p.35 亡国の王子

 まっすぐとアストルを見据える瞳は真剣そのもので、あまりにも強い眼力に屈服してしまいそうになる。気持ち一つ動かすだけでその場の空気をこれほど変えられる人物など、そうそういないだろう。腰にぶら下げている剣の柄を手にし、レティルトはひとつのことに気づく。




「アストル、お前・・・手ぶらかよ」




 目の前に立つ、一国の王子を上から下までまじまじと見つめたレティルトは少し呆れた様子に見える。それだけで、どこか空気が緩みルーシャは一息つける。




「ここへは・・・事故で来てしまいましたし、王子と争うつもりもありませんし」




 呆れるレティルトとは別に、アストルはそんなことを気にもしていないという態度を貫く。それはそれである意味すごい──ルーシャはそんなことを心の中で呟いていた。言葉を濁しながらも武器の不所持を気にしないアストルにレティルトは首を横に振る。




「自分の身は自分で守れ、いつなん時でもな。あと、オレはもう王子じゃない」




 ため息混じりな言葉には、唯一の王位継承者へ対する叱咤が込められる。レティルトは二人兄弟であり、もしも自分が事故や病気、暗殺などでこの世を去ったとしても血を分けた兄弟がいるし、弟もそれなりの統治はできるであろう資質は兼ね備えていた。だが、第一王子として、兄として、レティルト個人として期待されている以上はやはり王位は自分のものにして国を率いりたいと考えていた。権力に興味はないが、与えられた役割でそれを遂行することが困難なほど才能がないわけでもなく、むしろ人の上に立つことを意識していた。




 王位を継ぐ人間として、そして普通の人間として自分の命は大切にしていた。食事に気をつけたり、運動したり、健康法を取り入れたりしたわけではなく、とにかく自分の命を自分で守ることを徹底した。王子という身分上、どうしても暗殺の類はあるし、王家を陥れようとする輩に毒をもられたりすることもある。自分の周囲に徹底的に気を配り、生きることに専念していた。それこそ、剣術や護身術、格闘技などは抜かりなく行ったし、その手のことに疎い弟王子も無理に巻き込み彼にもその手のことを叩き込んだ。




 王位を争うことになる相手であるが、そんなことは関係なく弟のことは家族として好きだったし、幼い頃からともに遊んで学んで怒られて・・・と、ともに成長して来た大切な存在だった。それに弟・ナーセルトは呑気で王位や権力にもっぱら興味のない人間だった。そんなことよりも、もっと自由気ままに好きなことだけをしていたい──そんな自由人だった。「暗殺で死んでもそれは仕方がない」とでも言いそうな人間であり、レティルトが巻き込んで剣術などを叩き込まなければ彼の命はとうの昔に誰かに奪われていたかもしれない。




 同じ王子として、王位継承者として、レティルトはアストルを見る。もはや国を終われ、逃げ回るだけの立場になった今でもアストルの生きる境遇は誰よりもわかるつもりだった。




「ほらよ」




 レティルトは瞬時に己の手の内に魔力を集め、神語を構成し、あっさりと剣を創り上げる。シンプルながらも実用性の高そうな剣を軽々とアストルへ投げ渡し、剣帯に装備されている自分の剣の柄に手をかける。




「レティルト王子──」




 剣を反射的に受け取ったとはいえ、アストルにはレティルトと争う意思はまったくない。鞘からその刀身を抜き、躊躇うことなく突きつけるレティルトとは相反してアストルには躊躇いしかない。憧れだった王子に剣を向ける覚悟もなければ、意味もない。しかし、真剣な眼差しのレティルトは遊び半分でその剣先をアストルに向けているわけではない様であり、何もしなければアストルはあっさりレティルトの手でこの世を去ってしまうだろう。




 冷たい空気を感じながら、アストルは躊躇いながら手渡された剣に目をやる。ここで死ぬわけにはいかない、国を背負っていかなければならない身の上であることは承知している。自分がいなくなれば、ウィルト国王──ネスト家の血を継ぐものがいなくなり、血族によって続いてきた政治は終わりを迎える。探せば、もしかしたら何らかの繋がりのある人間がいるのかもしれないが、その者を探したところで泥沼の王位争いは避けられないだろう。




