第32話 食堂でのひと悶着

「はぁ……」

「随分とデカい溜め息だな」

「ああ、ここに来て一気に疲れが……」


 疲れといってもやはり体力的なものではなく気疲れ。なんかこういうのばっかだ、最近。


 今日、俺達新入生に関しては入学式とそれぞれのホームルームのみというスケジュールになっていて、昼食時にはもう放課後――つまり自由時間となっていた。

 そんなわけで予め待ち合わせをしていたファクトと共に昼食へと繰り出している。

 目指すは学生食堂だ。王立学院の学食は豪華という噂なのでちょっと楽しみである。


「おーい! ジルー! ファクトー!」

「げっ」

「おいっ! 何が“げっ”だぁ!?」


 学食に向かうため校内を歩く俺達に声を掛けてきたのは、上半身ビキニ姿の痴――いや、メルトだった。その後ろにはしっかりミリィが付いてきている。


「しっかしジル! やっぱりお前も受かってたんだなぁ!」


 メルトは実に嬉しそうに肩を組んできた。殆どハグと同じ勢いで仕掛けられたそれに俺は思わず硬直してしまう。

 いや、だって、メルトの身体を覆っている布は実に薄く、柔らかで……胸が俺の腕に押し付けられてはムニムニ形を変えてしまっている。

 これはツラい。この思春期真っ盛りな15歳男児にはツラいって!


「彼女らとはさっき落ち合ってな。まさか教室前で待ち構えているとは思わなかったが」

「クラス分けで名前呼ばれんの聞いてたからなぁ!」


 ムニムニと俺にお胸を押し付けつつ、ファクトと会話を交わすメルトさん。

 そんな男に良く効く拘束術をかけられたまま放置された俺の制服の裾を、ミリィが控えめに摘まんできた。


「ジル様、お久しぶりです」

「あ、ああ、ミリィも元気そうで何よりだ」

「ジル様のおかげです!」

「そ、そうなのか……?」


 物理的にグイグイくるメルトは正直ちょっと苦手なのだが、助けたことによる敬愛を向けてくるミリィも少し苦手だ。

 いや、彼女達がどうというわけではなく、こうストレートに来られると一歩引いてしまうというのが実際のところで――そういう意味ではセラやポシェ先輩もそうか。

 この世に生を受けて15年、どうにも人付き合いの浅さから好意というものがむず痒く感じて仕方がない。


「っと、のんびりしてたら席が埋まっちまうかもしんねぇ! ジル! 行くぞ!」

「俺? って、おい!? いきなり引っ張んなよ!?」


 なんというか、突然流れる時間が速くなったんじゃないかと錯覚するくらいグイグイ引っ張られる。とても自分のペースなんか保てそうにない。

 これは気疲れだけでなく、体力的な疲れにも襲われることになりそうだ。


 まぁそれでも、あまり悪くないとも思う自分がいて……早速、順応している自分にほんの少し呆れてしまった。

 

◆◆◆


 食堂へ移動した俺達は、なんとか4人分の席を確保し、それぞれ選んだランチメニューを食しつつ、会話に花を咲かせていた。


 旧知の仲ではないけれど、共に窮地は乗り越えた仲だ。既に互いの間に壁は無く、あまり遠慮することなく軽快に言葉を交わしていく。

 全員それなりに社交的な性格をしているというのも関係しているだろう。

 ……いや、俺だって社交的な方だ。自称だけど。根の部分はどうか知らないけれど、表面上はいつでも取り繕えるんだし。うん、社交的。


 食堂内はかなり広いが、今は俺達と同じ新入生達だけしかいないらしい。

 学年の区別はネクタイの色で判別できるようで、俺達1年が赤、2年が緑、3年が青となっている。ポシェ先輩が着ていた制服のネクタイは緑色だったから、学年ごとにローテーションしていってるのだろう。


