐えており、その辺りの魔法術師よりは技術や知識があるとは自負しているが何せ経験がない。知識も技術もある程度の勉強や修行で得ることが出来るが、経験とそれに基づく判断や発送といったものは一朝一夕で身につくものではない。
いくつかの計画と起こりうるハプニングに対して対処法を話し合い、ルーシャとルマは翌日に挑むこととした。先が読めないなか、緻密な計画を立てるよりも優先すべき事を明確にして行動した方が迷いなく動ける。
二人は突然のことに驚きながらも、冷静に明日を見すえていたのだった。
******
翌日。
ルーシャはマセルとの約束の地に約束の時間にやってきた。夕日が沈みかけるロマンチックな情景の中、二人がいるのはホテルの最上級の個室がある建物へと続くプライベートビーチだった。燃えるような夕日と、逆行を受けて黒く見えるヤシの木、規則的な波の音と潮風の香りがルーシャとマセルを取り囲む。
「お待ちしておりました」
相も変わらず笑顔のマセルにルーシャは固い表情のままだった。
「ひとつ、教えて欲しいことがあります」
「何でしょう?」
特に表情を崩さずマセルは首を傾げる。
「あなたはどこまで何を知っているの?」
ルーシャは見透かすようにマセルを見つめる。王宮魔導士が何も知らないわけはないが、知っていてあえてこの場を設ける意味がルーシャには分からない。不届き者を処分しようとするにしては、マセルの魔力に動きがなさすぎるし周囲に魔法術の気配もない。
「ある程度のことは把握しています。硝子ノ魔術のことも、王子の身に起きたことも、王子が何をしてしまったのか。そして、あなたのことも」
「ならば、尚更分からない」
マセルの言葉にルーシャは眉間にシワを寄せる。目の前にいるこの魔導士が何を画策しているのか、何を思っているのか、何を望んでいるのか。
「私はアストル王子のためと思うことをしているに過ぎません。でも、だからといってあの方を危険に晒す気はありません」
柔らかな笑顔もそのままに、マセルはスっと手を前に出す。それだけで瞬時に魔力が練られ神語が構成され魔法術が発動する。ルーシャのすぐ後ろで爆発が起こるがルーシャは動じることなく前を見すえる。
「ご友人をお招きした覚えはありませんよ?」
爆発の煙からルマが姿を現す。ルーシャはこの場へルマを連れてくるにあたり、透明化の魔法をルマにかけ、さらにそれをマセルにバレないよう魔力探知無効を施していた。
(やっぱり駄目だったかー)
魔力を隠すことはできたし、それでルマの存在を隠すことも出来た。
だが、ルマのなかで煮えたぎる怒りと復讐心、そこから発せられる殺気を隠すことは出来なかった。禍々しいまでの殺気が渦巻き、一般人ならまだしも要人を警護する王宮魔導士がそれに気づかないわけがない。
元々の計画ではルーシャがマセルと向き合っている間に姿を隠したルマが奇襲をかけるというものだったが、長年追い求めてきた相手がすぐそこにいるという状況が滾る感情を高ぶらせマセルにその存在を教えてしまった。
そもそもルマの激しい感情を知っていたルーシャにとって、この計画はまず成立しないと思っていた。
殺し屋として依頼された仕事ならまだしも、ルマ個人がずっと憎しみ続けてきた事柄であり感情を抑えることが出来なかったのだろう。
「あなたは何をお望みですか?」
激しい殺気を纏うルマではなく、マセルはルーシャを見すえる。
そんなマセルにルーシャは静かに素早く魔法術を展開する。魔力で創られた縄は瞬時にマセルの手足に絡みつき、その自由を奪う。だが相手も伊達に王宮魔導士を拝命しているわけではない。すぐにその縄を切って手足の自由を確保する。
ルーシャの魔法術に気を取られている隙にルマは一気に距離を詰め、マセルに飛びかかる。腰に携えていた短刀を抜き、その首に切りかかるがマセルはそれを身を翻して避ける。
(さすがに戦闘慣れしてる)
少し距離を置いていくつかの魔法術でマセルの動きを止めようと試みながら、ルーシャはその動きを静かに見る。魔法術への対処どころか、殺し屋ルマの動きにも引けを取らない。殺し屋家業をしているだけあり、ルマは的確に急所を狙っているがマセルはそれを避け続ける。
だが、ルマも殺し屋として生業をしてきただけにいくつもの攻撃パターンを仕掛ける。飛び道具も駆使しながら魔導士を襲うが、マセルはマセルでルマの攻撃を避けながら魔法術をいくつか展開する。これほどの相手を前に片手間に魔法術を扱えるのは、さすが魔導士としか言いようがない。
