第306話 次はポニ娘
『ガラガラガラガラ』
「.....おい、何時だと思ってる。引き返せ。今日こそは添い寝させねーぞ、千沙」
「“千沙姉”? それに“添い寝”ってどういうことよ」
「え」
マジか。今夜はお前かよ。
“千沙”と“添い寝”っていうヤバいワード言っちゃったよ。
バイト野郎は日付変わって深夜1時となる今に、非常識にもやってきた妹を速攻で追い返そうと、部屋の引き戸が開かれたと同時に冷たくあしらおうとしたが、なんと招かれざる客は陽菜であった。
陽菜であった(重要なことなので2回言いました)。
「ちょ、陽菜さん? 千沙じゃなくて?」
「ええ、私よ。千沙姉なら向こうの家でホラー映画の影響で怖がって中々寝付けない葵姉と一緒に寝ているわ」
「さ、さいですか」
え、じゃあ東の家には俺と陽菜しか居ないの?
部屋の中は俺が就寝途中であったため依然として真っ暗だ。陽菜を目視したのは廊下の灯りのおかげである。廊下の灯りはセンサー機能で人が通ると検知して自動で灯りが点くのだ。
陽菜の声の抑揚からして尋常ならざる圧を感じる。
そんな彼女は引き戸を開けてから微動だにせずこちらを見下ろしている。
「お、おい。こんな夜遅くになんだ。非常識にも程があるぞ」
「ねぇ、千沙姉と添い寝したの?」
「陽菜、なんの目的でここへ来たのかわからないが、明日にしてくれ」
「ねぇ、千沙姉と添い寝したの?」
「朝早いの知ってんだろ?」
「ねぇ、千沙姉と添い寝したの?」
駄目だ。全然聞く耳持ってくれない。聞き間違いで済ます気ないぞこいつ。
ちょっと勘弁してよぉ。明日も―――じゃなくて今日も朝早くからバイトあるのにさぁ。陽菜がその定型文を使い回してくるせいで眠気が覚めちゃったよ。
「おやすみ―――」
「もう一度聞くわ、和馬。千沙姉と寝たの?」
「.....。」
完全に蛇に睨まれた蛙である。
数時間前まで観ていたホラー映画の比じゃないくらい俺の恐怖心が煽られてるんですが。最大心拍数が200を超えている気がしてしょうがないんですが。
「ね、ネテナイヨ」
「.....。」
「し、信じてくれ」
「.....ふーん? そう、寝てないのねぇ」
「あ、ああ。添い寝も同衾もしておりません」
「本当に?」
「ほんとほんとマジマジ」
「じゃあ見逃してあげる」
その言い方だとバレてませんかね。
陽菜は灯りも点けずに引き戸を閉めて部屋に入り、俺の寝床までやって来た。引き戸が閉められたことで俺の視界はまたも暗闇に染まる。
「あ、あの、陽菜さん?」
「なんで私がここに居るかわかるかしら?」
「さ、さぁ?」
「あんたと寝るためよ。誰にも気づかれないように来たわ」
ドストレートに来たなおい。
「お、おい、さすがにそれは駄目だって」
「なんで?」
「いや、“なんで”って.....。そもそもお前こそなんで俺と寝たいんだよ」
「好きだから」
「お、おうふ。だからそういうのはな―――」
「と言う前に、ホラー映画を見て怖かったから一緒に寝ようと思って来たのよ」
いや、全然怖がっているようには思えないんですが。部屋が真っ暗でもそれだけは絶対にわかる。
「お、おい。勝手に布団に入るなよ」
いつの間にか陽菜が俺の布団に入って来たみたいだ。動かされる布団の感触やら陽菜の良い匂いやらでわかった。
「なんで.....私は駄目なの?」
「.......。」
「......馬鹿ね。それで黙ったらさっきの嘘が意味無いじゃない」
うっ。痛いとこ突いてくるな.....。
俺は何も言えずに、陽菜が居る方向に背を向けて体勢を若干丸めた。
「.....ホラー映画、そんなに怖かったのか?」
「わかりやすいくらい話題変えてきたわね」
「べ、別にそういう意味じゃなくてだな」
「はいはい。......そうよ、少なくともあんたを傍に置きたいくらいは、ね」
「俺は物か」
「ふふ。嘘吐く悪い男は“抱き枕”くらいがちょうどいいわ」
わ、“悪い男”.....。ぐうの音もでないな。
たしかに望んだ結果じゃなくても千沙と添い寝した事実は変わりない。付き合っても居ないのに寝たんだ。それを「陽菜は駄目」なんて言える資格、果たして俺にあるのだろうか。
......いや、言えるな。俺の童貞が危ないもん。
「千沙姉ってあんたのこと好きなのかしらね?」
「は?」
え、マジ? 今そこ?
普通、女の子が男と添い寝する理由に好き以外ありえる? お金払ってすらいないんだよ?
これってもう鈍感を通り越してない?
