第19話 変貌
「ぐっ……!?」
無数の腕の奔流に飲まれ、大きく吹き飛ばされる。
なんとか空中で姿勢を整え着地したものの、随分と距離を離されてしまった。
サルヴァの方を見ると彼の全身も黒い腕に飲まれ、深い闇が広がっていた。
「ク、ククク……!」
広間に奴の声が響き渡る。
その声の響きは先ほどとは違い……奴が魔人として変容したということがはっきり分かった。
魔人というものを語る前に、まず魔神という存在について言及する必要がある。
この世界には何体かの神がいる。その殆どは世界に干渉することはなく、祀り上げられるだけの存在だが、2体だけこの世界に大きく影響を及ぼしている。
1体は龍神。この世界のどこかにある龍の国に住み、世界を監視、調整しているという。
時に世界に豊穣を、時に世界に厄災を。幸と不幸とを意図的に操ることでバランスを整える調律者……どう、『ヴァリアブレイド』では語られた。
彼、いや彼女? 性別不明のこの龍神とは物語の終盤に出会い、ラスボス戦の為の重要アイテムを授かることになる。
そしてもう1体が魔神。他の神を出し抜き、世界の全てを手中に収めんとする欲望に満ちた邪神だ。
この魔神こそ、『ヴァリアブレイド』のラスボスに他ならない。
神というだけあり、人間程度では立ち向かうのも馬鹿馬鹿しくなる強大な敵だが、主人公やセレイン達一行は龍神の協力を得ることで何とか同等の力を手に入れることができる。
王道ファンタジーにありがちな巨悪を前に世界が一丸となって立ち向かう熱い展開というやつだ。
それでは現在、世界が魔神の脅威に晒されているのかというと、そうではない。表面的にはという冠が付きはするが、この世界の殆どの人間は魔神という存在を知りはしないだろう。
その理由は、現在魔神がこの世界とは違うどこかに封印されているからだ。
かつてこの世界を救ったという英雄たち、これもジル=ハースト同様ゲーム内では設定だけの存在だが、それの活躍によって魔神は消え、人々の記憶からも消されていった。
しかし、魔神は今もこの世界で暗躍を続けている。自身の力を分けた人間を通して。
その人間は眷属と呼ばれる。いつ、どのようにこの世に生まれたのかは定かではないが、何百年という時間を生き続けているらしい。
眷属は人間だが、魔神の力の一部を行使できる。その力を使うことで、姿形を自在に変容させ、人の世に紛れ込み、虎視眈々と魔神の復活を目論んでいる。
そしていよいよ本題、サルヴァのような魔人と呼ばれる存在は、生物学的には殆ど普通の人間である。
人間男女の有性生殖によって生まれ、人間として育った、魔神の眷属の子どもだ。
眷属は魔神の力を持つ自身の血を継いだ魔人を増やすことで、魔神復活の為の手足としている。
その魔人であるサルヴァが腕を増やし操る魔法を有しているというのは少々皮肉がきいている気もするが。
「貴様はもう逃がしはしない……この僕を侮辱した罪、死んで贖ってもらうぞっ!」
そうサルヴァは激昂すると共に、再び腕を展開した。
しかし、先ほどとはまるで違う。
今サルヴァが伸ばしている腕は左右3本ずつなどではなく、それよりも遥かに……数えるのが馬鹿らしい程に多い。そしてその全てが、まるで意思を持っているかのように不規則にうねっている。
「魔人……いよいよ人間もやめたか……!」
「あァ……実にイイ気分ダ……コレが父にワガ身をササげるというコトかァ……!!」
声が一部、変質し始めている。
人としての知性をかなぐり捨て、本能のままに力を振るう魔物へと変貌し始めている。
「サァ……タベてやルッ!!」
「うっ……!?」
無数の腕が一斉に伸びてきた。
一つ一つの速度はそれほど速くない。しかし、数が桁違いだ。奴が空中に展開した腕の全てがそれぞれの意思を持って襲い掛かってくる。
まるで飢えた蛇の群れだ。
「ぐっ、う、くそっ……!」
「ホォラ! ニゲろにげロォ!!」
走り、跳び、身を捻り……辛うじて躱していくが、先程までのように次の手を考える余裕を与えてくれない……!
