p.36 兄弟

 沈黙が支配する氷の城の空気は緊迫している。レティルトの醸し出す空気がすべてを切り裂くかのようで、誰も彼を止められない。オールドもルーシャもレティルトとアストルの間に割って入りたくても入りきれないでいた。そんななか、登場したナーダルの一言にその場は混乱となる。上階のバルコニーにいた王女たちはざわつき、壁際に無意識に移動していたルーシャと、その背に守られたアストルはナーダルを黙って見つめる。




(今なんて言った・・・、「兄さん」って?!)




 つい今しがた師匠が口にした言葉をルーシャは心の中で反芻する。分かっているが頭が追いつかない。何と言ったのか、その単語の意味は分かる。だが、混乱しすぎて繋がらない。




「ちょっと、どういうことよ? ナーダルっ!」




 ざわめく沈黙の中、誰もが言いたかった一言を囚われの姫君のひとり──オールドが代弁する。彼女は真っ直ぐとナーダルを見つめ、その名を大声で呼ぶ。




「やあ、オールド。久しぶりだね。君が姫君だったなんて驚きだよ」




 ナーダルは呑気にも遠目にいるオールドに手を振り、知り合いなのかタメ口で話しかける。お互いに魔力協会に属する身であり、知り合う機会はあるであろうが、師匠と兄の婚約者が知り合いというのはなかなか衝撃的な事実でもあった。へらへらと笑うナーダルとは正反対に、姫君の表情も声も真剣そのものだった。




「こっちだって、あんたが王子だったなんて初耳よ!」




 率直なオールドの言葉にルーシャも心の中で頷く。レティルトの弟となれば、ナーダルはナーセルト・ダルータ・ルレクト──今はなきロータル王国の第二王子ということになる。兄王子の影に隠れた、存在だけは知っているがその顔を知る者は少ない弟王子。レティルトの存在感が圧倒的すぎて、ナーセルトは陽の光を浴びることなく存在を特に重視されることもなく過ごしてきていた。






「セルト」






 かつての愛称で呼ばれ、ナーダルは躊躇うことなく兄を見据える。その瞳がいつもとは違う光を帯び、レティルト──兄にしか見せない一面が垣間見える。いつもと変わらないはずの師匠が、どこか遠い存在のように感じられる。




「ハルは?」




 兄の静かな言葉にナーダルは何も言わず視線を逸らし、首を横に振る。言葉にするまでもないと、その表情が物語る。ナーダルの瞳は暗く曇り、その話題が明るいものではないこと、彼の心に影を落とすものであることが容易に推察できる。




「そうか」




 神妙な面持ちとなったレティルトは言いようのない瞳を伏せ、行き場のない思いを拳にのせて握る。二人のあいだで流れる空気はただただ重く、ルーシャたち周囲の人間の介入を一切許さない。




「で、なんでお前がアストルと結託してるんだ?」




 何かを吹っ切ったのか、レティルトは瞳をあけナーダルの背に守られているアストルに一瞬視線を浴びせる。




「期間限定の王宮魔導士だからね」




 ナーダルの言葉に少し訝しげな表情をしながらも、レティルトは黙ったまま、ナーダルとアストルを交互に見つめる。何かを言いたそうだが、彼が口を開く前に弟が先に言葉を発する。




「僕は兄さんを止めに来た。目的は最強の女騎士殿への復讐だよね」




 単刀直入にナーダルは要件を伝える。穏やかな笑顔からは想像出来ないほどの殺気のような空気が漏れでる。




 フィルナルから王女たちが拐われたと情報を得た時は、その共通点が魔力協会に属する魔法術師であるとしか考えられず、最初は反協会組織が何か動きを見せたのかとしか思わなかった。それに協会が本腰をいれればすぐに解決するだろうと考えていた。




 しかし、しばらくしても事件は解決しないどころか被害が拡大していた。その段階で四人の王女の共通点は魔力協会の魔法術師だけでなく、秘術を有する家系だと気付いた。その他は王家であるが、統治方法も歴史も違うため共通点は見当たらなかった。