 王位争い、権力争いを身をもって経験したわけではないが、それらがもたらすものが良いものでないことくらい、アストルでも容易に想像がつく。存在しなければならない責任も、国を治めなければならない運命も、次の世代を育てていかなければならない未来も、すべてはアストルに委ねられている。




「じゃ、遠慮なく」




 軽くそう告げると、レティルトは真っ直ぐとアストルに切りかかる。五、六百メートルほどある距離を一瞬でつめ、レティルトの剣がアストル目がけてまっすぐと振り下ろされる。瞬時に剣を抜き、その刀身でレティルトの剣を受け止めるアストル。兄のすぐそばにいたルーシャは反射的に兄から離れて自分の安全を確保する。




(止めなきゃ!)




 当たり前のように距離をとって大広間の壁際に避難したルーシャは、ハッと自分の使命を思い出す。師匠に変わってアストルを守り、無事にセルドルフ王国に帰さなければならない。




 だが時すでに遅く、レティルトの剣の嵐がアストルに襲いかかり、ルーシャが入り込む余地など微塵もない。下手に入り込めばルーシャなどあっさり斬り殺されてしまうであろう。






「ちょっと! レティルト、アストル!」






 階段の手すりから今にも身を乗り出しそうな勢いでオールドは二人の名を呼ぶ。アストルはレティルトの攻撃を受けるだけだが、レティルトは躊躇うことなくアストルの命を狙う。二人ともオールドの声など耳に届かず、その手に持った剣を振るい続ける。




 二人を止めようと階段を降り、オールドはホールまで降りてはきたが、その足は階段の入口付近で止まる。ルーシャ同様に、下手に二人のあいだに入り込めないと察したオールドはその場に留まることしか出来ない。




 強く鋭いレティルトの剣先が容赦なくアストルに降りかかる。まるで剣の嵐に見舞われているかのような状況に、アストルは呼吸を乱しながら応戦する。憧れだった存在の、あまりに圧倒的で強くブレることのない剣術は彼の思いを象徴しているようだった。




 空を斬るだけでも、本当に大気を斬るかのようなレティルトとは相反してアストルは一切反撃をする気配がない。攻撃を受けてもなお、憧れの存在に手を出すことが躊躇われている。一撃一撃を受け止めるたびに、その重さに腕が痺れてくる。紙一重でかわしながらも、いくつもの小さな傷が体中に切り刻まれる。痛みを感じるが今はそれよりも、レティルトの気迫に負けてはならないと抗うことに集中する。




 一瞬でも気を抜けば、レティルトの太刀筋を見切ることが出来なくなりそうだった。見せかけでも、鍛錬のための実践でもなく、命をこうして狙われてアストルは緊張感よりも一瞬一瞬を乗り切ることで精一杯だった。王位継承者として、ウィルト国王のお膝元においてアストルが危害を加えられることはなく、王子として生きていくにあたり剣術をしこまれてはいたが、こうして実践の日が来ることは想像したことがなかった。




 一息つく間さえもなく、重い一撃一撃に耐えることしか出来ない。もともと平和主義なアストルは生きるためとはいえ動物を狩ること、捌くことを苦手としていた。そんなアストルが人を──尊敬してやまない人物を攻撃することなどできるわけがない。命がかかっている現状でさえ、アストルは自らの命と誰かの命を奪うという行動を天秤にかけることすら出来ない。






「アストル」




 凛とした声が自分の名前を呼ぶ。まっすぐとこちらを向く瞳は眩しいくらいに強い光を宿し、そのブレることのない瞳の光が眩しすぎる。自らの選択に、行動にすべての責任を負うと覚悟しているレティルトは強い。それがどんな結果をもたらそうと、誰の命を奪おうと、国が傾こうと、そういうこと全てが起きても何の言い訳もせず、真正面から受け取るだけの覚悟を感じられる。