「うわああああ!?」
「や、やめろっ! 離せっ!?」
「どうして俺達まで……ッ!!」
サルヴァの腕が狙うのは俺だけじゃなく、後ろで倒れている盗賊たちもだった。
視界に僅かに入った程度だが、複数の手に全身を押さえつけられている。掴まれたところで何か、例えば生命力を吸い取られるみたいな効果は無いようだが、一瞬でも足を止めればその物量に圧し潰され、身動き一つ取れなくなるだろう。
「た、助けてくれぇぇ……!!」
不意に響く悲痛な叫び。
思わずそちらに視線を向けると、盗賊の一人、おそらく俺が鼻を潰した奴が腕に絡めとられ、その中心、サルヴァの方へと引きずり込まれるところだった。
「まさか……」
これから起きることが想像できてしまった。
腕に全身を覆われもはや彼の最後の力で伸ばされた手だけが見える状態のまま、彼はサルヴァへと飲みこまれていき……、
――バギッ! ボギィッ! バリッ!!
「ぅぎぁぁああああッッッ!!?」
断末魔と言うに相応しい叫びが広場に響く。
その場にいる誰もが分かっただろう。
今、彼は食われているのだ。魔物と化したサルヴァによって、生きたまま肉を、骨を噛み砕かれている。
人だったものが、人を、捕食している。
「これが、あの男の生み出した物なのか……!?」
ずっと、ずっと憎んできた男。父を無残に殺し、母を辱め、親父の未来を奪った男……!
その臭気を、あの男と同じ血をその身に流す魔人に一切の情など無い。
あの男の存在、生み出すもの、その全てを壊す……殺すと誓った。
けれど、実際に見る魔人の、魔物の悲惨さは想像を絶するものだった。
殺意の中に、ほんの僅かな憐みが混ざってしまうくらいに。
「ツカマぇタァ……!」
「っ!? しまっ――」
足首に不快な何かが触れる。
見るまでもない、腕だ。ほんの一瞬意識を取られた隙に絡め取られた……!?
「く、ぅ……!!」
すぐに全身に腕が纏わりついてくる。握り潰される程ではないが、払うには手間取る握力。
そして手間取っている内に次から次へと纏わりついてきて……!
「クヒヒヒヒヒッ! チョコマカ、チョコマカ……オアソビハオワリダァ……! カラダノヒトツヒトツヲ、スコシズツ、カミクダイテヤル……! イチバン、イタクテ、クルシイヨウニナァ!!!」
最早サルヴァの、人としての面影は何一つ残っていなかった。
その声は完全に魔に飲まれ、そして……二度と戻ることは無いだろう。
――魔に堕ちた魔人は、最早魔獣と同じ。殺す以外に道は無い。
そう彼女も言っていた。あの、魔人を殺すことに命を捧げていたあのお姫様が……
「……ル!」
ああ、視界を覆われ何も見えない。気でも弱っているのか、あの王女様の空耳が聞こえてくる始末だ。
もう、力を使うしかない。依り代を介さず使うのはまだ不安だが……それでもここで無様に死ぬより余程マシだ。
『返事をしてください、ジルッ!!』
「え?」
空耳じゃない。確かに俺を呼ぶ声が頭の中に響いた。
「そこですねっ! 爆ぜよッ!!」
――ドゴォォォオオンッ!!
突然の衝撃に身体が揺さぶられる。腕に耳を覆われていてもなお突き抜けてきた爆発音が頭に響く。
「うわっ!?」
突然拘束が解け、地面に投げ飛ばされた。
それと同時に飛びかかってきた――
「ジルーッ!」
「うぐっ!? せ、セラ……!?」
「あぁ、良かった……良かった、間に合いましたぁっ!」
いや、抱きついてきたセラに困惑する。
なぜ、どうしてここに……そんな疑問を頭に浮かばせながらも、あまりに突然すぎる彼女の登場に、俺はただ絶句するしかなかった。
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