 さらにその時点で、ナーダルはフィルナルから託された仕事の中でハッシャール雪原の不可解な魔法術の解析を頼まれていた。その構造を一部だけ再現してもらったとき、その構造を創り得る人物はこの世でもはや二人しかいない事実に気付いた。雪原の魔法術のなかに混じっていたひとつの封印魔法の構造──それは、ロータル王国のルレクト家にだけ代々伝わる秘術の一つだった。それを知る者、扱える者はこの世にもはや二人しかいない。第一王子のレティルトと、第二王子のナーセルトだけ。




 ルレクト家は秘術をもつ王家でありながらも、その継承権は王家のものなら誰にでもあった。他の王家が秘術の継承権は国王と次期国王だけに限定するなか、ルレクトは王家という条件さえあれば誰でも秘術を手にすることが出来た。そして、その秘術は封印系統の魔法術全般だった。簡単に扱うことの出来るものから、高度で限られた腕前のものしか扱えないものまで幅広い。




 リーシェルは反乱のあと、ルレクト家の血を引く人間を徹底的に調べあげた。血縁が近いものはことごとく惨殺し、血縁が遠いものは監視下においているという噂を聞いた。さらに、ナーダルたちの母親の実家である貴族・ダルータ家は厳重な監視下におかれているという。いま、秘術を雪原という場所で使える人間はナーダル以外には彼女から逃げ、今なお逃げ続けている兄のレティルトしかありえなかった。




 それはレティルト自身も分かっていたことであり、わざわざその封印魔法を使ったのは他の誰もが破れない魔法であること、そして生き別れた弟へのメッセージの意味もあった。自分はここにいる──ということを、ほかの誰にも分からない方法で伝えた。魔力協会に属していれば、おそらく雪原の不可解な魔法術のことは耳にするだろうし、上手くいけばナーダルをおびき寄せることができる。




 そして、レティルトの策略通りナーダルはその封印魔法に気付いた。さらに、同時進行で起こっていた王女失踪事件において、最後に失踪したオールドのいた現場に行くことで魔力のほんの僅かな残り香から、兄の魔力であることに気づく。幼い頃から感じ取ってきた慣れ親しんだ魔力を間違うはずがなかった。




 亡国の王子──それも、責任感が強いレティルトか王女たちを拐ったとなれば、その目的は単純明快だ。リーシェルへの復讐のために世界最高峰の魔法術を手に入れようとしている。




 だが、秘術を扱う王家は数多く存在している。今回拐った王家よりも強大な術は存在しているし、レティルト自身もそれを手に入れたいところだった。だが、問題があった──秘術の継承者が現国王か次期国王であった。




 王子、それも第一王子として時期王だと期待されてきたレティルトにとって、国を背負う責任と重さは誰よりも痛感するものがある。だから、国の存亡に直結するような立場の人間をどうしても巻き込むことは出来なかった。今回拐ってきた王女たちは王家の人間だが、誰も国政に直接関わらない人間だった。ゆえに秘術の継承権もないし、秘術のことも知らないが、それでも何かヒント位は得られるのではないかと行動していた。




 レティルトがどうやって彼女たちを説得したのかは分からないが、人間を嫌煙する魔女でさえも手中に収めた兄のことだ、王女たちをその気にさせることなど造作もないことなのだろう。レティルトは、もともとそれなりに好感度も高い人間であり、人を惹きつけ味方にする何かを持っている。昔から王子という立場もあるが、顔も整っており仕事もできるレティルトはやたらとモテた。レティルトにとって王女たちの協力を得ることなど、たいした問題ではなかったのだろう。




 だが、協力を得られたところで、それで解決ではない。強大な秘術はなかなか手に入らず、状況は芳しくない。秘術を有するだけでなく、王位から遠く国の存亡に直接かかわらない王家の人間という制限つきのため、対象となる人物も限られていた。そんななか、最後の頼みの綱としてレティルトはオールドに接触していた。




「全部お見通しか」




「そりゃ、どれだけ兄さんを一番近くで見てたと思う?」




 生まれた時から、物心ついたときから兄のレティルトは自分の先を歩いていた。幼心にもその後ろ姿は眩しくて憧れだった。兄のようにはなれないと分かっていたし、自分の目標ではないと分かっていても目を奪われる輝きを放っていた。