「お前には恨みも何もないが、オレの前に立ちはだかるなら消させてもらう」




 強く見つめられただけで体が麻痺したように重く感じる。レティルトの存在が、声が、雰囲気が、──彼のすべてがアストルを凌駕する。人の上に立つこと、国を背負って守ること、その血と歴史を紡いでいくことすべてに責任を負っていたレティルトの醸す空気は尋常ではない。




 名前を呼ばれ硬直し動きを止めたアストルにレティルトは静かに近寄り、その剣先が躊躇うことなくアストルの喉元に突き立てられる。抵抗しようという気力すら、圧倒的支配力を持つレティルトの眼前では意味を失う。




 死ぬというのに、何故か時間が穏やかに過ぎていく。周りのすべてが静かに流れていき、感覚もない。焦りも、恐怖も不思議とない。どこかでこうなるものだったのだと、納得できてしまう自分がいた。






 レティルトが剣を握る手に力を込め、若き王子の命を狙う。アストルは目を瞑りすべてを覚悟する。














 痛みと死を覚悟したアストルの耳に、キーンっと金属同士の激しくぶつかり合う高音が耳やかましく届く。ゆっくりと目を開くと目の前には一人の男がたっていた。その背に守られ、彼がアストルと城主であるレティルトの間にいつの間にか割り込んでいた。




 彼は少し前──実際にはどれくらい時間が経っているか分からないが、アストルとルーシャに先へ行くように仕向けた。雪原に蔓延る魔女と対峙し、その足止めを行ったからこそルーシャもアストルも怪我なくここまで来ることが出来た。






「あなたに死なれては困るんですよ、王太子」






 ナーダルがアストルに向けられていた剣を自分の剣でなぎ払い、その剣先をまっすぐとレティルトに向けていた。緊迫した状況下に関わらずナーダルはいつもと変わらない笑顔でこちらを振り向く。その笑顔にどこか救われる。レティルトに敵わないという以前に、どうしてもアストルはレティルトと敵対したくなかった。だから、少しでも状況を変えたいと願いながら剣を手にしていた。魔導士の彼ならば、レティルトを傷つけずになんとか状況を改善してくれるのではないかけ──そんな期待を抱いてしまう。




 アストルのそんな淡い幻想とは裏腹に、ルーシャは師匠の出で立ちに胸が締め付けられる。魔女──それも雪原という場所で白ノ魔女と交戦するということは、かなりの激戦を意味していた。相手の土俵で戦うことは簡単なことではなく、ナーダルの体や服装にはいくつもの傷が目立つ。深い傷はないようだが、生々しい傷跡は痛たましい。血が滲んだコートはところどころ擦り切れ、切り傷や何かの魔法術による傷も目立つ。




「お前・・・」




 レティルトの腕から力が抜け剣先をおろし、ナーダルもそれを確認すると自分の剣を下ろす。そして、そのまま二人は剣を鞘に収める。突然の来訪者に対し少し驚いたような表情を浮かべながらも、レティルトの瞳は腑に落ちたように見える。ナーダルはアストルに向けていた瞳を雪原の支配者にうつす。その瞳の光は一切の迷いがない。まっすぐと目の前のレティルトへとその視線を注ぎ、ナーダルはほかの誰をも見ていない。








「久しぶり、兄さん」






 いつもと変わらない優しい笑顔をナーダルはレティルトに向け、凛とした声で目の前の彼にそう告げるのだった。
















──────────




レティルト王子と兄さんが剣を交わした。


レティルト王子、あんなにかっこよくて、物凄い風格もあるのに、剣術も半端ないなんて・・・。それに、今回のことを一人でやってのけていたのだとしたら、戦略的なこと、それを遂行する行動力、魔法術の腕前も凄すぎる。神様はどれだけの才能を与えたんだろうって思ってしまう。




そして、マスターがあんなに怪我してるとこ初めて見た。何でも卒なくやってきてるとこしか見てなかったからなぁ・・・心配!




そしてそして・・・、どういうことっ?!




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