p.50 ロータル国

 ナーダルが私用のためルーシャをシバのもとに預けたその日から、ルーシャの地獄の日々は始まった。




 シバは大魔導士にして公認の弟子はナーダルだけなため、その教えがどういうものなのかは誰も知らない。だが、ナーダルがここを去る前に「死ぬほどキツイけど、それも愛情だと思って・・・」と苦笑いを浮かべてルーシャを励ましていた。いつもの笑顔ではない師匠の作り笑顔に、ルーシャは心の底から嫌な予感がしたが、まさに今それが現実となっていた。




 ナーダルは基本的な魔法術の構造や成り立ちを説明や実践で教えてくれ、ルーシャもそれを見様見真似で実践しているところがあった。だが、シバは根本的に教え方が違った。




「やり直しだ、一から魔力を練り直しな」




 まず、魔法術を扱う前の前段階を何度も練習させられる。魔力は心の力と仮定され、その魔力は感情によって性質を変化させていく。魔力に目覚めた者の魔力は本来、体を循環しその量は一定である。魔力は普通にしていれば目にも見えないし、触れることもできず、その質感も分からなければ、重さなど感じることも出来ない。




「まずは活性化」




 シバは家の前で椅子に腰掛けながら、木々に囲まれた森の中に立つルーシャの魔力を感じる。魔力の性質は千差万別で一人として同じ人間はいない。だからこそ魔力探知で個人を探し出すことも、事件捜査で魔力の残留から犯人を割り出すことも出来る。




 そして、魔力を扱うものは訓練次第で自分や他人の魔力を感じ取ることが出来る。その目に魔力の色を、その肌で魔力の感触を、その体で魔力の重さを感じ取る。




 魔力は感情によりその性質を変化させることができる。


 喜びは魔力を活性化し扱う魔法術の反応が非常に良くなるが、活性化した魔力は動きが早いため扱うには経験と慣れが必要となってくる。


 怒りは魔力は増幅し、本来その本人が持っている以上の力を発揮できるようになる。だが、その力は非常に猛々しく荒ぶる力は度を過ぎると扱うことが困難となり、魔力の暴走の要因としてあげられることが多い。


 哀しみは魔力は硬化、重量化、不活化する。まさに魔力を凝縮しており、扱いを間違えばこちらも魔力の暴走を引き起こすことがある。また不活化は慣れたものが扱えば、魔法術の発動をあえて遅らせて時間差攻撃なども行うことが出来る。


 楽しみは魔力を軽量化し、さらにその性質を柔らかくする。軽く柔らかくなった魔力は扱いやすいが質量が軽い分、相性の良くない魔法術でこの魔力の性質を使ってしまうと魔法術の効力が十分に発揮されないことがある。




 もちろん、喜怒哀楽では表しきれない感情もある。だが、今は基本のその四つの魔力を磨くことが基礎練習として課されていた。魔力の性質を変化させるためには感情をコントロールが必須となってくる。だが、言われたからと言ってすぐに怒ったり、喜んだり出来るわけではない。無理難題だと思いながらもルーシャは言われるがままに修練を積み重ねていく。




 魔力の緻密なコントロールはそれだけで精神が疲労していく。シバのもとでは午前中は魔力の性質変化の修練を、午後からはひたすら神語構成の練習を繰り返す。魔力の性質を正しく理解し、それを自在にコントロールすることが同じ魔法術を扱っていても効力が数倍違う。そして、神語の構成スピードを上げることで魔法術の発動そのものが早くなる。


 さらに、夜の寝る前は神語の意味やそれぞれの言葉の派生について学ぶ。魔法術は神語により発動し、その魔法術によって神語は異なる。詩のような言葉が並び、それを魔力で神語という形で形成し魔力を発動させることで魔法術が発動する。そんな神語のなかには重要なコア部分以外ならば、類似の神語に置き換えることで少し、発動する魔法術の効果が変わる。






 朝から寝る前まで魔力漬けの毎日は続く。これほどまで自分の魔力を感じ取り変化させたことはなく、ルーシャは自分の魔力なのに訳が分からなくなる。シバは一切の妥協もしてくれず、失敗すれば小突かれ何度も同じことを復習する羽目になる。出来たところで褒められることなどなく、追加課題がどんどん増えていく。