いくつかの攻防を繰り返し、ルーシャは同時にいくつもの魔法術を展開する。手足を縛る縄、足元を凍らす氷魔法、遠方からの魔法矢による攻撃、マセルの周囲のみ暗闇にするなど。そのなかでもマセルは不利なままルマの動きを防ぐ。
ルーシャの魔法術一式の効果がなくなり、マセルが魔法術を発動させようとした時に異変は起きる。
「っ!」
複数の魔法術を展開した時に、その中に一つだけ時間差発動を試みたものがあった。神語そのものに魔法術の展開の遅延を記さず、あえてその魔法術とは相性の悪い魔力の属性を使うことで魔法術の展開を遅らせる。
シンプルながらも魔法術とルマによる攻撃を捌いていたマセルは、その魔法術の発動遅延に気づくのに遅れる。
マセルの足元のみ泥沼となり、その足場が崩れる。
ルマの一撃がマセルを襲う。足元を泥濘にすくわれたマセルは動きが取れず、とっさに狙われている首元を左手で庇う。
「おやすみなさい」
激痛を、死を覚悟したマセルの耳に届いたのは静かなルーシャの声だった。マセルのすぐ隣にいつの間にか現れたルーシャは、あまりにも自然な手つきで魔法をひとつ発動させる。
その魔法を発動させた相手は王宮魔導士・マセル──ではなく、殺し屋・ルマだった。
美しく羅列された神語が魔法を引き起こし、その効果でルマはなんの抵抗もできないまま夢の世界へと誘われる。体の力が抜けその場に倒れ込み眠るルマを、ルーシャは静かに見下ろす。
「どうして?」
マセルは息を切らせながらルーシャを見て問う。明らかにルーシャはこの男と手を組んでいたし、先程まで共闘もしていた。その動きと魔力に躊躇いもなければ嘘もないように見えていた。
「自分のため」
静かにルーシャはそう言い、マセルの目の前にその手をかざす。
魔法術を扱うものは多くはその手先で己の魔力を操り、手の動きが魔法術や魔力の動きと連動する。
「邪魔しないでください」
身構えるマセルに対しルーシャは何もしない。魔法術を何か展開するかのように見せかけ、ルーシャは脅すかのように手をかざしたに過ぎなかった。
王宮魔導士相手にこのやうな脅しで効果があるのかどうかなど、今のルーシャにはどうでもよかった。
それほどまで、自分でも驚くほど冷静にいられた。
ルーシャがルマにかけたのは眠りの魔法術のなかでも、特に深い眠りに相手を誘うものだった。記憶を失うほどの昏睡に至らしめるそれは、下手をすれば相手を永遠に眠らせ殺すことすら出来る。
その魔法をルーシャはあえてルマにかけた──その強い気持ちを、復讐心を忘れさせるために。
ルマの囚われているそれは過去に過ぎず、そのためだけに生きている姿は恐ろしいの一言に尽きた。何を大切に思い、何に身を投じ、何のために生きるのかは個人のものでありルーシャに口出しできるものではなかった。
だが、それでもルーシャはあえてルマのその生き方を否定する。
それが無責任な事だと分かりながらも、ルーシャはルマの生きる目的を失わせると分かっていながらも、深い眠りの魔法をかけた。
すべては自分のために。
ルーシャは眠るルマと、その場で動かずにこちらを見るマセルを交互に見て、そのままアストルのいるホテルの最上級部屋がある離れへと足を向ける。
「待って」
はっとマセルはルーシャに声をかける。
「君がしようとしてることは全てを無駄にする」
恐ろしいほどまで冷静なルーシャのそれが、懐かしくてアストルに会いたいという単純で暖かいものでないことは明確だった。
マセルは魔力協会の人間として硝子ノ魔術事件も知っているし、協会が何をしたのか、ネスト家がどれほど傷ついたのかを知っている。ウィルト国王が断腸の思いで今その場にいることも、アストルが国を継がなければならないことも、そのアストルが一人の魔導士──それも共に育ってきた妹の師匠を殺したことも知っている。
だから、ルーシャがどういう感情でアストルに向き合おうとしているのか、どのような行動を取ろうとしているのか想像に容易い。
「ご忠告、どうも」
──────────
魔導士と対峙した。
やっぱり、王宮魔導士になるくらいだし戦闘慣れもしてる。
それくらい出来ないと王族を守るって出来ないもんねー。
そして、まあ色々考えた結果だけど・・・
ひとりで決着をつけたいと思った。
ルマには悪いけど、やっぱりちゃんと自分一人で向き合いたい。
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