第三三〇食 うたたねハイツとバレンタイン
★
大学から帰った俺は、うたたねハイツの廊下を歩きながらモヤモヤと物思いに
「(結局、
思い出すのは今朝、バレンタインのことなど覚えてもいないかのような様子で朝食を頬張っていた恋人の姿だ。青葉とあんな話をしたこともあり、「今年は人生初のバレンタインチョコを貰えるかもしれない」と淡い期待を抱いていた俺だったが……残念なことに、それは見通しの甘い願望に過ぎなかったようである。
「(……まあ、よくよく考えりゃバレンタインなんて
二週間前とほぼ同じ言い訳をしつつツカツカと階段を上がる俺。我ながら情けない現実逃避だ。何をどう解釈したところで、自分が〝恋人が居るのにバレンタインチョコが貰えない男〟である事実はなにも変わらないというのに。
さっさと部屋に入って月末に差し迫った試験の準備でも進めよう――心の涙を
「へぶあっ!?」
「ふぇっ? ……あっ」
ちょうどそのタイミングで勢いよくドアが開かれ、鼻頭に硬い扉が直撃。ただでさえ冬の外気に冷やされて防御力が低下しているところにこれは痛い。
「ごっ、ごごごめんなさいお兄さんっ!? ま、まさかそこに居るとは思わなくて……大丈夫ですかっ!?」
「お、おう、大丈夫だ……だけど真昼、外開きのドアを開けるときはもう少し気を付けような、こうなるから……」
二度とこんな悲しい事故が起きないように、という気持ちを込めて注意しつつ顔を上げると、少女・真昼は心底申し訳なさそうな表情でこちらへ手を伸ばしてきた。そして彼女の細い指先が、俺の鼻を優しく撫でる。
「本当にごめんなさい、痛かったですよね……」
「(か、顔が近い……っ!?)」
尻餅をついている俺を覗き込むような体勢のため、我が恋人の花の
「そ、それよりどうしたんだよ真昼? そんなに慌てて出て来て」
アパートの廊下でいつまでも至近距離で見つめ合っているわけにもいかないので、俺はヨロヨロと立ち上がりながら少女に問う。すると彼女は「あ、はいっ!」と満面の笑顔を咲かせて言った。
「お兄さん、お話ししたいことがあるので、少しだけ私の部屋に来てもらってもいいですか?」
「……? うん、別にいいけど」
手招きをする彼女に言われるがまま、俺は二〇五号室の
「それで、話ってなんだ?」
「ふっふっふっ……じゃーんっ! コレのお話しでーす!」
「!」
効果音とともに俺の前に差し出されたのは、少しだけ
「ば……バレンタインチョコ!? 真昼、用意してくれたのか!」
「えへへ……はいっ! 今日の日のために、
「え……ち、千歳?」
「……真昼、開けてもいいか?」
「もちろんっ! 見てみてください!」
「それじゃあ失礼して……」
許可を得た俺は、包装紙を破ったりしないように最新の注意を払いつつラッピングを解いていく。そして中から現れた白い箱の
『夕くんへ いつもありがとう 大好きだよ』
――白のデコペンでそう書かれた、大きなハート型のチョコレートが目に飛び込んできた。
「本当は生チョコとかトリュフにしようか迷ったんですけど、実際に作ってみるとあんまり『バレンタイン!』って感じがしなくて……だからすっごくシンプルですけど、ハートのチョコにしてみました! どうですか、お兄さんっ!」
「……ッ!」
「ってうえぇっ!? な、泣いてるっ!? どっ、どどどうしたんですかお兄さんっ!?」
「い、いや、ごめん……なんか感動して……!」
人生初のバレンタインチョコを前に感極まってしまい、俺は思わず溢れ出しそうになる涙をどうにか
「ただでさえ不器用なこの子が、デコペンでここまで綺麗な文字を書けるようになるまでどれくらい練習したんだろう」とか、「『生チョコやトリュフを実際に作ってみると』って、いったいいつから今日のために頑張ってくれていたんだろう」など、この小箱一つを作り上げるために真昼が
「……ありがとう、真昼。めちゃくちゃ嬉しいよ」
「えへへ、そうですか? 喜んでもらえたならよかったで――」
「それと悪いんだけど、ちょっとだけ抱き締めさせてもらっていいか?」
「!? どど、どうしたんですか急に!?」
「いや、なんかもう感動しすぎて……この感動を誰かと共有したい。」
「なんですかそれ!? いえっ、お兄さんがしたいなら私はウェルカムですけどっ……ああっ、でもやっぱりちょっと待ってください、心の準備が――」
「真昼ーーーッ!」
「んぎゃあああああ@☆※□&△@∵○%っ!?」
――バレンタイン当日の午後、うたたねハイツ二〇五号室内。
初チョコの感動のあまり正面から女子高生を抱き締める男と、全力の
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