「お前はあの女を許すのか?」




 レティルトの瞳が強く光り、ナーダルを睨み付けるように見つめる。他人事であるのにルーシャたちのほうが背筋が伸びてしまうほど、圧倒的な力が場を支配する。




「そういうつもりじゃない」




 ナーダルは両手をあげ、さらっと否定する。彼の表情も態度もあっさりしたものだが、兄を見据える瞳は言いようのない感情を秘める。




「手を貸せ、セルト」




 弟が兄のことを近くで見ていたように、兄は弟が生まれた時から近くで見ていた。確かにナーダルにはレティルトほど、王たる資質はない。標準的な国王になるための知識と技術をもつ、ありきたりな当主にはなるだろうという器だった。だが、魔力の扱いやその性質を見極めコントロールする術は並の実力ではなかった。今回のレティルトの作戦にナーダルを組み込むことが出来れば、その確率はぐんと上昇すると、レティルトは見込む。




「ヤだね。リーシェルと全面戦争するのは間違ってるよ」




 兄の誘いにナーダルは間髪入れずにノーをつきつける。




「怖気付いたのか?俺たちはあの女に国を、家族を奪われたんだぞ!」




 ナーダルの拒否の言葉にレティルトは声を荒らげ、その瞳に深い業火をともす。その気迫に彼の意志が並大抵のものではないと、赤の他人のルーシャたちでさえ感じ取れてしまう。




「僕達じゃ敵わないよ。それに地下の存在がバレてる、そっちをどうにかするほうが先決だし」




「あれは俺とお前で厳重に封印したし、探知無効まで施しただろ?」




「うん。たぶん、封印のこととかは分かっていなくても地下に何かがあることは勘づいている」




 最強の女騎士の嗅覚は侮れない。封印分野においてその先陣を切ってきたロータル王家のルレクト家は、伝来されてきた術だけでなくそれを基礎として様々な応用で封印魔法や魔術に精通している。その結果として生み出した魔力探知無効は魔力探知されてもその網に引っかからないという画期的なものだった。隠していることを隠すための究極の封印魔法のひとつであり、その術を使えるものは世界でも限られている。




 今はリーシェルの居城となっている旧ルレクト王家の城──ケルオン城は、ひとつの秘密を持つ城だった。その秘密はルレクト家に代々受け継がれ、それを守るためだけに封印分野の秘術を有している。




「兄さん」




 何かを言おうとしたレティルトに静止をかけ、ナーダルは先に口を開く。




「確かにリーシェルは許せない。両親を殺して、僕らの居場所を奪って・・・。すべてを引っくり返してめちゃくちゃにされた」




 ナーダルの瞳がなにかを──今ではない、ここではない何かを映す。その瞳があまりにも暗く、混沌としており、リーシェルの反乱がナーダルに与えた影響を考えさせられる。レティルトほどではないが、ナーダルにも多少の怒りや復讐心はある。両親が無残に殺される瞬間、ナーダルはその場にいた。目の前にいた王国軍大将・リーシェルは躊躇うことなく、呼吸をするかのように自然に両親の命を奪った。あまりに自然な手つきに、行動に、目の前にいたのにナーダルはその時何が起きたのか分からなかった。あの時そばにいたのに、両親を救うことが出来ず、目の前の光景を呆然と見つめることしか出来なかった。




「でも、僕は・・・ハルがこんなことのために命を懸けて僕らを助けてくれたんじゃないと思う」




「・・・」




 世界の全てを覆された反乱のあの夜、すべてが敵だった。信頼していた家臣も、王家や王子直属の騎士達も、城のものすべてがレティルトとナーダルにその剣先を迷わず向けた。その根源が恨みでも、何かの思惑があったわけでもなく、純粋に最強たるリーシェルへの恐怖でしかなかった。恐怖という最強の武器を掲げたリーシェルのもと、城中ののあらゆる人間が二人の命を狙った。信頼していたものに裏切られるという、感傷に浸る余裕すらあの晩にはなかった。一瞬一瞬を生き延びるだけで、逃げ回るだけで精一杯だった。




 そんななか、一人の騎士だけがレティルトとナーダルの味方だった。第二王子直属近衛騎士・ハルだけは上司だろうが仲間だろうが、二人に剣先を向けたものを片っ端から切り倒していき、最強の女騎士にもその剣を向けた。裏切りしかなかったあの夜、たったひとつの希望があった。あの時、彼がいなかったらナーダルもレティルトもあの時に命を失っていただろう。たったひとりの救世主に、二人の王子は救われた。




