第46話 捨てる強さ

「ルールは……そうだな。的当てといくか」

「まと……あて……?」


 何を言われているか分からないといった様子で、セラはそのまま言葉を返してくる。

 けれども、俺はそんな彼女を待つことはしない。


「制限時間は10分。俺はひたすら逃げる。セラは逃げる俺を魔法でぶっ飛ばす。俺を倒せばお前の勝ち。俺が倒れず逃げ切れば俺の勝ちだ」

「え……ちょ、ジルっ!」

「それじゃあ今からな。よし、いつでも来い」


 少し余裕ぶりながら、勝手に話を終わらせた。。


 とはいえ、余裕なんて有る筈も無い。俺は逃げるだけとはいえ、彼女の腕を知っていればこの条件がいかに不利なものか簡単に分かる。


 セラは優秀――いや、強力な魔導士だ。手負いの状態で渡り合えるなんて、どんなに俺が能天気でも思いはしない。

 魔物との戦いで見せたあの爆発魔法はこの狭い個人訓練室では非常に有効だ。しかも爆発魔法ってのは範囲が広がるにつれ強くなっていく。

 彼女であれば、この訓練室全体を覆うほどの爆発を引き起こすことも可能だろう。


 けれど、だからこそやる意味がある。


「ジル、私は……」

「強くなりたいんだろ」


 動揺し、目尻に薄っすら涙を浮かべるセラに、俺は厳しく言葉を投げつける。


「クラスゼロに入れば、きっとこんな状況何度もなるぞ。俺が万全の状態で、お前がボロボロみたいな、逆の立場になることだってきっとある」

「う……」

「そんな状況になったら、俺は決して手は抜かない。お前が王女様だとしても……敵として、全力で倒す」


 俺の言葉に嘘は無い。

 彼女がクラスゼロに入れば、何を置いても強くなりたいと願えばこそ、決して手を抜くことはしない――できない。

 それを否定してしまえば……もう俺は前に進むことができなくなってしまうから。運命と戦う資格を失ってしまう気がするから。


「セラ、お前はどうだ。お前は俺を……俺と戦う覚悟はあるか」

「た、戦うなんて……私は……」


 彼女自身俺の言葉から“本気”を感じている筈だ。けれど認められずにいる。信じられずにいる。

 この状況を。俺と戦うことを。


「ジルと戦うなんて……私は、ただ、ジルと一緒にいたくて……」

「ただ一緒にいるなんて選択肢は無い」

「っ!!」


 つっと彼女の頬を涙が滑り落ちていく。

 それを見るとどうしてか……どうしてか、無性に胸が痛む。彼女の涙は初めて見るわけじゃないのに。


 言葉を緩めたくなる。冗談だと全てを覆してしまいたくなる。

 そうすればセラももしかしたら水に流してくれるかもしれない。僅かなしこりは残るだろうけれど、また笑顔で……


(って、何考えてるんだ。俺は)


 セラが俺に妙に親しい感情を抱いているのは、一緒に攫われたという一種の吊り橋効果によるものだと思っていたけれど、案外それは俺の方も同じだったのかもしれない。


 親父にも俺が本当の両親のことを知っているなんて伝えたことは無い。そして、俺がその両親の仇を明確に把握し、復讐の為に命を燃やそうとしていることなど、以ての外だ。

 知っているのは彼女――セラだけだ。


 俺が復讐のために生きているということを、彼女だけが知っている。

 きっと誰もが否定する後ろ暗く、忌諱されるそれを知ってなお、彼女は俺に笑顔を向けてくれる。

 それが嬉しかったのかもしれない。


 彼女も魔神――正確には魔物に対してだが、復讐したいと口にした。

 そんな彼女に仲間意識を感じていたのかもしれない。


 いずれにせよ、俺は甘えていたのだ。あれこれと偉そうなことを言っておきながら。

 

「セラ」

「っ……」


 先程までとは違う、落ち着いた声で彼女に呼びかける。

 ぼろぼろと涙を流すセラに、俺はゆっくりと近づいて――彼女の頭に軽く手を乗せ、撫でる。


「意地悪して、悪かったな」

「ジル……?」

「お前が、そんなことできないって……したくないって分かってたんだ。だけど、俺は――」


 俺は……なんだろう。

 自分でも何が言いたいのか分からない。

 彼女に向ける感情が、分からない。


 セラは、セレイン=バルティモアはこの世界のヒロイン。別の男と共になる運命にある女性。

 俺は、ジル=ハーストは彼女の護衛。彼女の、この世界の物語が始まる時には死んでいる無力な存在。


 俺はずっと、彼女と関わることで、彼女の護衛になる未来に近づくことで自身の死の運命に近づくと考えていた。

 けれど、それだけじゃない。彼女もまた、俺と関わることで深く傷つくことになるのだ。信頼する護衛との死別という深い傷を。


「セラ、戻るなら今だ。こんなところに居ちゃいけない」

「え……」

「俺を討てないのは、君の優しさだ。その優しさを、光を、むざむざ捨てる必要なんかないんだ」


 俺達の道は交わるべきではない。それをはっきりと理解出来たから、心からこの言葉を口に出せる。


「俺達じゃ、住む世界が違う」


 彼女の目が見開かれる。そんな反応を見ただけで、深く胸を抉るような痛みが走った。


「セラ……いや、セレイン王女殿下。今まで、色々とお気を遣っていただきありがとうございました」

「ジル……待って、私はそんな……」

「貴方が今いるのは、あの薄暗く、息苦しく、悪意の渦巻く古代遺跡の中じゃありません。貴方には……いや、俺にはもう、貴方は必要無い」


 彼女の頭から右手を離す。左手は俺の本心を示すように、強く、強く握り込まれていた。


 もう彼女の顔は見れなかった。

 必死に、違うと、そうじゃないと、言葉を探すように俺の名を呼ぶ彼女に背を向ける。今度は彼女と向き合う為でなく、離れるために。


「どうか、お元気で。貴方の活躍を、輝かしい栄光を、俺は遠くで楽しみにしています」


 彼女の反応を、返事を待たずに訓練室を出た。

 彼女は追っては来ない。俺の名を必死に呼ぶその声も、防音の行き届いた扉に阻まれ嘘のように聞こえなくなった。


「ジルさん」


 訓練室から離れるように当てもなく歩いていると、いつも通りの感情の無い声で呼びかけられた。


「……先生」


 それは当然、俺達クラスゼロの担任であるリスタ先生のものだ。

 彼女は相変わらずの無表情だったけれど、俺の心境によるものか、ほんの少し優しく微笑んでいるように見えた。


「もしかして、見ていました?」

「貴方の表情を見れば、何があったのかは分かります」


 先生はそう言うと、俺に歩み寄ってきて優しく抱きしめてきた。


「先生……?」

「ジルさん、一つ覚えておいてください。確かに人は、何かを捨てることで強くなれるのかもしれません」


 彼女の淡々とした言葉はすっと頭に入ってきた。

 もしかしたら本当に見ていたのかもしれない。けれど、彼女は決して責めることはせず――


「ですが、逆に何か背負うことで強くなれることもあります。どうか、それを忘れないでください」


 責めるではなく、諭す。

 そんな妙に先生らしい言葉に、思わず笑いそうになって……けれど、笑えなかった。


 俺は何か言葉を発することもせず、ただ先生の肩に顔をうずめる。

 目元に、妙な熱さを感じながら。

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