おわり

 後日、城内ではミハイルが侍女と逢引していたという噂が広がっていた。

 あれほどの勢いで逃げていたのは、逢引現場を目撃されたくなかったからに違いないという噂と共に。


「侍女とだなんて、本当ですか!」


 それをどこで聞きつけたのか、レイシアが声を張り上げた。レイシアの手の先には、起こされたばかりで寝惚け眼なレオンが繋がれている。

 朝から詰め寄られたからか、ミハイルは呆気に取られたようにぽかんと口を開けていた。

 その呆けた表情に、レイシアが「あれ?」と言いながら首を傾げているのは、思っていた反応ではなかったからだろう。


「それは私のことだよ」


 ミハイルの横に立ちながら、一緒に書類に目を通していたアルミラが見かねたように口を挟む。別段隠すようなことでもないからだ。

 だがレイシアの目が輝きはじめたのを見て、すぐに黙っていたほうがよかったかもと後悔した。


「すごい! おめでとうございます!」


 一体なにがすごいのか、手を合わせてきゃあきゃあと黄色い声を上げる姿にアルミラは目を丸くする。


(そんなに騒ぐことか?)


 婚約したわけでも結婚したわけでもない。ただ逢引していたと噂されているだけだ。

 レオンの反応はいかがなものかと様子をうかがうと、ようやく目が覚めたようで、なぜかミハイルを睨みつけている。


「兄上」

「……なにかしただろうか」


 冷え冷えとした声にミハイルの眉根が寄る。

 心当たりがない、と言わんばかりの表情を向けられ、レオンの舌が音を立てた。


「俺の子を世継ぎにすると言ったそうだな」

「ああ、そのことか。可能性の一つとして考えただけで、本当にそうするかは決まってないよ」


 ミハイルにとってはなんてことのない話だったのだろう。言い終わるとすぐに書類に目を通しはじめた。処理しなければならない書類は山ほどある。

 だがレオンには気に食わない態度だったようで、勢いよく机を叩いた。上がる大きな音に、ミハイルは驚いたように顔を上げる。


「戯けたことを考えるな」

「一応本気で考えたんだけど……母上は強い人ではなかったから、残すならコゼット様の血かなと、そう思っただけだよ」

「残すべきは王族の血です」


 すかさずアルミラが口を挟む。

 コゼットの血だろうとマリエンヌの血だろうとどちらでもいいが、とりあえず子供を作れるようになってくれ、というのが本音だ。

 現状、二人とも子供を作れるような状態ではない。レオンはレイシアしか嫌だと言い張っていて、ミハイルについては語るまでもないだろう。


「まずは子を成せるようになってください。話はそれからです」


 ミハイルの頬が朱色に染まり、レオンが気まずそうに視線を逸らした。

 逸らした視線の先にはレイシアがいる。レイシアはレイシアで、失言してなるものかと口を一文字に結んでいた。


「そういえばレイシア嬢。私の兄が観劇は好きかと聞いて――」

「おい、どうしてまたお前の兄の話が出る」


 言い切る前に遮られる。だが意図は伝わったのだろう。これでもかと不機嫌を露わにするレオンに、レイシアがおろおろと視線をさまよわせた。


(……レイシア嬢は性格が改善されない限り、頷かないだろうな)


 レイシアはレオンのことを嫌っているわけではないが、好意を抱くには今一歩足りていない。その原因がなにかは、考えるまでもない。

 好戦的な性格と、強い口調、それから気性の荒さがレイシアと噛み合っていないだけだ。


「どうしてと聞かれましても、レイシア嬢の好みが知りたいのでしょう」

「俺がいるのだから知る必要などないだろう」

 

 言い切る姿は自信に満ち溢れている。


(一体その自信はどこからくるんだ)


 一度振られていて、しかも友人宣言まで受けているのに自信満々だ。

 このままではいつか愛想をつかされるだろう。昔に比べると多少よくなってはいても、我儘な暴君であることには変わりない。


「もしも暇があればレイシア嬢と観劇に行きたいらしいけど、いつが暇かな?」

「行く必要はない」


 代わりに答えられたからか、レイシアの手が強く握りしめられている。


(こちらもこちらで先は長そうだ)


 アルミラの兄は本気でレイシアに懸想しているわけではない。ただアルミラと二人で、レオンの改善計画を立てただけだ。

 現在、レオンがそばにいるせいでレイシアに言い寄る者はいない。その環境がレオンを増長させているのではと考えて、兄が言い寄る役を引き受けた。

 兄は――中身はともかく――見た目や雰囲気はレオンとは真逆だ。危機感の一つでも覚えればなにかしら改善されるだろうと思ったのだが、今のところ効果はあまり出ていない。


「私のことなのにどうしてレオン様が答えるんですか!」

「……だが、行く必要はないだろう?」

「あります! レオン様は落ち着いて見られないじゃないですか!」


 ちなみにこの計画はレイシアも承知している。最初の花束は意表を突くために黙って渡したが、その後にちゃんと説明した。

 あまりいい顔はしなかったが、レオンの性格が改善されるなら、と最終的には納得してくれた。


「……見れるに決まっているだろう」

「気に食わない展開だからって不機嫌になりませんか?」

「当たり前だ」

「飽きたとか言って席を立つのも駄目ですよ?」

「お前と一緒なのに飽きるわけがないだろう」


 甘さを含んだ声と瞳に、レイシアはしかたないとばかりに溜息をついた。


「わかりました。それじゃあ、今度暇なときに一緒に行きましょう」

「ああ。一番いい席を用意してやろう」


 レオンの手がレイシアの頭を撫で、そのまま髪を梳く。ここがどこかも忘れているような上機嫌さに、アルミラはそっと視線を外した。


「アルミラ……私たちも観劇……ではなくてもいいけど、二人でどこかに遊びに行く、というのはどうだろうか」


 外した視線の先にいたミハイルが二人をどこか羨ましそうに見てから、意を決したように問いかけてきた。

 どこかと言われても、アルミラ行きたい場所はない。結構ですと断りかけるが、それを口にする前に含まれた意味に辿りついた。


(いや、これは二人で、という部分が重要なのか)


