第三五〇食 家森夕と寂しい気持ち


「むむぅん……うむむ……むぅん……」

「……ちょっとゆうさん? さっきからむんむんむんむんうるさいんだけど」

「え? あ、ああ、悪い」


 ちょうど曇り空に晴れが見え始めた頃、歌種うたたね大学のキャンパス内にある喫茶店で携帯電話とにらめっこをしていた夕は、その苦情クレームの声にハッとして顔を上げた。見ればテーブルの対面ではイケメン女子大生こと蒼生あおいが、インク切れの近いボールペンを器用に指先でクルクルと回転させながらこちらの様子を観察している。

 高等部よりも少しだけ早く年度末の試験が待ち受けている彼らは現在、履修りしゅう科目の提出用レポートやらレジュメのまとめ作業やらに精を出しているところだった。しかしとある事情からまったく集中出来ない青年は、諦めたように開いていた低スペックノートPCをパタリと閉じる。


「なにさ、まだ真昼まひるちゃんから返信来ないのかい?」

「……ああ。小椿こつばきさんに送ったほうには既読きどく付いたけど、まだ返信は来てないな」

「ふーん? まあ私もさっき雪穂ゆきほに送ったメッセージに返信来てないし、まだ授業中なんじゃない? もしくは教室移動とかで取り込み中とかさ」

「そうかもな」


 蒼生の言葉に頷き、携帯を机の端に置いてコーヒーを一口すする夕。どのみち真昼から返信があれば通知のバイブレーションが鳴るのだ。変化のない液晶画面に反射する自分のえない顔と見つめあっていても仕方ないだろう。

 そうだと分かっているのにどうにも落ち着かず、カップを片手にチラチラと裏返した端末へ視線を送ってしまう彼に、蒼生は「そんなに気になるなら見てればいいじゃんか」と笑う。


「でも真昼ちゃんのお父さんってそんなに厳しい人だったんだねえ。真昼ちゃんの成績って元々学年トップクラスなんでしょ? それをずっと維持しろとか、私なら絶対グレるね」

「お前は今もグレてるようなもんだろ、進級に必要な単位数ギリギリなんだから」

「まだ留年はしてないからセーフでしょ。それより肝心かんじんの真昼ちゃんはどうなのさ? 試験、クリア出来そうなのかい?」

「さあな。あの子は頭良いからちゃんと勉強すればどうとでもなりそうなもんだけど、学年トップクラスなんて次元の話は俺には分からねえよ」

「あはは、それもそっか。……だけど、キミも大変だねえ」

「? なにがだよ?」


 なにやらニヤニヤしながらそう言われ、夕がいぶかしげに眉をひそめた。すると冷めきった無糖の紅茶を優雅ゆうがな所作で飲み干したイケメン女子大生は、「別にい?」とどこか楽しげに続ける。


「キミ、今朝からずっとソワソワしてるからさ。恋人と一緒に居られなくて寂しがってるのはキミも同じなんだなあってしみじみ思ってね」

「は、はあ? そ、そんなこと……」


 見透かしたような言い方に思わず首を横に振りたくなるものの、否定しきれない夕は尻窄しりすぼみに口を閉じた。約一年間、ずっと隣にったものが居なくなってしまうというのはやはり寂しい。


「考えてみれば、最初は真昼ちゃんの片想いから始まったんだもんねえ。それが今じゃ、キミにとってもあの子がそれだけ大きな存在になってるっていうんだから感慨深いよ」

「う、うるさいな……どの目線から言ってんだよ、お前は……」

「ふふっ、当たり前じゃないか。私はキミたちの恋愛をすぐ近くからずーっと見てきたんだから」


 既にレポートをまとめることは諦めたかのようにペンを机の上にほうると、テーブルの上に頬杖をついた蒼生はくすくすと笑う。


「真昼ちゃんは今、きっとキミのために一生懸命頑張ってるんでしょ? 全部終わったら、なにかご褒美くらい用意してあげなよ?」

「ご褒美、か……そうだな。じゃあヘソクリを使って出前寿司でも――」

「いやそういうご褒美じゃないよ。たしかに真昼ちゃん的にはそれでも大喜びしそうだけどさ。でももっと簡単な……キミの身体一つでしてあげられることがあるでしょ?」

「俺の身体一つで……?」


 どういうことだろう、と疑問符を浮かべかけたその時、夕の携帯電話からバイブレーションの音が鳴り響く。話を中断して素早く確認すると、一件のメッセージが届いていた。


旭日あさひ真昼:ありがとうございます!!!! 私、死ぬ気で頑張ります!!!!』


「……頑張りすぎるなって言っただろうに。ったく、ちゃんとこっちのメッセージ読んでるんだか」


 憎まれ口を叩きながらも、青年の顔には安堵あんどの微笑が浮かんでいる。正面からそれを眺めている友人の存在すら忘れてしまうほどに。


「――もうなにも心配要らないのかもしれないね、キミたちなら」

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