第52話 囚われの第三王女

「そう震えないでちょうだいよ、お嬢さん?」

「っ……!」


 濁った女性の声に、セレインはその表情を歪めることしかできない。

 今の彼女は両手両足を縛られ身動きを取れない状態であるのに加え、目の前の緑色の肌をした女性の臀部から伸びた太く長い尾によって全身を絡めとられていたからだ。


 女はセラを器用に尾で拘束したまま、宿場町から離れるように移動していた。背後を見ればもう、宿場町は小さく、遠くに霞んでしまっている。


「おやおや、怯えながらもまだ光は失っちゃいないみたいだねぇ? アンタみたいな娘が、世間からは美しい、美しいとチヤホヤされているんだ。ああ、全く妬ましい。その顔をぐちゃぐちゃに切り刻んでやりたい気分だよ」


 裂けたような口の端からチロチロと裂けた細い舌が覗く。

 トカゲ人間――そう揶揄されることも少なくない亜人、リザードマンだと、文献程度でしか存在を知らないセレインにも理解できた。


「貴方、の、目的、は……」


 必死に言葉を絞り出す。しかし、気を緩めば詰まってしまうのは、未だにリザードマンが彼女にかけた魔法が解けきっていないからだ。

 セレインにはその魔法の正体も分かっていなかった。ただ、彼女に睨まれただけで全身が痺れ動けなくなったという事実以外は。


「目的なんて分かってるんだろぉ?」


 彼女の有鱗目がセレインの顔を覗き込む。


「お前は、かつて魔神様を封印した終世の巫女とか呼ばれた糞女の血族だ。魔神様の封印を解くにはその血がいる……クキキ、まぁそれも今日成就するわけだがぁ……!」


 女の言葉に、セレインはその目を驚愕に見開いた。

 今亡き母と自分だけが知る秘密。決して絶やすことを許されず、しかし他者に知られてはならないと言われていた誓いを。


「貴方は……」

「アタシは魔人。魔人様の力を受け継いだ眷属様の子さね。ここまで聞きゃあ、当然、お前を何に使おうとしているか……分かるだろぉ?」


 女の言葉は、よりセレインを竦み上がらせようという嗜虐的な感情によるものだった。


 彼女は美しいものが嫌いだ。自分が醜いのに、美しいものが平然と存在していることをどうしても許せない。

 セレインのことも、もしも彼女が魔神復活の為に必要な存在でなければ、言葉通りその顔をズタボロに切り刻んでいたことだろう。


 傷つけることが許されないのであれば、せめてその心くらいは弄んでやろう。

 そう、セレインの反応を楽しみに囁いたものだったのだが、


「魔人……」


 セレインは怯えるでも、絶望するでもなく――むしろその逆だった。

 体の震えを止め、真っすぐ女を見つめ返している。


「貴方が、魔人……!」


 ふつふつと込み上げる感情は怒りに近かった。

 セレインにとって自らに流れる血のことは、母との誓いは非常に大きいものだ。決して誰にも知られてはならない、と。

 しかし、それ以上に、まだ幼い少女であるが故に、“それ”が勝った。


(これが、ジルの敵……!)


 ジル=ハーストの語った復讐相手。深い闇を生み出させた元凶。

 彼を苦しめる諸悪の根源。

 それが、目の前にいる。

 

 その事実が何よりも強く、セレインの頭を揺さぶった。


「おやおや、生意気な目だねぇ? まるでアタシを倒そうなんて企んでいるようにも見えるけれどぉ?」

「くっ……!」


 身体も碌に動かせない状態で挑発するような真似は自分の寿命を縮めるだけだ。

 それも当然理解している。


 しかし――それでも押さえられない。


(このままでは、またジルを傷つけてしまう……)


 魔人、魔物との戦いでボロボロになったジルの姿は未だに強く彼女の脳裏に焼き付いている。

 そして、彼の内側から漏れ出て、“彼自身をも蝕む強い闇”も。


 ジルは間違いなくここに来てしまうだろう。

 魔人の存在を察知して――もしかしたら、セレインを助けにかもしれない。


 それが後者であればどれほど嬉しいだろう、と彼女は思う。思ってしまう。


 拒絶されてもなお、住む場所が違うと突き付けられてもなお、彼女はジルを忘れられなかった。

 3か月もの間、苦しまずにはいられなかった。彼のことを考えない日は無かった。


 ジルと会えない、もう話せないかもしれないと思い悩み、苦しんだ期間は――残酷にもセレインに、彼女が抱くべきではない感情が生まれていると自覚させていた。


「閃け、光よ……!」

「あん……?」


 四肢を動かせない状態の中で、それでも彼女は魔法を発動する。


 本来、武具などの媒介を使用せずに魔法を使うことは推奨されていない。

 魔法とは強く、危険だ。媒介を通さなければ、暴発のリスクも高まるし、成功しても魔力消費が多く嵩んでしまう。


 そして、それとは別に、魔法発動には“手”を使うという常識も存在する。

 媒介に触れる・掴むのは手であり、媒介を使わずとも手の先から魔法を発動するなど、魔法と手は密接な関係にあった。

 何故手なのかといえば非常に簡単で、手・腕こそ人間の部位の中で最も繊細な動きに適しているからだ。


 物事を伝える際にジェスチャーを交えるように、手は人間の思考や発信を補助する役割も有している。

 魔法は人の思考を元に発動される神秘の技。それを思考だけで行使することは非常に難しく、ジェスチャーのように手の補助を以ってようやく形と成すことができるのだ。


 しかし、今回セレインには動かせる手は無かった。手の先から魔法を出しても、魔人には届かない。


(それならば、私が選ぶべきは……!)


 セレインの眼前に魔力が集まる。

 手を介さず、思考だけで、魔法を作り出す。


 それは手も魔法も使わず、全く別の何か、未知の力で粘土を捏ねるようなことだったが――セレインはそれを成した。


――ボンッ!


「ガァッ!?」


 女とセレインの間に小さな爆発が置きる。それはあまりに弱く、そして魔法と呼ぶには大した体裁も保ててないただの魔力の爆発でしかなかったが、それでも魔人の虚を突くには十分だった。


「う、つうっ……!?」


 緩んだ魔人の尾から逃れるように身を捩り、地面に落ちるセレイン。

 受け身を取る余裕もなく、落ちた衝撃による痛みで呻き声を上げたが、それでもその目は魔人へと向いていた。


「小娘ぇ……!!」

「貴方は……私が倒します……!」


 手足は未だに縛られたままだったが、それでも魔人へと向けることはできる。

 圧倒的に不利な状況であることは変わりないが、それでもセラにとっては先ほどよりも遥かにマシだった。


「彼は……貴方なんかに傷つけさせないッ!!」


 彼女は、普段の姿からは想像もつかない鋭い敵意を滲ませつつ、そう強く叫んだ。

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