「今度は罪人という首輪で繋ぐ気なのでしょうね」

 一人で考えて一人で落ち込むミハイルをよそに、アルミラは馬の状態などを確認している。

 騎士の捜索範囲にない場所という目星をつけていたが、それで一発で場所を特定できたわけではない。方々を駆け回ったため、それなりに疲労もたまっているはずだ。


(学園までなら大丈夫か?)


 馬術を習いはじめて早々に出会った愛馬だ。急を要するとはいえ、無理をさせすぎて潰したくはなかった。


「戻ったらゆっくり休んでいいからな」


 馬に話しかけ、ミハイルのほうに振り返る。眉を下げ心配そうにこちらを見ているミハイルに、アルミラは柔らかな笑みを意識して表情を作った。もちろん、安心させるためだ。


「前に乗っていただいたほうが安定するのですが、視界が遮られると支障が出るため後ろに乗っていただいても構いませんか?」

「え、いや……私に手綱を握らせてくれないか?」


 狼狽するミハイルにアルミラは首を傾げた。この馬はアルミラの馬だ。乗り慣れている人が操るほうがいいに決まっている。


 穴からの救出など、あまりにも男らしくない部分ばかりを見せてしまったミハイルがせめて乗馬だけはと考えて提案したのだが、そういったことに無頓着なアルミラは気づかなかった。


「黒雷号は気難しい子なので……」


 悩ましげに眉を下げるアルミラに、ミハイルはぱちくりと目を瞬かせて馬とアルミラを交互に見た。


「こく、らい?」


 ミハイルの目には、一点の曇りもない艶やかな毛並みをした白馬しか見えない。


「はい。速そうでしょう?」

「……ああ、そうだね。たしかに速そうだ」


 あばたもえくぼとはよく言ったもので、とんちんかんなアルミラのネーミングセンスをミハイルは全力で肯定した。

 黒雷号も褒められて嬉しいのか、まるで同意するかのようにヒヒンと鳴いた。


「私以外が手綱を握るのを嫌がるので、ミハイル殿下には申し訳ないのですが後ろに乗っていただくしか……後ろが嫌だということでしたら、前でも構いません。尽力いたします」

「いや、そういうことなら後ろに乗らせてもらうよ」


 これ以上我儘を言って心証を悪くしたくないミハイルは二の句もなく頷いた。


 さて、後ろに乗ると決めたのはいいものの、ミハイルは今世紀最大とも言うべき事態に陥っている。馬には普通しがみつけるような場所はない。

 前に乗る場合は後ろに乗っている人の体を支えにできるが、後ろに乗る場合は、前にいる人の体にしがみつくしかない。


(これは、いいのか?)


 学園まで三十分。その間ずっとアルミラにしがみつくことになる。不可抗力とはいえ、女性の体に長時間触れるのだ。初心なミハイルはどうしても躊躇してしまう。


「しっかり掴まっていてくださいね」

「あ、ああ」


 だがこう言われてはしがみつくしかない。意を決してアルミラの体に腕を回す。柔らかな感触に硬直し、力を入れすぎると潰してしまうのではという不安からどうすればいいのかわからなくなる。


「ミハイル殿下、あの……そんな恐る恐るでは、その、少々くすぐったいので……」


 ものすごく言いづらそうに声をかけてくるアルミラに、ミハイルは固く目を瞑り、これ以上ないほどの勇気を振り絞った。


「それでは出発します。気分などが悪くなったらおっしゃってください」

「ああ、わかった」


 無の境地に達しようと精神統一をしているミハイルからすれば、気分が悪くなるとか悪くならなとか以前の問題だった。


「……馬上で話すのは、あまりおすすめできませんが、気がまぎれるようになにかお話しますか?」


 伝わってくる緊張にアルミラが気を遣う。緊張している理由はまったくもって見当違いだが、意識を逸らさないと耐えられそうになかったミハイルはその提案を受け入れた。


「……アルミラは今回のことをどう思う?」


 わずかな間を置いてから紡がれたその言葉は、ミハイルが意図的に思考から外していた問題だった。

 だが追及しないわけにはいかない。それでもワンクッション挟んでしまうのは、現実を直視したくはないからだろう。


「私の推測が当たっているかはわかりませんよ」

「それでもいいよ。君の意見を聞きたい」

「……学園の騎士が王家の管轄であることはご存じですよね?」

「……ああ」


 学園には王侯貴族の子供が集まっている。そのため、どこかの貴族の息がかかっている騎士を招いて問題が起きてはいけないということで、王家の騎士が配属されている。


「騎士の方々がどこまでご存じかはわかりませんが……少なくとも上層にいる方は王からの命令を受けていることでしょう」

「そう、だろうな」


 学園にいる騎士を管理しているのは王家直属の騎士団だ。そして騎士団長は王の命令しか聞かない。


「父上は、なにをしたいんだろうな」


 本来、魔法の痕跡を辿るためには魔導士が必要となる。だが、今回転移魔法が使われたと言っていたのは騎士で、魔導士ではない。

 しかも学園に魔導士はいなかった。それなのに転移魔法の痕跡があるということは、その証言自体がでまかせだということになる。


 騎士が個人的な理由でそんなでまかせを口にすることはない。上からの命令か、あるいは上からの報告があったのだろう。


「魔導士の軍事利用が認められていないことはご存じですか?」


 魔法組合は生活のちょっとした手助けはするが、国の問題や、ましてや国同士の諍いには手を出さない。

 これは魔法組合が国の垣根を超えて活動していることが関係している。どこかの国に加担したとなれば、助力した国はともかくとして、他の国からの批判が出てくることだろう。そうなればその国にいる魔導士の立場が悪くなり、追いやられることは目に見えている。


 その話は当然、ミハイルも知っていた。「ああ」と短く肯定すると、アルミラはゆっくりとした口調で言葉を続ける。


「魔法組合に属さない者は魔導士とは認められません」

「つまり……」

「王は戦争をなさりたいのですよ」


 ぐっとミハイルの手に力がこもる。穏やかに微笑む王の顔を思い出し、そして同時にマリエンヌの葬儀でいつも浮かべている笑みを消し、感情をうかがわせない無表情で事務的に指示を出す姿を思い出した。


「しかし、それと私のことにどんな関連性が?」

「今学園で転移魔法を使える人は一人しかいません」

「まさか、レオンのせいにするつもりなのか? 私がレオン相手に後れを取るわけがないのに」

「……まあ、それについては一先ず置いておきましょう。国が管理している騎士が転移魔法が使われたと報告したとして、真っ先に疑われるのはレオン殿下だということは間違いありません」


 ミハイルがたとえ誰かに襲われ頭を殴られたようだと話したとしても、それを信じる者は多くはないだろう。

 ミハイルは日和見で知られている。事を荒立てたくないと嘘をついていると思われても不思議ではない。そしてレオンの日頃の行いを知る者は、ミハイルを害しても不思議ではないと考えることだろう。


 そうでなくとも、王の言葉に真向から反対できる者はいない。なにしろ、王の意に背いた者は不幸な事故に合う。


「婚約者や恋人という首輪の外れた彼を、今度は罪人という首輪で繋ぐ気なのでしょうね」


 国一番の騎士という桁外れの猛者がいるとはいえ、一騎当千で戦争に勝てるわけではない。戦場というものは複数の場所で起こることもある。

 そのときに転移魔法を使える者がいれば、これ以上ないほどの戦力となる。


 国営にしか興味がない王は、道具に対する愛着がない。そのため、使い潰すことすらも厭わない。

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