「どうしてもと言うなら、せめて僕を倒してからにして欲しいな」




 にこりとした笑顔とは裏腹に溢れる魔力がナーダルの本気度を示している。




「お前が俺に勝てたためしがあったか?」




 レティルトの表情が引き締まり、彼を取り巻く空気も一変する。




「さあ、どうだったかな」




 笑顔で答えナーダルは剣の柄に手をかけ、言いようのない殺気に近い空気が部屋に蹂躙する。




 ナーダルは今まであらゆることで、兄のレティルトに勝ったことがない。生まれ持った才能の違いか、三年早く生まれたという状況か、その努力がただならぬものだったのか──分からないが、レティルトは非常に優秀な兄だった。勉学でも、剣術でも、魔法術でも、運動神経や社交的技術もあらゆることに関してナーダルに秀でていた。




(厳しいな)




 心の中で本音を吐露したナーダル。自分の勝率が低いことも、無謀であることも十分承知の上だった。優秀な兄の陰に隠れ面倒なことから逃げて来たナーダルと、常に陽の光を浴びながらも王たる資質があると言われ重圧に晒されてきたレティルト。たどってきた道筋があまりにも違いすぎる。










 レティルトは躊躇うことなく剣の柄に手を置いたかと思うと、瞬時にそれを抜き取り弟に斬りかかる。ナーダルは難なくそれを剣で受け取め、剣に体重を乗せ兄の剣を押し返す。ナーダルの背に守られていたアストルだが、すぐにナーダルのもとから離れて壁際に移動しルーシャの隣に立つ。今この場では二人の王子以外の誰もが邪魔な存在でしかない。レティルトは実の弟に容赦なく何度も斬りかかり、ナーダルもそれを受けかわして対応する。






 徐々にナーダルとレティルトの剣が激しくぶつかり合い、甲高い金属音が氷の城に冷たく響き渡る。二人の一太刀には迷いがなく、お互いの命も運命もかけてその剣を振るっているのだと、遠目から見守るルーシャですらすぐに理解できる。




 互いのことを熟知しているからこそ、ナーダルはレティルトの、レティルトはナーダルの攻撃を紙一重でかわし、剣で受け止め、受け流す。どこか演武のようにさえ見える二人のやりとりだが、確かに彼らはお互いのすべてをかけて、命をかけて剣を交えている。一太刀受けてしまえば致命傷となることは明らかだった。




 白熱する二人の王子の、兄弟の真剣勝負にルーシャは見入る。ナーダルが一太刀さければ、レティルトはそれを追うようにさらなる一太刀を浴びせる。一撃の重みが半端ではなく、響く金属音とかすかに届く衝撃波が二人の思いを物々しく表現する。休むことのないレティルトの攻撃をさばきながらも、間でナーダルも兄にその剣先を向けている。金属同士の激しくぶつかり合う音、空を斬る音、互いの息遣い、氷の床に反響する足音、さまざまな音と空気が緊迫している。普段から温厚で剣を持つこと自体に驚くほど、争いというものとは無関係な師匠の剣術にルーシャは単純に驚く。




(マスター・・・っ!)




 ハッとルーシャはナーダルの手元を見て冷や汗をかく。ナーダルの持つ美しい白の刀身の真ん中辺りに、わずかながらもヒビが入っている。ナーダルもレティルトもそのことは分かっているが、それでも二人の攻防は続く。ナーダルはなんとか剣を守ろうとするが、レティルトは巧妙に剣のヒビを狙って攻撃を繰り出す。重い一太刀が刀身に響き、その傷は確実に広がっていく。弟だからといって一切の容赦も情もかけず、レティルトは恐ろしいほど確実に弱点を狙い続ける。