 なぜ新入生しかいないのかは不明だが、2,3年生は既に授業が始まっているからか、オリエンテーションで昼食の時間がズレたのかだと思われる。


「あのぅ、ジル様。ジル様はDクラスだったですか?」


 少し会話を外れ周囲を観察していると、そんな突然な質問が耳をついた。いや、突然でもないか。かなりオーソドックスな質問だ。

 けれど質問してきたミリィからしたらそれなりに勇気を振り絞ったものだったようで、その表情が少し硬くなっていた。


 まぁ、他3人と同じクラスで無いのだからDで確定だと思っているだろうし、Dクラスは成績的にも最下位なのだから、そりゃあ気を遣うだろう。

 けれどミリィよ。残念ながら下には下がいるんだ。E、F、Gと掘り進んでいった最下層、Zで始まるクラスゼロなんて底が。


 ただ、こいつを口にするのは少しばかり躊躇われた。

 口止めをされているというわけじゃないが、ちょっとばかし説明するには難しくて……結果、口を噤んでしまう。


 いいや、黙っていれば済むわけじゃない。何か答えなきゃ。でもどう答えれば――そんな俺の葛藤はこれまた突然、食堂内に響いた大きな声によって話題ごと掻き消されることとなる。

 まさかの外から救いの船が――なんて、そんな優しいものではなかった。

 むしろ逆、最悪に近い。


「アンタが噂の王女様かぁ!?」


 広い食堂のどこにいても聞こえるであろう声量と、同い年にしては野太い声。

 これが先ほど別れたばかりのクラスメート、レオン=ヴァーサクによるものだということは声を聞いた瞬間に分かった。


 そして、その不穏なセリフが示す通り、彼の目の前にはおそらく同じくクラスの貴族生徒に囲まれて食事をとっていたセレイン=バルティモア第三王女の姿があった。

 アイツまさか、先生の話を受けて彼女に絡んでるのか……? 相手はこの国の王女様だって分かってんのかよ!?


「聞いたぜ? アンタ、随分と強ぇんだってなァ? 俺と勝負してくれよ」

「何だ貴様は……!? セレイン様に不躾な態度を……!」

「アァ? 取り巻きには興味ねぇよ。ぶっ飛ばされたくなけりゃさっさと退きな」

「ひっ……」


 勇敢にも、いやおそらく王女へのアピールに盾になろうとする取り巻き君達だったが、レオンに圧され固まってしまう。

 少々情けないが、あまり一方的に批判してやることも気の毒だ。


 レオンの身体は大きく、大きいものというのは本能的に恐ろしさを覚えさせるものだ。それにその体躯に似合って筋骨は隆々としている。ついでに荒々しい野生の気配を滲ませているというオマケ付きだ。


 そんな彼の敵意を直接浴びては、普段使用人なり貴族の権力なりに守られているお坊ちゃん方にはとても耐えられないだろう。


「なんだ、アイツは……!?」

「おいおい、穏やかじゃねぇな……!」


 しかし、怖れを感じつつも立ち上がろうとする者もいる。

 近しい場所では貴族であり王女様のクラスメートでもあるファクト、そして血の気の荒いメルトがそうだ。ちらほら他のテーブルでも、何人か生徒が立ち上がっているのが見える。