 さらに教わる身であるルーシャは、シバの家に厄介になっているため家事炊事の一切合切を請け負うことにもなっている。シバの教えで基本的なことは全て魔法術を使うようにと言われているため、湯を沸かすのも、水を汲むのも、明かりを灯すのも、食材を切り分けたり皿を洗うのも、何かにつけて何かの魔法術を使う。今までそれなりに旅の中で魔法術を使ってきたが、こんな細かいことまでいちいち魔法術を使った試しがなく最初は戸惑うことばかりだった。






 そんな地獄の日々が二週間ほど過ぎた頃、出かけていたナーダルがひょっこりと帰ってきた。




「ただいまですー」




 笑顔で戻ってきたナーダルをルーシャは軽く睨みつける。ここ二週間ほどの悲惨な毎日が、シバにとっての愛情なのかもしれないが苦しい日々であったことに間違いはない。ナーダルがもう少し稽古をつけてくれていたらと、いない師匠を軽く恨んでいた。




「お前のちょっとは随分と長いもんだね」




 数日間だと思っていたルーシャとシバは一週間たっても現れないナーダルに、いつになったら帰ってくるのかと不安にかられていた。シバからすれば預かる分には問題もないし、時間があればあるだけ知識と技術をルーシャに教え込むことが出来た。




 シバは数日の間と聞いていたため、最低限の修練プランとして四日を想定し指導計画を立てルーシャに地獄の特訓を課していた。だが一週間を過ぎてもナーダルが一向に迎えに来る気配がなく、指導計画を少し変更した。午後からの神語構成の練習を実践形式に変え、ビシバシとルーシャを鍛えたのだった。




「シスター、ありがとうございました。じゃ、ルーシャ行こうか」




 挨拶もそこそこにナーダルはルーシャに声をかける。偉大な大魔導士に弟子の修練を頼んだ割に一言だけの礼で済ませるあたり、どこかナーダルらしいとルーシャは心の中で苦笑する。ここへ滞在している間にシバのもとを訪れる人間を見てきたが、誰もが手土産を必ず持ち大魔導士に恐縮していた。




 どこへ行こうというのかと、不思議そうに首を傾げるルーシャにナーダルはいつもと変わらない表情と声色で次なる目的地を口にする。








「ケルオン城──僕の実家にね」














 * * *






 ナーダルの思わぬ発言に驚いたものの、ルーシャは師匠について行くしかなかった。ナーダルがずっと避けてきた地であり、そこには彼らを追いつめた最強の女騎士が鎮座している。まさにリーシェルの息のかかったその場所に、ナーダルが積極的に足を踏み入れる理由がルーシャには分からない。それは殺されに行くようなもののような気がした。








「ここが・・・」






 いくつかの国や街を空間移動で経由してナーダルと共に足を踏み入れたここは、ロータル国。リーシェルに追われていることもあり、フィルナルはナーダルへの依頼にロータル国に関わることは一切入れてなかった。初めて足を踏み入れた一国の首都にルーシャは感嘆の声をあげる。




 目の前に広がるのは活気に溢れた街並みだった。広場に行けば青空市場が軒を連ね、今朝採れたての野菜や果物、香り豊かな肉製品、新鮮な魚介類といった食料品が並ぶ。色鮮やかなそれらが太陽の光を浴びているだけで光り輝いているようだった。魔法術の浸透している国だけあり、夏日のなかでも保冷効果のある魔道具を使用しているため、食材が痛むことがなかった。




 あちこちに有名なブランド店、お洒落な雑貨や衣服店、種類が豊富な本屋や魔道具弥が立ち並ぶ。行き交う人々に笑顔が見られ、とてもここの統治者が恐怖にものいわせ一国を落とした女騎士だとは思えない。ロータル国に初めて足を踏み入れたルーシャは、思わぬ平穏ぶりと活気に驚く。




 それと同時にナーダルが顔バレしていないことに、改めてシバとナーダルの凄さを感じていた。ナーダルがいくら知名度の極端に低い王子であったとしても、祖国民はその存在を知っているし、元王都であり現在の首都に在住する者はナーダルの顔を知っている者もいる。そしてナーダルがシバの公認の弟子となるにあたり、ナーセルトとして顔バレすることが一番の懸念であり極力顔を出さないことを心がけていた。だが、いくら知名度がほぼないと言われているとはいえ元王子の存在感はなかなかのものでもあった。




