第三五四食 うたたねハイツとデリバリー②


 ひよりがとやらに向かっている間、形だけ勉強するフリを保ち続けていた亜紀あきが言った。


「純粋に疑問なんだけどさー、まひるんはどうしておにーさんに会いに行かないのー?」

「……え?」


 その質問に、一段落した数学の教科書を閉じた真昼まひるがパチパチと目をしばたたかせる。


「だってまひるんって、お父さんから『家森夕おにーさんの部屋に行くな』って言われただけなんでしょー? ってことはー、その気になれば外とかで会ったりするぶんには別にいいんじゃないのー?」

「え、えっと……たしかにそうなのかもしれないけど……」


 困ったように眉尻を下げた少女は、寝不足の瞳でちらりと雪穂ゆきほの方を見た。しかし相手が親友ひよりであれば助け船のひとつも出してくれたかもしれないが、亜紀と同じことを思っていたらしい眼鏡少女はこちらの言葉の続きを待つばかりだ。


「……でも、やっぱり言えないよ。ただでさえ私が勉強しなかったせいでお兄さんと一緒にごはんを食べることも出来なくなっちゃったのに、『じゃあ代わりに外で遊びませんか』なんて」

「そっかー。『いや真面目に勉強しなよ』って思われちゃうかもしれないもんねー。まーおにーさんはそういうの気にしなさそうだけど……むしろまひるんのほうが気にしちゃうかなー?」

「うん……やっぱり申し訳ないし、お兄さんにはダメな子だって思われたくないから……」

「あははー、まひるんってホントおにーさん第一で生きてるよねー。もっと自分のしたいように図太ずぶとく生きればいいのにー、雪穂みたいにさー」

「誰が図太いだって!?」


 亜紀のイジリにピキッとひたい青筋あおすじを浮かべた雪穂は、机に肩肘をついたまま大袈裟に鼻を鳴らす。


「じゃあ〝お兄さん〟とあんまり連絡取ってないっていうのもそれが理由なわけ? 電話とかメールも全然してないんでしょ?」

「う、うん……そっちは一応、お兄さんも今は試験で忙しいだろうからっていう理由もあるけど」

「あー、そういえば大学むこうはこっちより試験始まるの早いんだっけー?」

「はあ……あんたと家森やもりさんの問題だし好きにすればいいけどさ、よく好きな人と会ったり話したりを我慢出来るわよね。私だったら蒼生あおいさんと一週間も会えないなんて耐えられないわ」

「まひるんも耐えられてはないと思うけどねー。こないだも大変だったしー、もしかしてそのうち禁断症状とか出始めるんじゃないのー?」

「あはは、流石にそれはないよう。たしかにお兄さんと会わなくなってからなかなか寝付けなくなったし頭はぼーっとするし、たまにお兄さんの部屋側の壁から私の名前を呼ぶ幻聴げんちょうがしたりはするけど」

「既に禁断症状出てるんかい!? も、もうあんた強がってないで一回家森さんに会ってきなさいよ!?」

「い、イヤだよ。私はお父さんとの約束をきちんと果たしてから、胸を張ってお兄さんと会いたいんだ!」

「真面目かッ! なんで普段は素直なのにどうでもいいとこで頑固がんこなのよ、あんたって子は!? 面倒めんどくさいわね!」


 ズレた眼鏡を定位置に直しつつ、妙なところで意地を張る真昼にツッコミを入れる雪穂。元々性格的に似ても似つかない二人ゆえ、意見の一致を見ることは難しそうである。


「ちょっとアキ、ほんとに大丈夫なのコレ!? このままじゃまひる、勉強のしすぎで頭バクハツして死ぬわよ!?」

「いや、勉強にそんな特大のデメリットがあるなら誰もテストなんて受けないからー。まーなんとかなるんじゃないー? ひよりんが『大丈夫』って言ってたしー」


 ゆるふわ系少女が能天気のうてんきに言ったその時、ちょうど玄関の方から物音が聞こえてきた。噂をすればなんとやら、キッチン横を抜けて部屋に入ってきたのは三〇分ほど前に部屋を出たひよりだ。その手にはなにやら大きな白いビニール袋がげられている。


「あ、おかえりなさい、ひよりちゃん」

「おかえりー、ひよりん。首尾しゅびはどうだったー?」

「ええ、上々よ」

「?」


 なにやら仰々しいやり取りをする二人に真昼がきょとんと首をかしげる。そんなに人気のあるお店で昼食を買ってきたのだろうかと、食いしん坊の好奇心こうきしんを刺激された少女は袋の中を覗き込もうとして――はたと気付く。


「あれ……こ、この匂いって……」


 そこに入っていたのは食欲をそそる香りを放つファーストフードの紙袋でもなければ、お洒落しゃれな店名ロゴが刻まれた宅配用パッケージでもなく、とても見覚えのある食品保存容器タッパーたちだった。安物のため完全密封出来ていないのか、ほんのわずかに鼻腔びくうを刺激するその匂いに、真昼の嗅覚きゅうかくが敏感に反応する。忘れるはずもない、その香りの正体は――


「お――お兄さんが作ったごはん……!?」

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