第6話 市長令嬢との挨拶
翌朝。
俺は、目覚めてなお元の世界に戻っていない事を確認し、少し落胆する。
そして、既に家の中にノエリアの母の姿がない事に気がついた。
日が既に昇っているのを見て、昨日まとめた荷物を手に外に出た俺は、家の近くに馬車が停まっているのを見つけた。
「よぉ、嬢ちゃん、昨日は眠れたか?」
「あ、昨日の御者のおじさん。おはよう、よく眠れたよ」
嬢ちゃんと呼ばれることにかなりの違和感を覚えながらも、俺はあくまで自然を装って答える。
「そうか、忘れ物はないな?」
「はい、8回確認したので」
「確認しすぎだろう!?」
念には念を、である。
元の世界でも持ち物の準備は最低5回は確認していた。お影で十年間忘れ物をしたことがない。
「それじゃあ、出発するぜ、新米メイドの嬢ちゃん」
「メイドじゃなくて、家庭教師ですぅ!」
馬車に揺られて約3時間。ようやく、アーネスト市長の
「ノエリア君、おかえりなさい」
自然に声を掛けてくる市長に、俺も頭に浮かんだセリフをそのまま返し、一礼する。
「はい、ただいま戻りました」
ダメだ、これじゃあ完全にメイドさんじゃないか。
俺は御者の男に軽く礼をして、すぐに馬車を降りた。
服装を整えつつ、市長の前に立つ。
その市長は謝るような微苦笑を浮かべながら、
「馬車の旅で疲れているところ悪いが、リアナに、挨拶をしてやってくれないか?」
と言い、リアナを俺の正面に立たせるようにして軽く背を押した。
俺は昨日何度も練習した言葉を、口の中で思い出して言う。
「えっと、ユスティナ中等学院普通科卒業の、ノエリアです。よろしく......ね?」
市長からは、あまりリアナに対して丁寧語を使わないようにと言われている。友人として、心の壁を感じさせないためなのだろう。
「えっと……私は、リアナ・シャーロックよ。……命の恩人さん、これから、お世話になるわね」
一日の空白を経て、ようやくお互い目覚めた状態で対面を果たした俺とリアナ。
俺は握手をしようと手を差し出す。
友人が少ないと聞いていたので、リアナは人見知りなのだろうかと思っていた。だが、貴族らしく社交にはそれなりに慣れているらしい。
一瞬の
「よろしくお願いしますわ」
市長は俺を、これから住むことになる部屋に連れた。
「今日からここが、君の部屋だ。自由に使ってくれ」
それは、昨日に目覚めた寝台のある部屋と、ほとんど同じつくりの部屋だった。
しかし、昨日の部屋にはなかった調理台や、簡単なデスク、手洗いまである。
おおよその日常生活がここで済ませられるように、ということだろう。
「朝食と夕食は、ダイニングで出すのを食べて貰えればいい。しかし申し訳ないが、昼食は自分で用意してもらえるかな。昼は私も、役所にいる事が多いのでね。必要であれば、そこの調理台で適当に何か作ってくれてもいい」
至れり尽くせり、である。
何だかとても申し訳ないことをしている気分になる程だ。
俺は、はい、と返事をして、持ち込んで来た荷物を床に置いて整理を始めた。
少し休憩の時間を置いて、すぐに初日の授業を行うことになっている。早く、準備をしなければ。
俺は教科書を取り出して、今日の授業の確認を始めた。
授業時間は前の家庭教師と同じで1日に4時間、ということらしい。普通中等学院の授業時間に合わせているという話だった。日本の中学校を考えると、少し短いように感じる。
市長に頼まれた初日の科目は「
日本の教育で高校まで通っていた俺にとっては、比較的楽な仕事だった。
「
「6X-3=15は、いくつになる?」
しかし驚いた事が、この世界のよく分からない文字を、何故か俺が書けるということである。
得体の知れない文字列を、どうしてか日本語のように読み書きできる。そのことに、俺は妙な感覚を覚えずにはいられなかった。この世界で生きる上で都合がいい事には違いないので、それはそれで構わないのだが。
「6X=18だから、X=3、ね。これは前の先生に教わったわ」
鈴のなるような
そして一転、困ったように眉を八の字にして、手に持った教科書のあるページを指さした。
「それよりここだわ、この60頁の問題が分からないの」
「どれ?」
その本を覗き込むと、X=2Y, X+3Y=10、といういわゆる連立方程式の問題だった。
「なるほどな、じゃなくて、なるほどね......」
気を抜くとすぐに口調が戻ってしまう。リアナはあまり気にしていないようだが、だからといってあからさまな男言葉を使うのは、ノエリアというこの体の持ち主の少女に悪い気がしたのだ。
「解ける? ノエリア先生」
「うん、もちろん」
リアナは俺のことをノエリア先生と呼ぶことにしたようだった。
庶民であるノエリアには家名がないので、名前で呼ぶのは当然といえば当然だが、どうしてかムズ痒い感じがする。俺の名前じゃないんだけどな。
「これをここの数と置き換えるでしょう。それで、ここを計算すれば......ほら出来た」
元の世界でも同級生に勉強を教えることはあったので、比較的こういうことは慣れている。
「わ、すごいわね! これ、前の先生に聞いてもよく分からなかったのよね」
そう言ってリアナが俺に拍手をした。
感激したように満面の笑みを浮かべるリアナに、俺も少しばかり、嬉しさと充実を感じずにはいられなかった。
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