 突然王女につっかかる野獣のような男。

 発言から知り合いという感じもなく、周囲が悪のように認識するのも当然のことだけれど、この状況はよろしくない。


 今はレオンに対し誰も直接的な行動に出ちゃいないが、誰かが手を出せば一気に爆発しそうな緊張が走っている。

 入学初日に乱闘騒ぎというのは絶対によろしくない。そんなの誰だって分かっている筈だ。


 とにかく、今は中央で敵意を集めているレオンをなんとかしなければいけなくて――はぁ……仕方がない。


「ファクト、メルト、それにミリィも」

「何だ」

「あぁ?」

「ジル様……?」

「ここは俺に任せてくれ」


 少なくとも彼らに迷惑はかけられない。

 3人に釘を刺すと、俺は立ち上がって、レオンの方へと歩き出す。


「何してるの、レオンくん!?」


 だが、俺よりも先にレオンを止める者がいた。同じくクラスメートのルミエ=ウェザーだ。


「キミ、いきなり何を考えてるの!?」

「アァ? テメェ確か同じクラスの……ハッ! 何を考えていようが俺の勝手だろうが!」

「勝手って……勝手が過ぎるよ! とにかく、王女殿下に謝って!」

「謝るだぁ……?」


 激昂する彼女を、レオンは馬鹿にしたように鼻で笑う。

 あいつがルミエを、いいや俺達クラスゼロの面々を何とも思っちゃいないというのがはっきり分かる態度だ。

 正面から止めようとしたところで無駄だろう。それこそ暴力でも振るわない限りは。


 しかし、そんなことをして騒ぎにでもなれば、王女に無礼を働いたレオンに巻き添えでクラスゼロ全体が問題視される可能性が高い。そういう余計な注目を浴びるには俺達はまだ弱すぎる。

 能力がじゃない、学院内での立場がだ。新設のクラス、それも新設理由が理由だし、吹かれれば簡単に飛んでしまうだろう。


「やめろ、レオン」


 仕方なく、俺も事態の収拾を目指し、レオンから王女殿下を阻む壁役として割り込んだ。

 背中越しにセラが息を呑んだ音が聞こえてきたが無視だ、無視。


「おうおう、なんだぁ? テメェら、わらわらと虫みてぇに寄ってきやがってよ」

「お前、自分が何をやってるのか分かってるのか」

「当然だ。俺は強くなるためにこの学院に入ったんだ。そこの王女サマが強いって話を聞いたなら、手合わせの一つや二つ、試してみてぇって思うもんだろうが」

「だとしても段階を踏むべきだ。お前の行動が俺達全員の迷惑になるんだぞ」

「テメェら雑魚のことなんぞ、知ったこっちゃねぇなぁ?」


 馬鹿にしたように見下してくるレオンを、俺は見上げつつもハッキリと睨み返す。

 奴の手を引かせるための方法は既に浮かんでいる。しかし上手くこの男を乗せられるかどうか……いいや、悩んでいるゆとりはない。


「雑魚かどうか、試してみるか」

「アァ?」

「まず俺のことを屈してみたらどうだ。お前はまだ誰にも力を示しちゃいない。それなのにいきなり女子相手にイキるなんて、ダサいを通り越して見ていて恥ずかしくなるんだけど?」

「なんだと……?」

「俺が相手してやるって言ってんだよ、でくの坊」


 あまりにストレートな挑発だが、効果は有ったらしく、レオンの目に怒りが滲んでいく。殺気、プレッシャーが膨れ上がりピリピリと肌を焼く感じがした。

 ルミエ、ファクトたち、そして背後のセラからも心配するような視線を感じるけれど、それは余計なお世話……とは言い難いか。


 やり合わずとも分かる。この男は決して見掛け倒しなんかじゃない。

 放つ気迫、オーラはリスタ先生が言っていたクラスゼロに分けられた者の条件に合致して、普通の枠に収まるものではない。


 だが、だからこそ、そんな彼なら分かる筈だ。

 こうして正面から見て、注視して――漸く見えてくる筈だ。


 俺もまた、クラスゼロ。“普通ではない”と。


「……お前」

「どうする。このまま周囲の失笑を買い続けるか、それとも――」

「へっ、面白れぇ……その挑発乗ってやるよ、ジル=ハースト」


 レオンのその返しに内心ホッと安堵する。

 彼も流石にこの場で大暴れするという意思はないらしく、あっさり踵を返して食堂から出ていった。


 どうなるかと思ったが、これにて一件落着。

 俺はレオンの気を自分に逸らし、王女様を危機を救った英雄――なんて、なる筈も無く、学食内は変わらず緊張に包まれていた。

 その矛先は――俺だ。


 振り返ると、王女を守らんとするように熱い視線を飛ばしてくる貴族のご子息様方と、俺を見つめて頬を緩ます王女様の姿があった。

 王女はともかくとして……、他の連中はレオンのように俺もあっさり帰してくれるという気はなさそうだ。

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