「いやだって、恋愛対象があんたよ?」
「......。」
「そりゃあ私だって日頃、和馬にべったりな千沙姉を見れば、そういった好意は多少感じ取れるけど.....ほら、とどの詰まり“和馬”じゃない?」
ちょっと本人に対してその言い方はどうかと思う。
言われる身になってみ。「お前を好きになれる要素ってある?」って言われているようなもんだぞ。
「それに千沙姉のは本当に、純粋に、真面目に兄妹愛なのかも」
ああー、うん。うんうん、なるほど。
そう言えば、千沙自身も以前、『兄さんが好きという気持ちは家族が好きなのと同程度です』的なこと言ってたな。
「あんたから見てどうなの?」
「え、俺?」
「肝心の
うーん。そう言われるとそうなのかもしれない。というか、なんかそんな気がしてきたな。あんだけ好きとか言われて抱き着かれても、兄が好きの延長線上って事実も否めない。
実際に千沙だって、エッチはしたくないけど一緒に居たい、甘えたいって言ってるし。
こちらが襲おうとすると防犯ブザー鳴らすし。
あれ? 千沙って実は、俺のこと本当に異性として見ていないんじゃない? 俺をただただ“甘やかしてくれる存在”にしか思っていない気がしてきたぞ。
「よくわからないな。兄妹愛も、恋愛も」
「あのねー」
「い、いや、俺だって妹どころか兄弟なんていないんだし、そこんとこよくわからないよ。仮に実の妹が居たら千沙と近しい関係になれる.....のか?」
「うーん。家庭によってそこら辺は差があるのよねー」
「それに千沙だって、“兄”という存在が居なかったから、“兄”と“恋人”をはき違えているかもしれないじゃん」
「そこが見分けつかないのよね」
陽菜にはそう言ってしまったが、普通に考えて俺がもし千沙の裸体を目にしたら秒でおっきするだろうし、実の妹どうのこうの言えたことじゃないな。
「まぁ、いいわ。あり得ないと思うけど、千沙姉があんたを仮に、“仮に”よ? 本当に異性として和馬を好きだったら.......万が一、億が一の話ね?」
「うるせ。言葉が詰まるくらい念を押して言うな」
本当に失礼すぎ。じゃあなんでお前は俺のこと好きなんだよって問い質したくなるくらい失礼すぎ。
「あんたを好きだとわかっても私は退かないわ」
「......さいですか」
「ええ。実の姉だからって譲らない」
うわぁ。もうなんかドロドロしてきてない? 恋人も恋愛もクソもねぇぞ。すっげぇ気まずい関係になりそうじゃん。
なんか中村家に長居することが悪手に思えてきた。以前のように癒しの空間のままであってほしかったわ。
「はぁ。胃が痛くなってきた」
「仮の話よ? 意味も無くなに思い詰めてるのかしら?」
こ、こいつ、人の気も知らないで......。
「それにしてもやっぱり大きいわね、この布団」
俺の背の後ろに居る陽菜が布団の中でもぞもぞと動いている。背中越しでわかりづらいが、段々こっちに近づいてきてない?
このダブルサイズ敷布団は陽菜が千沙に要求して買った物だ。ちなみに掛け布団も敷布団に合わせて大きいめの物である。無論、枕は俺一人分しかない。
「陽菜が千沙に頼んだってな。すごく寝心地がいいよ」
「ええ。匂いも最高だわ」
「それ思春期のオス臭だと思います」
「それが最高って言ってんのよ」
「もしかしてここにこの布団が設置されてから陽菜が何も言ってこなかったのは......」
「あんたにちゃんと染み込ませるくらい使ってもらうためよ」
「さいですか......」
「ふふ。住み込みバイトが終わったら私がちゃんと管理してあげるわぁ」
オ〇ニー宣言ですかね、それは。
千沙曰く、5万円はしたという高級布団はバイト野郎の住み込みバイトが終わっても、ちゃんと陽菜がお楽しみで使うらしい。
そんなことを考えていら陽菜がまた俺の方へ近づいて来た。それは陽菜の手かなんかが俺の背中に当たったことで感じ取れた。距離詰めてくるのやめてほしい。童貞には酷だって。
俺は近づく陽菜から離れるべく、少し前進した。もちろん、横になっている状態の俺なので、進行方向先はダブルサイズ敷布団の外側である。
「なんで逃げるのよ」
「来んな。怪しい真似したら追い出すからな」
「あんた、美少女が同衾してくれてるのわかってる? ダブルサイズという大きいサイズで買った意味わかってる?」
「知りません」
「童貞拗らせすぎじゃないかしら?」
「うるさいぞ、ビッチ」
何度も言うが、千沙と陽菜のどちらかと関係を持つなんて今後のバイト生活に絶対支障を来す。
だったらどっちも選ばない。その選択肢は絶対間違ってないと信じていたい。
俺は中村家の皆が好きなんだ。好きなままでいたいんだ。
だから二人には悪いが早々に諦めてくれると嬉しい。
「はぁ。まぁ、今日は添い寝で勘弁してあげるわ。変に手を出すと離れていきそうだし。......ゴム持ってきた意味無くなったわね」
「......。」
「ゴム持ってきた意味無くなったわね」
二度言うな。この淫魔が。
絶対、ホラー映画の影響で怖くて来ちゃったとか嘘だろ。
この後もしばし続く陽菜のお誘いを断固拒否し続ける俺の姿は、もはや童貞の化身なんじゃないかって思えるくらいなんとも言えない勇姿であった。
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