「悪いな、セルト」




 レティルトのその一言のあとに繰り出された一太刀が、ナーダルの剣に致命傷を与えた。美しくも切ない金属音が大きく響き渡り、ナーダルの剣が真っ二つに折られる。




 ナーダルの持っていた剣は、ロータル王国の第二王子のためだけに作られた世界にたったひとつしかないものだった。鞘は焦茶色で、金属で工芸がなされ美しくも実用的に装飾されている。柄の部分は使い勝手の良い黒革を鞣し、実用的かつシンプルながらも品位のあるようデザインされている。さらに、その剣には特別な祝詞が施されている──国を、誇りを、たいせつなものを守ることができるようにと。




 反乱のあの夜、生き延びるだけで精一杯だった。何かを持って行くことも出来ず、無一文で逃げた。ただ命を守るために手に取っていた剣ひとつだけを持って、故郷を、家を逃げ出すしかなかった。父王から受け賜った第二王子のためだけに作られた、世界で唯一の自分の剣。思い出もあるし、思い入れもある。まだ王子だった頃に王国軍幹部に剣術の稽古をつけてもらったり、レティルトとは良く手合わせをして、反乱のあの夜は命を守る唯一の武器で、逃げ出してからもリーシェルの追っ手を何度もこの剣で撃退した。




「素手で俺とやりあうのは無謀すぎる、諦めろ」




 優しさの欠片のない瞳と声のレティルトはその剣先をナーダルに向ける。同じ目にあったレティルトだからこそ、自分の剣が折れることの言いようのないつらさも分かる。




「まだだよ」




 どこか呆然としながらもナーダルは手にしていた折れた剣を床に置く。そして、そのまま手に魔力と意識を集中させる。ナーダルの右手に彼の清流のような魔力が凝集されていき、ひとつの剣が姿を現す。




 黒い鞘は光沢を持ち、光を反射させ怪しく光る。さらに黒い鞘には金で細やかに幾何学模様が描かれ、それだけで芸術品のように見える。濃い青と淡い青のふたつの宝珠が括りつけられ、実用性よりも芸術性を感じてしまう。柄は藍色の革が鞣され、ナーダルがその刀身を抜くと眩しいほどの白が輝く。




「青ノ剣か」




 剣から溢れるナーダルの魔力を感じながら、レティルトはその名を呟く。それは世界でも四本しか存在しない、〈第二者〉のための剣の一つだった。それを手にすることが出来るのは、それぞれの主が認めたものだけであり、ナーダルは青ノ主から認められた世界で唯一の〈青ノ第二者〉であり、青ノ剣を手にする資格のある人間だった。




「これを持つのは、兄さんのほうだと思ってたんだけどな」




 ゆらめく魔力に強い水を統べる力を感じ、レティルトは両手でしっかりと剣の鞘を持つ。意識を集中していないと、あっという間にナーダルのペースにもっていかれそうなほどの存在感がある。強く凛とした、水そのものかのような魔力が空間を支配していくなかナーダルは口を開く。




「魔女を引き入れるカリスマ性まであるしね」




 嫌味たっぷりにナーダルは笑いながら兄にそう告げる。それなりに魔法術の扱いに自信のあるナーダルだが、やはり慣れない環境で相手の土俵にたった戦闘は骨の折れるものがあった。




「お前変わったな。魔力のキレも、神語の構成も展開も速度が段違いだ」




 確かにナーダルは昔から魔力の才能があったし、魔法術を扱うことを得意として本人も好きだったので、その手のことは本当によく勉強していた。好きこそ物の上手なれとはよく言ったもので、やればやった分だけ伸びていった才能があった。だが、目の前の弟はそんなものの比ではないほどの魔力を有している。一目魔力探知をしただけで、一筋縄の魔導士でないことが分かる。




「あのあと、シバに弟子入りしたからね。ほんと、いちから鍛え直されたよ」




「シバっつったら生きる伝説だろ」




 驚きながらも、レティルトは心底納得する。レティルトもナーダルも、かつてロータル王国にいた王宮魔導士を師匠と仰ぎ、彼に師事し一からすべてを教えてもらい魔法術師となった。ナーダルはリーシェルから逃げた先、シバに師事してさらなる魔力の腕の向上を目指したのだった。一人前になってから、改めて誰かに師事することは基本的には公認されない。私的な向上心として、自己研鑽として個人的にされることだった。だが、魔力協会はナーダルをシバの弟子として例外的に公認した。