 そこで、シバの創り出したいくつかの魔法術のなかにある一つの魔術をナーダルは習得した。雲隠れと呼ばれるその魔術は、その名の通り存在を隠すにはうってつけであった。見た目は変わらないのだが、ナーダル自身を今までその人が見てきた人物に関連付けにくくするというものであった。ただ、長年一緒に過ごしてきた家族のレティルトや親族のエリス、そして何よりもナーダルのことを探しているリーシェルなどには効力はあまりない。だが、こうして街を歩く人間に対しては効力があるため、一応帽子を深く被り顔をできるだけ隠しているとはいえナーダルはバレることなくここにいた。




 いつもと同じように話し笑顔もみせるナーダルだが、どこか緊張した雰囲気のナーダルはルーシャを連れて首都を歩く。ロータル国の首都はモキルという街で、ここは数年前までルレクト王家の居城であり政の場でもあったケルオン城がある旧王都でもあった。国の中心であり、魔法術の発展に寄与した国でもあり街中に魔道具が溢れている。




 ルーシャはどこが物珍しそうに街を見つめ、ナーダルは変わらぬ活気にどこか懐かしそうにする。ひとしきり街中を歩いたふたりは早めに宿を確保し、宿の一室で向かい合う。あまり街の中心部に近すぎるとリーシェルの目に止まるリスクがあるため、少し中心部から離れた安宿に身を寄せる。




「マスター、教えてください。ここへ来た目的を」




 ナーダルの部屋でルーシャは目の前の師匠に問いかける。盗聴などの可能性も否定できないため、ルーシャは話し声が外に漏れないよう防音の魔法を施す。ナーダルは見ぬ間に成長したルーシャの魔法術の扱いに心の中で感嘆する。やはり大魔導士と言われるだけあるシバの指導力と、それに何とか食らいついて自分のものにしたルーシャの適応力と吸収力に驚く。




 目の前のルーシャは青い瞳を心配そうに揺らしながらも、まっすぐとナーダルを捉える。従順なルーシャではあるが、さすがに師匠の命がかかっていると言っても過言ではない状況で何も聞かずに従うことは出来ない。






「ルーシャは何度か耳にしたことがあるよね、僕が〈青ノ第二者〉と呼ばれてるの」




 少し考え込み言葉を選びながら、ナーダルは目の前の弟子に真っ直ぐに向き合う。いつもと違うどこか慎重な態度のナーダルにルーシャは頷きながら、どこかでルーシャ自身も身構える。一度ナーダルにそのことについて聞いたことはあったが、はぐらかされて答えてはくれなかった。基本的に隠し事などしない師匠があえて避けてきた話であり、ルーシャはそれ以上踏み込むことをしてこなかった。




「正式に言えば僕はまだそう呼ばれる資格はない。その資格を得るためにはどうしても、ケルオン城へ赴かなくてはならないんだ」




「・・・危険を冒してまで?」




 真剣な瞳のナーダルが見据える先にいるのが誰なのかなど容易に想像がつく。だからこそ、ルーシャは引き止めたくなる。




 リーシェルは当代最強の女騎士であり、それは一夜にして大国を落としたこともあるが、彼女がロータル王国の王国軍に在籍していた頃の功績も大きい。諸外国との小競り合いの遠征はことごとく自国に有利にことを運び、戦場でリーシェルは常に勝利を手にしてきた。どのような猛者にも知将にも勝利し、いつも彼女の体には大量の血飛沫とともに仲間からは歓喜の声が届いていた。




 リーシェルが目をつけたものは尽く彼女の望むままになり、大国を落とすことさえ容易だった。そんなリーシェルが今目をつけているのが、あの日逃げおおせたレティルトとナーダルだった。




「そうだよ」




















──────────



グロース・シバに色々教わったけど、いやもう・・・本当に生き地獄って感じ。


マスターの教え方がいかにぬるかったのかと・・・。


まあ、でも・・・ちょっと納得したかも。あれくらいのこと経験しないと、マスター並に魔法術なんて扱えないよね。




そして、マスターとロータル国にやってきた。


正直、マスターがここに足を踏み入れることも、リーシェルさんと対峙するリスクを負ってまでお城に行くのも意外だった。


でも今はそんなことより安全に全部終わらすことが先決!


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