4-6「救い」

 昼が過ぎた。私、桜庭香織は、見知らぬログハウスの中にいる。


 朝。美琴ちゃんと沙織ちゃん……、同じ高校の同級生、堂崎美琴と海野沙織と待ち合わせしていたのだが、その道中で連れ去られたのだ。


 誘拐プロセスは次の通り。背後から突然口許を覆われ、絶叫を拒否された。私は中学で陸上をやっていて、今も演劇をやっているので力や体力はそんじょそこらの女子と比べれば自信があるのだが、男の力には成すすべなく、ずるずると引きずられて、気付いたら黒のバンに乗せられていた。


 そこからは酷いものである。車内で叫ばれないよう、一瞬で口許をおさえていた左手を話し、瞬く間に右手に持っていた手のひら大のガムテープを口に張り付けてきた。そこそこの粘着略があったそのガムテープは、後に見知らぬこのログハウスで剝されたときはとても痛く、今もヒリヒリしているような感じがする。そのとき、何をぶつぶつ言っていたのか詳しくは聞き取れなかったが、美紗さんのことを言っていたのははっきり覚えている。はっきりと男は『益子美紗』と言っていたのだ。


 荷物は全て取られてしまった。いや、財布とか携帯とか貴重品があったが、それがとられて残念というわけではない。いや、悔しいのではあるが、それよりも連絡する手段を奪われたことは極めて痛手だった。


 そもそも私には誘拐される理由が思いつかない。他の女子と比べればちょっと背が高くて、ちょっと可愛くて、ちょっと愛嬌もあって、ちょっと人気のある私である。だってそういう展開って、もっとカーストが上の、恨まれるようなことばかりしている人がされるもので、私のような下の上か良くて中の下……、いや、ギリギリ中の中? 中の上は言い過ぎだと思うので、つまるところ『中の下の中』くらいの私がされるようなことではないと思うのだ。


 ログハウス内を見回すと、扉はあるが施錠されており、窓は嵌め殺しで開かない。換気扇があるが、流石に高さがあるし、登れたとしても小さくて通れないだろう。完全な密室の中に私は閉じ込められたのだ。


 幸いだったのは、固定電話が備え付けられていた事だった。最初は警察に連絡しようとしたのだが、途端に脳がストップをかけた。脳内でやり取りのシミュレーションが行われる。


『もしもし、事故ですか事件ですか』

『誘拐されました』

『誰に? どこへ?』

『分かりません。分かりません』


 イタズラ電話だと思われるのでは? いやはや早計だとは思うし、電話してみることに越したことはないと思うのだが……。そうこうしているうちに、一番連絡して安心できる電話番号を一つ思いついた。意外なことにその十一の数字の羅列は、高校に進学する前に全力で覚えたのだ。


 恐る恐る数字のキーを押す。受話器からは小気味の良く、トゥルルルル……とコール音が出てくる。


 出るまで時間がかかった。時間がかかったので、もしかして電話番号を間違えたかと思った。七、八回のコールのあと、聞き覚えのある声が耳に届いた。


「もしもし」


 あまりにも嬉しくなって、応える。


「……小春……?」

「香織? 香織か?」


 その声は紛れもなく小春だった。


 その声に安心して、様々なやり取りをして、気付けば昼を過ぎた。誘拐されるとは思っていなかったし、しょうがないとはいえ美琴ちゃんと沙織ちゃんには悪いことをした。そういえばさっき小春が言ってたな、『チケットの詫びはしてもらう』か。しないとなあ。タピオカミルクティーでいいかなあ。


 そんな明日の事を考えていると、ふと嫌なことは過った。


 本当に明日は来るのだろうか?


 もしかしたら、私はこのまま殺されてしまうのでは? なんで誘拐されたのかとか、そういうのはもはや考えることではなく、犯人は誘拐しやすそうな人を誘拐して、殺そうとしているのでは?


 そうだとしたら、次扉を叩く音がしたら、それはいよいよ私を殺しに来た男の再訪なのでは?


 ただでさえ、小春の友達が言っていた銀歯ラジオのせいで頭の中には軽快なトークらしきやり取りが流れている。出られたら銀歯を取ろう、なんて考えているが、そんなことも叶わないかもしれない。そんなことを考えてしまっていると、自然と小さな涙が出てきた。


 本当に、死ぬのかな?


 その時だった。


ドン!!!!!


 鍵のかかったログハウスの扉が勢いよく叩かれる。帰ってきてしまった!? いよいよ私は死ぬ? こんなところで? 悪いこともしていないのに、まだ十六年しか生きていないのに、見知らぬ男に殺されてしまう?


 叫びたいのに声が出ない。「嫌だ」と言いたいのに、その一言が出せない。初めて恐怖で声が出ないのを体験した。一生に一度、あるかないかの事だ。何とか声を絞り出そうとした時、扉が勢いよく開かれた。扉錠を破壊して、ギィと嫌な音を立てている。


 一人の男が入ってきた。それは見覚えのある顔だった。


「お待たせ。助けに来た」


 小春だった。私は心底安心したのだろう。先ほどよりも長く大きな涙を流して、小春に飛びついた。

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