第三三一食 家森夕と千歳千鶴


「あ」

「あン?」


 翌日の朝。歌種うたたね大学の駐輪場に自分のバイクを停めていた俺は、奥にある大型二輪用の駐車スペースに見覚えのある金髪女が立っていることに気付いた。同じく向こうもこちらに気が付いたようで、目が合った瞬間に嫌そうに顔をしかめる。


「お、おう、千歳ちとせ。今から授業か?」

「……チッ」

「(挨拶しただけなのに返事が舌打ちだけってどういうこと!?)」


 相変わらず、実に愛想の悪い女である。これだから、俺はこいつに対する苦手意識がなかなか抜けない。文化祭の件や見舞いの件など、彼女が悪い奴ではないことくらい分かっているのだが、どうにも胸を張って「友だちです!」とは言えないというか……そもそも千歳の方は俺や青葉あおばのことを〝友人〟と認識しているかどうかすら怪しい気がする。

 なにせ、俺と千歳が大学外で話すようになったきっかけは真昼まひるだ。あの子を抜きにして俺単品が千歳とコミュニケーションを取ろうとしても上手くいくはずがない。というわけで――


「あ、あー……そ、そういえば最近、真昼たちがいろいろと世話になったみたいで悪かったな」


 この女に対して最も有効な切り札をさっそく切る俺。この気まずい空気を打開するためだ、迷いはない。


「真昼のチョコ、お前が作るの手伝ってくれたんだろ? ありがとな」

「オレはあいつらに頼まれたから手を貸しただけで、テメェらを喜ばせるためにやったわけじゃねェ。礼を言われる筋合すじあいなんざねェよ」

「そうか。でも、ありがとう」

「……フン」


 重ねて礼を言うと、ヤンキー風女子大生はそっぽを向いて鼻を鳴らした。つれない態度のようにも照れ隠しのようにも映るが、どちらかと言えば後者だろうか。もっとも茶化ちゃかそうとすれば怒られることは目に見えているので、口には出さないでおこう。


「……どうだったンだよ」

「え? どう、って?」

「チッ……決まってンだろ、真昼が作ったチョコの話だ」

「あ、ああ」


 その問いに、俺は少しだけ顔に頬がのぼってくるのを感じる。思い起こされる記憶は昨日、感動した勢いに任せて思いっきり真昼を抱き締めてしまった時のことだ。

 勢い任せの行動だった分、わりとすぐに平静さを取り戻した俺だったが……その段階ではもう時既に遅し。腕の中の細っこい身体を解放すると、耳まで赤一色に染まった恋人はパタリとその場に倒れ伏してしまった。まるでプシューッと白煙を噴き出す、壊れたロボットのように。

 真昼には本当に悪いことをしてしまった。後で彼女が正気を取り戻した際に「バレンタイン、最高……!」などと呟いていたが、チョコに対する俺の反応リアクションはおそらく世間一般の平均から大きく逸脱しているであろうことも言い含めておかねばなるまい。


「で、味は? 上手く出来てたかよ?」

「うん、すげえ美味うまかったぞ。でかいハート型だったから、割って食おうとしたら真昼に『そんな残酷なことしないでくださいっ!』って怒られたけどな」

真昼あいつ、練習してる時も似たようなこと言ってやがったぞ。『ハートマークに亀裂きれつは縁起が悪いから、お兄さんに渡すチョコレートは絶対傷一つない、綺麗なハート型にする』とかなンとか」

「ははっ、真昼らしいなあ」


 不器用なりに一生懸命調理する真昼の姿を想像すると、自然と笑みがこぼれてしまう。出来ることならその調理風景も見てみたかったが――しかし真昼がわざわざ千歳を師事したのは、単にチョコレートの作り方を教わりたかっただけではなく、俺にサプライズでプレゼントをしたかったという理由もあったはずだ。だからこそ彼女は昨日の朝、えてバレンタインのことに一切れなかったのだろうから。


「……なあ、千歳。うちの彼女、なんであんなに可愛いんだろうな?」

「いきなり惚気ノロケてンじゃねェぞ、気色悪きしょくわりィ」

「あ、そういえば真昼と冬島ふゆしまさんがお前にお礼したいって言ってたぞ。今度青葉も誘って、五人でどっか行かないか?」

「今の惚気聞かされて行くわけねェだろ。大体カップル二組と同行って、完全にオレが邪魔になるヤツじゃねェか」

「そんなことないって、なんだったら他にも誰か呼んでもいいしさ。たとえば……赤羽あかばねさんとか?」

「よりによってなんであのクソガキだよ!? 余計に状況が悪化すンだろうが!」

「でも真昼も冬島さんも結構張り切ってるみたいだったぞ? ここで肝心の千歳おまえが来ないなんて言われたら、あの二人悲しむんじゃねえかなあ……」

「ぐっ……!?」


 真昼たちを引き合いに出された途端、言葉を詰まらせる金髪女子大生。やはりさしもの千歳千鶴も、年下の期待を裏切るような真似は気が引けてしまうらしい。真昼たちが彼女にお礼をしたいと言っていたのは事実なので、そんな凄い目付きで睨まれたところで俺にはどうしようもないんだけれども。

 そして、やがて千歳は諦めたように大きな溜め息を吐き出す。


「チッ……か、考えるだけ、考えておいてやる」

「サンキュー。じゃあ真昼たちには『千歳も来てくれる』って連絡しとくな」

「耳詰まってンのか!? か、考えるだけだっつってんだろ!」


 そうは言われても、彼女がハッキリ「行かない」と意思表示をしない時点で、答えは決まっているようなものだった。

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