「お前らしいか。だから、協会の犬みたいなことやってるわけか」




 ひとつのことを話すだけで、レティルトはナーダルの背景を瞬時に理解する。情報通のレティルトは、ナーダルよりも様々な世界情勢や魔力協会の事情を知っている。さらに弟の性格を考えれば、ナーダルの選択や、それによる現在の立ち位置を推察することなど造作もない事だった。






 ナーダルはリーシェルから逃げるため、魔力協会の保護下に入る必要があった。圧倒的な強さですべてを掌握してしまったリーシェルに対し、ナーダルにはそれほどの人望があるわけでも、人々を率いる何かがあるわけでもない。他国に頼っても裏切られる可能性しかなく、永世中立組織の魔力協会に頼る他なかった。だが、リーシェルから敗走して数日経っても魔力協会は協会員のリーシェルに対して、その行動への罰も下さなければ糾弾もしない。すぐに、魔力協会がリーシェルを敵に回したくないのだと分かった。




 魔力協会のその行動にナーダルは焦った。他に頼る人も組織もないし、一人で逃げ切ることは絶望的なことだった。そこで考えついたのが、魔力協会がリーシェルよりもずっと頭の上がらない人物を味方につけようと。そんな人物、その世で一人しかいない──大魔導士・シバだった。彼女の公認の弟子となれば、師弟関係となり庇護下に入ることになるし、第二者としてやるべきことのあるナーダルにとって、世界一の知識と技術を学べることはこれほどの環境はない。そして、頑固一徹のシバをなんとか説得し、弟子となることが叶った。




 さらに、会長・フィルナルは議会がリーシェルへの罰則や忠告をしないと決めたことに不満を持っていた。シバの推薦で会長まで登りつめることができたフィルナルに、リーシェルから狙われている大恩あるシバの弟子を守らない理由はない。会長権限で新たにナーダルという人物での協会籍をつくり、単なる一人の魔法術師としてナーダルを魔力協会に在籍させた。




 シバという大物有名人の公認の弟子となれば注目が集まり、ナーダルの正体がバレる危険性もあったが、そこは極力顔を出さないことでなんとか凌いだ。もともとナーセルトが名前くらい聞いたことはあるかもしれない、というレベルの王子だったことが幸いしていた。最悪バレてもシバの庇護下にあれば誰も簡単には手を出せない。




 だが、フィルナルとしても危険な橋を渡っていることに変わりはない。リーシェルにバレて、その剣先が魔力協会を襲うことになり、魔力協会が壊滅すれば取り返しのつかないことになる。そこで、ナーダルを直属のパシリとして近くに置き、その行動を監視しつつリーシェルからの介入があればいち早く対応できる立ち位置にしたのだった。ナーダルもナーダルで、危険な状態になるリスクがあるなか会長直下で保護下にいれてもらったことに言いようのない恩をかんじ、フィルナルの無理難題を引き受けてきた。






 本来、めんどくさがりのナーダルは王宮魔法術師などという役割は何がなんでも避けたいほうだった。王子たった頃も、めんどくさい会議や執務も逃げ続けてきており、そういうもののしわ寄せはレティルトにきていた。役職などいらないから自由をくれ──そういう自分勝手で自由奔放に生きてきた。だが、再開した弟は王宮付き、それも魔導士となっていた。さらに、王宮魔導士として在籍しているのが、魔力嫌いで有名なウィルト国王のお膝元という。めんどくさがりのナーセルトが絶対に何がなんても避ける案件に身を置いているとしたら、それはもう魔力協会の存在を考えるしかない。




「じゃ、遠慮なくお手合わせ願おうか」




「遠慮はしてくれても良いんだけどな」




 レティルトとナーダルは再び互いの剣を合わせる。










──────────




マスターが!


マスターが、まさかの王子様だったなんて。なんのドッキリかと思うけど、明らかにドッキリではない空気。


そう言えば、ロータル王国出身だって言ってたけど・・・まさかの王子!いやいや、見えない。


レティルト王子の顔くらいしか知らなかったしなー。


それでも、ウィルト陛下や同じ王子の兄さんが全然気づかなかった方がミラクルな気がするんだけど。


そして、マスターとレティルト王子が兄弟で争うっていう、とんでもない展開。もう、どうなるんだろ。

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