第60話 ルミエ=ウェザー
私にはサキュバスの血が流れている。
サキュバスとは人ならざる人種。蝙蝠のような羽根と尻尾を生やしていて、その種族的に何故か女性が生まれることが殆どだという。
そして、サキュバスの一番の特徴は――主食が精気であるということ。
つまり、その……エッチなことをして、相手のエネルギーを吸い取る種族なのだ。
ただ、私の血に流れるサキュバスの血は随分と薄まっていて、そういうことをしなくても生きていけている。
しかし、捕食の為にサキュバスが有する幾つかの特性は引き継いでしまっていて――その内の一つが『誘惑』だ。
誘惑は人を操る魔法。動物や虫なども操れるらしいけれど、私にはできない。
それに人を完全に支配することもできず、あくまでその思考・動きに方向性を与えることしかできない。
完全に支配するためには、その相手が私に全てを委ねていることが必要となる。
今まで、私はこの力のせいで散々周囲から白い目を向けられてきた。
――あの女は誘惑を振りまいている。
――近づくと虜にされるぞ。
――昨日も金持ち相手に股を開いていたらしい。
人を人と思わない罵詈雑言。こういう人種差別がこの国では平気で行われる。
私はサキュバスで、人の精気を喰らう生き物。倫理観の外にいる性欲の獣。
身体が無意識に発してしまう微量のフェロモンが、母譲りの容姿が、人の目からは悪魔にしか見えなくなってしまう。
だから、私はずっと孤独だった。本当の意味で誰かと分かり合える日なんて決して来ないと思っていた。
ミザライア王立学院へと入学したのは、目的があったからだ。同世代の少年少女が集まるという環境は私にとってマイナスではあったけれど、それでも背に腹は代えられない。
私は強くなりたかった。サキュバスじゃない、ルミエ=ウェザーとして自分の存在を証明するために。
1人でも生きていける力を手に入れる為に。
そして、もう1つ――
「ルミエ」
「っ!」
頬に暖かいものが触れる。
ずっと剣を握ってきたのだろう、タコで鉄みたいに硬くなった皮――ジルくんの手の平だ。
「大丈夫か」
「う、うん」
どうして今、昔のことなんか思い出していたのか自分にも分からなかった。
状況は分かっている。今、私達はあの巨大なドラゴンと戦っている。戦わなければならない。
こちらはジルくんとセラちゃん、そしてAクラスの男の子。彼はジルくんと一緒にいるところをよく目にした――きっと友達なのだろう。
けれど、その彼とセラちゃんはもう麻痺毒にやられて、満足に動けなくなってしまっている。
あのドラゴンは視線とブレスで麻痺毒を与えてくる――なんとも恐ろしい話だけれど、ジルくんはよくもそれを犠牲者を出さずに見破ったものだ。
私は、口に出したことは無いけれど、ジルくんを尊敬している。
レオンくんとの戦いを見て、それから今日まで彼が必死に強くなろうとしている姿を見て――どれほど私の刺激になったことか。
彼ほど貪欲に勝利を求め、そして決して満足をしない姿勢は羨ましくもあり、恐ろしくもあり、悲しくもある。
きっと、私がサキュバスの力に悩まされていなければ、彼に乙女のような無邪気な恋慕を抱いたかもしれない。
「しっかりしろ。お前は俺の足になってくれるんだろ」
「わ、分かってる……!」
私の誘惑で、ジルくんの身体を操る。彼の足はもう麻痺毒で彼の命令を受け付けてくれないから。
しかし、私が出来ることは完全に支配することではない。相手がどれだけ私を信じ、委ねてくれるか――それが重要なのだ。でも、サキュバスである私を本当に信頼してくれる人なんか……
「ルミエ」
「むぎっ!?」
ジルくんが突然私の頬を抓ってきた。それも形だけじゃなく、しっかり痛い形で。
私をしっかりと、力強く見つめてくる彼の、漆黒の、夜の闇のような瞳が私を飲み込む。
既に日は落ち、世界を星の光が照らしている。
けれども、彼の瞳の中だけにはその光が届いていない。暗く、昏く、ただ闇だけが広がっていて――
「俺はお前を信じている」
ゾクッと鳥肌が全身を駆け巡った。
彼の言葉は本心だ。しかし、同時に嘘でもあった。それが分かる。伝わってしまう。今私は彼の一部を支配し、そして彼だけを見つめているのだから。
彼の中にあるのは決して満たされることの無い勝利への渇望。
進むこと以外許されないという呪い。
私はこの目を、これと同じ目を知っている。
「……大丈夫。私がジルくんを支えるから」
「違ぇよ」
「痛っ……!」
「お前は俺を利用するんだ。あのデカブツをぶっ殺す為に」
ジルくんはそう笑って、私の頬から手を離した。
私だけを見つめてくれていた闇が離れていく――それに寂しさを感じるなんて。
彼は、私に彼を利用しろと言った。
それは同時に彼も私を利用しようとしているということ。
けれど、それでいい。それがいい。
この対等な関係が、私には必要だったのだ。
「頼んだぜ、リーダー」
「うん……! 頼まれたっ!」
彼はきっと分からないだろう。
今、この瞬間、私の中に湧いて溢れようとする想いが何であるかを。
だって、私だって分からないのだから。
背中越しに、彼が微笑んだ気がした。そして、彼の足が力強く大地を蹴る。
もう既に、彼は自身の意識を手放していた。
ここからは――私が、彼だ。
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