 アルミラとミハイルはあまり二人きりにはなれない。レオンは目を離すと、レイシアを連れてどこかに出かけようとする。


 本人曰く「王ではないのだからいいだろう」とのことだ。


 いいはずがないので、監視も兼ねてミハイルの執務室で普段は働いている。


「ええ、そうですね。出かけましょうか、二人で」


 そう答えると、輝かんばかりの笑顔が返された。どうやらこれで正解だったようだ。


「そうだな、それじゃあいつにしようか」

「とりあえず、それが片付いてからでしょうか」


 机に山のように積まれた書類に視線を落とす。次から次に書類が届くため、一向に終わりが見えてこない。

 このほとんどはハロルドが原因だ。遠方に追いやられた騎士を一人呼び戻すのにも、いくつもの書類が必要になる。さらに、機嫌を損ねたくないからと、問題が起きても報告しなかった貴族までいた。

 それについては相応の処分を与えることになったが、それにも書類が必要になる。


 尽きることのない書類の山に、ミハイルの肩がしゅんと落ちた。


「二人で出かけなくても、二人になることはできますよ」


 意気消沈したミハイルにアルミラが苦笑しながら言うと、反応したのはなぜかレイシアだった。

 顔を赤らめて、レオンの手を引きながら執務室を出ようとしている。その俊敏さに思わず見送りかけたが、レオンにはレオンの仕事がある。


「レオン殿下用の書類がそちらにあるので、連れていかれては困ります」


 レオンが担当しているのは主に、法を犯した者の刑罰の最終決定を下すことだ。ミハイルにはまだ荷が重いだろうと、そういった書類はレオンに回していた。

 私情を挟むことなく判断するため、これはこれで重宝している。


「私がなんとしてもやらせますので、ご安心ください」


 力強く言っているが、いつも強引にレオンに連れ回されているのでいまいち説得力に欠ける。

 アルミラが不安に思っているのを感じ取ったのだろう。レイシアはじっとレオンを見上げた。


「レオン様、お仕事できますよね? できないと、観劇には行きません」

「……今日だけだ」

「今日以外もしてください」


 じっとりとレイシアが睨みつけると、不承不承といった感じではあるが大人しく頷いた。

 それに満足したのか、レイシアは「レオン様のお部屋にいます」と言いながら書類片手に執務室から出ていった。


 色々な意味で騒々しい二人がいなくなると、室内は途端にしんと静まり返る。アルミラもミハイルも、どちらも口を開くことなく黙々と書類を読み込んでいる。


「……アルミラ、先ほどの話だけど」


 先に沈黙に耐え切れなくなったのはミハイルだった。頬を染めながらもじもじと手を動かしている。


「私は君と二人でいられるのなら、どこでもいいと思っているよ。だけど、たまにはどこかに出かけるのも悪くないんじゃないかな?」

「そうですね。書類が片付けば」


 慈悲のない言葉に、ミハイルは呻くような音を立ててうなだれた。


「冗談ですよ。急を要する書類が済みましたら、どこかに出かけましょうか」


 ミハイルが目を輝かせて嬉しそうに微笑むのを見て、アルミラは仮面の奥で小さく笑みを浮かべる。


(落ち込んだかと思えば笑う……面白い)


 アルミラは根っからのいじめっ子気質だった。


「男性と女性、どちらの装いがよろしいでしょうか」

「それは……アルミラの好きなほうで構わないよ」


 意地の悪い質問にミハイルは真剣な表情で答えた。本気でどちらでも構わないと思っていそうで、アルミラの手がミハイルの頭に置かれる。

 そして先ほどレオンがレイシアにしていたように、頭を撫で、髪に触れた。


(なにか違うような……?)


 そう思いながらも、髪をいじる手は止めない。顔を赤くして恥ずかしそうに俯いているのを、悪くないと思ったからだ。


「ミハイル陛下」


 仮面を外し、机に置く。そして名を呼ぶと、とまどいながらもミハイルの顔が上がった。

 このまま髪をいじり続けていたらまた下がってしまうだろう。その前に手を顎に添え、なにかを耐えるように固く閉ざされた唇に自分のを押し当てる。


「いつまでも待っていては、埒があきそうにありませんから」


 少ししてから離すと、あ然としているミハイルに向けてそう言った。


「……アルミラ」


 熱のこもった声と眼差しと共に、アルミラの後頭部に手が回る。そしてまたも、互いの唇が重なった。

 ほんのわずか、数秒にも満たない触れ合いだったが、ミハイルにしては勇気を出したほうだろう。


「それでは、執務を再開しましょうか」


 顔を赤らめながら目を伏せるミハイルを讃えることはせず、それどころかこれで終わりだと無慈悲に告げる。

 だがその顔には、ミハイルが息を呑むほどの、美しい笑みが浮かんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

我儘王子に婚約破棄された男装令嬢は優雅に微笑む 木崎 @kira3230

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画