第59話 神風
その瞬間、俺は判断を誤ったと悟った。
もちろん、黙って圧し潰されようとは思わない。身体強化をしたこの腕ならばそこそこ持ちこたえはするだろう。
しかし、振り下ろされる足が押し出す空気の圧が、これから腕に伝えてくるであろう重量をはっきりと伝えてきていて――これを押し返すのは厳しいと理解してしまっていた。
だから、這ってでも、足を犠牲にしてでも俺はその場を離れるべきだった。受け止めようなどと考えるべきではなかった。
俺にはMP……魔力という限界がある。対し、奴はただ足を下ろすだけ。どちらが長持ちするかなんて赤子でも分かるってやつだ。
「くそっ……」
どうする、なんて考える暇もない。
祈るしかない。何か奇跡が起きるのを……そう思考を停止しかけた時だった。
痺れていた足が不意に地面を強く蹴った。動くはずのないその足が。
――メキィッ!!!
しっかりと身体強化されたその上で足にダメージが入る程強烈な蹴りに、骨が軋む音が響く。
不幸中の幸いか、痺れのおかげで痛みは感じなかったけれど、これは……!?
視界が凄まじい速度で流れていき、魔竜が遠のく。そして――
「う、ぐぅ……!」
全速力の馬から転げ落ちるように、俺はまともに受け身も取れず、背中から地面に落ちた。今度は痺れは関係無かった。
「っつぅ……」
「……くん!」
「ん、あぁ……?」
「ジルくん!」
暖かい感触。誰かに抱き締められている。
いや、誰かではない。この声は――
「ルミエ……?」
「うんっ、そうだよっ!」
「どうして、ここに……」
「話は後。今は2人と合流しようっ」
ルミエは俺の手を引き、立ち上がらせる。俺の足は何とも正直に立ち上がり、俺の意志とは別に彼女を追って勝手に歩き出す。
「どうなって――」
いや、待て。
俺は実際に経験したわけではないけれど、この“操られるような感じ”は知っている。
そう、これはレオン――ビーストロードと同じく、あの……
「ルミエ、俺の足が動いているのはお前のおかげなのか?」
「……うん。私が動かしてるんだ」
ルミエはどこか自嘲するように、小さく肯定する。
やはり、この魔法は彼女のもの……そして、この魔法の名前は――
「誘惑魔法……これが私の特異魔法なんだ」
得意ではなく、特異。彼女にのみ与えられた特別な魔法。
ゲーム内で現れた『シンギュラー』の1人、“ドールマスター”。その顔は仮面に隠されていたが、声は美しく、妖艶な体付きから人気の高かった敵キャラだ。
その彼女の特徴は“誘惑付与”。味方の動きを誘惑によって阻害し、さらに体力が減ってくると完全に操ったりもする強敵だった。
「その誘惑魔法で俺の足を……?」
「うん、動かしてる。あはは、気味悪いよね。人を好きに操れるなんてさ」
「……そんなことないさ」
確かにこの魔法は恐ろしい。人の身体を一方的に操るなんて魔法が存在するなんてあまり信じたくはない。
けれど、持っているのが彼女で良かった。
「お前は俺を助けてくれた。それに、宿場町に辿り着くまでの道中も、だろ?」
「え……」
「お前の誘惑は、指揮に向いている。風が追い風にも向かい風にもなるみたいに……俺達の進もうとする足を支えてくれていたんだろう」
確証があるわけじゃない。けれど、彼女をクラスゼロのリーダーに選んだ先生の意図を考えると、しっくりくる。
普通、誘惑なんて力があったらもっと悪いことに使ってみようと思うもんだ。好きな相手の身体を勝手に操って自分のものにしたり、みたいな。
けれど、俺がこの数か月で知ったルミエという少女は、そんなことはしない。
普通の女子で、いい奴だ。
「俺はお前を信頼してる。たとえその力を持っていても、お前なら正しいことに使うってさ」
「ジルくん……」
「本当なら、もっと気の利いた言い回しができるんだろうけど……状況が状況だからな」
「あはは、何それ。十分すぎるから……もう、口説いてるのかと思ったよ?」
「そんな余裕、残念ながら今の俺には無いよ」
ここは戦場だ。ルミエの気を引こうなんて発想が生まれる筈もない。
正直に自分の気持ちを言ったつもりだが、ルミエにはおべっかに聞こえてしまったらしい。
「本心、だからな」
「もう、分かったよ」
少し照れたように話を切り上げようとするルミエに俺はほんの少し笑みを零してしまう。
もしも今のこの感情も彼女が操っていれば、余程の役者だろう。
「ジル……」
「ファクト、お前……」
ルミエに連れられ、ファクト、そしてセラへと合流する。
しかし既にファクトにも麻痺毒は回り、彼は両手を地面についてしまっていた。
セラも光の魔力で抵抗しているだろうが、とても動ける状態じゃない。
「ここは引いた方が――」
「だめ、です……ジル……」
「セラ!? お前、碌に動けないのに……」
撤退を考え始めた俺をセラの声が遮った。そして、彼女は痺れで碌に身体が動かないだろうに、力を振り絞って俺のズボンの裾を掴んでくる。
「あれ、を、放って、おけば、きっと、町を、襲い、ます……止め、なくちゃ……」
「けれど、手段が……」
「だいじょぶ、です」
セラの手が光り輝き、そして光の柱……というには短く小さい、一振りの――
「剣……?」
そう、剣。それを形作っていた。
「詰め、私、駄目、ですけど、ジル、なら……」
「お前、自分を守るための魔力をこんなことに――」
「ジルの、ためです」
俺のため。そう言って、セラは微笑んだ。
奇しくも、あの時と同じだ。
俺はサルヴァを倒した時セラの光の矢を借りて、そして今あの魔竜を倒す為、彼女の作った光の剣を授かった。
「ありがとうな、セラ。お前は最高の相棒だよ」
彼女の剣を受け取り、そう彼女の頭を優しく撫でつつ、労いの言葉をかける。
意外にも俺の足はしっかりと動いてくれて――いや、これはルミエの気遣いかもしれない。
けれど、ちゃんと気持ちは伝わったようで、セラは嬉しそうに微笑み――安心するように眠った。
「ルミエ、頼めるか」
「ジルくん……うん、分かった。私がジルくんの足になるよ」
セラとファクトは麻痺毒にやられた。俺の身体にも侵食しつつある。
それでも、ルミエがいる。セラのくれた剣がある。
既に神風は吹いた。
後は飛ぶだけだ。勝利を――あの魔竜の首を獲る為に。
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