(あの馬鹿もたまには役に立つな)
アルミラは意地っ張りで負けず嫌いな子供だった。
レオンと婚約が決まったと父親が告げてきたときも、表面上は頷いていたが心の中では不満が渦巻いていた。
いつかは親の決めた相手と結婚することはわかっていたが、それでも恋の一つや二つぐらいはしてみたいものだと思っていたからだ。それなのに六歳で婚約が決まり、恋をする機会を失った。それでも、想い焦がれられるような相手と婚約を結べていればまだ話は違っただろう。
だが初めて会った婚約者の態度は最悪だった。
「いいか、俺の言うことにはすべて従え。わかったな」
その偉ぶった言葉に、アルミラはカチンときながらも父親の体面や家族のことを考え、抱いた不満をひた隠した。
「足りん。お前のもよこせ」
それからも何度かお茶会やらなんやらで顔を合わせ、そのたびに出されたケーキなどのお菓子を強奪していくレオンに、アルミラはよりいっそう怒りを募らせた。
しかも譲ったところで感謝の言葉一つない。
(いつか絶対泣かせてやる)
いつも不機嫌そうなレオンの顔が歪む姿をいつか拝んでやると思うことで、引きつりそうになる顔を笑顔の形に留めた。
だがそれでも結局は十にも満たない子供。我慢の限界がくるのも当然だ。
「まったく、女という奴はどうしてそう髪を伸ばしたがる。邪魔なだけではないか」
レオンの袖口にあるボタンに髪が絡まり、それをほどくのに一苦労していたときにかけられた言葉が、アルミラの怒りを爆発させた。
解くのを手伝う素振りもなく、ただ吐き捨てるように言われ、アルミラは衝動的に髪をばっさりと切った。
「は? なっ、お前、なにを!?」
そのときのあ然としたレオンの顔が滑稽だったことは、十六になってもなおアルミラは覚えている。
「邪魔と言われたので切りました。それがなにか?」
「お前は馬鹿か!? 誰がそこまでしろと――」
「長い髪はお好きではないのでしょう? 短いほうが殿下の好みかと思いましたが、違いますか?」
小馬鹿にするような笑みを浮かべるアルミラに、レオンはいつものごとく舌を打つ。
髪を失った代償があ然とした顔一つでは割りに合っていないように思えるが、そもそも髪に対する執着心がアルミラにはなかった。むしろ長くて邪魔だとアルミラ自身思っていたぐらいだ。
さっぱりした気持ちで日々を過ごしていたアルミラだったが、肩以上の長さにしようとしないことに家族が難色を示しはじめた。
「女の子なんだから髪を伸ばしなさい」
眉をひそめ咎めるように言われたこともあった。
「殿下のご命令ですので」
だが伝家の宝刀とばかりにその台詞を口にすれば、両親は困った顔をしながらも強くは言ってこなかった。
(あの馬鹿もたまには役に立つな)
心の中でにまにまと笑いながら、アルミラはつんと澄ました顔でレオンの命令を忠実に守っているかのように振る舞い続ける。女の子の髪を切ったという悪評がレオンに降りかかるのもお構いなしで。
「そんな無様な髪でドレスが似合うと本気で思っているのか?」
十を超えた頃、ちょっとしたお披露目会があり、苛々とした様子のレオンにそう言われ、アルミラはいつものごとく「かしこまりました」と答えた。
そしてこれ幸いと動きにくかったドレスをやめ、男子用の衣服を纏うようになった。
両親が止めるのを「レオン殿下のご命令ですので」と説き伏せ、レオンとの茶会に男装姿で参じたアルミラに、レオンは不快を隠そうともせず顔をしかめた。
「誰が男の装いをしろと言った」
「髪に似合う恰好をしろとおっしゃったのは殿下ではございませんか」
アルミラが勝ち誇った笑みを返すと、レオンは歯噛みしながら苛々と指で机を叩いた。
「お前がそのつもりならいいだろう。……そうだな、今から俺の肩を揉んでもらおうか」
「殿下! そのようなことは私たちが!」
「黙れ! 俺は今こいつに命令している!」
間に入ろうとする侍女を一喝し、レオンは小馬鹿にするような視線をアルミラに向けた。アルミラは腐っても公爵令嬢、そんなことはできないだろうと高を括っての発言だということがわかり、アルミラは椅子から立ち上がるとレオンを見下ろし粛々とした態度で頷いた。
「お望みとあらば」
アルミラは意地っ張りで負けず嫌いだ。令嬢としての矜持よりも、自分自身の矜持を優先し、レオンの肩に手を置いた。
「下手だな」
だが、これまで肩を揉んだことのないアルミラの手つきがおぼつかないのは当然だ。漏れ出たような呟きにアルミラの闘志に火が点く。
そして父親の肩を犠牲にしての修行に励んだ結果、アルミラはどこに出しても恥ずかしくないマッサージの腕前を手に入れた。
それからの二人については、語るまでもないだろう。レオンが無理難題を押しつけ、アルミラが対処するということを繰り返してきただけだ。
人とは不思議なものでアルミラが「気にしてない」「大丈夫」と口にするたび、健気に耐えていると思われるようになった。
レオンの日頃の行いの悪さが起因しているとはいえ、アルミラの評価が上がるにつれレオンの評価は下がっていくのだから面白いものだ。
だが普段の行いも相まってではあるが、いくら悪評が立とうとレオンは謝りもしなければ泣きもせず、アルミラが奇抜なことをするたびに一瞬呆けてから苛々と舌打ちし、また別の命令を下した。
アルミラから謝るという選択肢もとうの昔になくなり、ただ引き際を失っただけの意地の張り合いが、何年にも渡り繰り広げられた。
今回の婚約破棄騒動も、アルミラとしてはその一環にすぎない。
婚約がなくなろうと、レオンが誰かに想いを寄せようと、アルミラにはどうでもいいことだった。むしろ丁度いいとすら思っていた。
だが婚約者でなくなればレオンとの関わりはなくなる。
だからこれは最後の勝負だ。子供の頃に抱いたアルミラ自身の願いを叶える最後の機会でもある。
「絶対に泣かせてやる」
アルミラは意地っ張りで負けず嫌いで――そしていじめっ子気質だった。
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