第二七六食 家森夕と以心伝心

「実は私、お兄さんと付き合えたらしてみたいことがあったんです!」


 朝食を終えて洗い物を済ませた後、腰に両手を当てて仁王におう立ちしながら宣言してきた真昼まひるに、俺は「……は?」と頭に疑問符を浮かべる。


「え、なに? なにかやりたいことがあるのか?」

「はいっ! 聞いてもらえますでしょうか!?」

「うん、聞くからとりあえずそのポーズと大声出すのはやめような?」

「……はい」


 自分だけハイテンションなのが恥ずかしくなったのか、恋人の少女が素直に座布団ざぶとんの上へ正座した。そして「こほんっ」と咳払いをしてから対面の俺を見つめてくる。


「私のやりたいこと、分かりますよね?」

「どんな無茶振り? ノーヒントで分かるわけないだろ……なんだ、買い物に行きたいとかか?」

「ぶっぶーっ、ハズレでーす! あっ、でもまた今度二人でショッピングも行きましょうね」

「なにか美味しいものを食べに行きたいとか?」

「ぶっぶーっ、違いまーす! あっ、でも記念日にちょっとだけ贅沢ぜいたくなものを食べたりはしたいですね」

「……どこかに遠出してみたいとか?」

「ぶっぶーっ、ざんねーん! あっ、でもまたお兄さんと二人でバイクに乗ってお出かけもしたいですね」

「(結局全部やりたいんじゃねえか)」


 この子は基本ノリがいいので、俺が何に誘っても二つ返事で「やりましょうっ!」と言ってくれるタイプである。逆に言えば特定の〝やりたいこと〟一つを当てるというのはなかなかの難題なのだが……途方とほうに暮れた表情を浮かべる俺に、真昼は「はい、そこまででーす」と制限時間切れタイムアップを告げた。ご丁寧なことに、両手で〝T〟を形作るおまけ付きだ。


「もう、お兄さんったら真剣に考えてくださいよう」

「いや、コレは普通に無理だろ。俺は超能力者エスパーかなにかか」

「え? でも『しんに心が通じ合っている二人はお互いが考えていることが分かるようになるもの』って、雪穂ゆきほちゃんから借りた漫画にかいてありましたよ?」

「漫画をに受けて言ってたんかい……以心伝心なんて迷信だろ」

「そんなことありませんよ。だって私のお祖母ばあちゃん、お祖父じいちゃんが『お茶』って言わなくてもぴったりのタイミングでお茶を持っていってましたもん」

「それは以心伝心というより、長年の習慣ってだけでは?」

「……あっ! お兄さん、今『コーヒーが飲みたい』って思いましたね?」

「ここぞとばかりに突っ込んできたな。たしかにいつもメシの後は飲んでるけども」

「それと『ミルクと角砂糖が一つずつがいいな』とも思いましたね?」

「それはいつもそうってだけだろ……」


 それこそただの習慣に過ぎないのに、なぜか得意げに胸を張った真昼が「それじゃあ今日は私がれますね!」と元気よく台所へ向かっていく。これを以心伝心と呼んでいいなら、俺でも同じことが出来るということになってしまうぞ。


「(……でも、それくらいあの子と一緒にいるっていうのは事実なんだよな。お互いの習慣とか趣味嗜好しこうを把握出来るくらいには)」


 そう考えると、なんだか無性むしょう面映おもはゆい気持ちになる。コーヒーのミルクと砂糖程度と言えばそれまでだが、裏を返せばを真昼は正確に覚えてくれているのだ。何十回、下手をすれば何百回という日常の繰り返しの中で。


「お待たせしましたー……あれ? どうかしましたか、お兄さん?」

「えっ? な、なにがだ?」

「いえ、なんかちょっとだけ顔が赤いような……?」

「き、気のせいだろ」


 微細びさいな変化を一瞬で看過かんかしてくる少女から顔をそむけつつ、湯気立つカップを受け取る。俺は真昼ほどポーカーフェイスが下手ではないはずなのだが、この子の観察眼には敵わないらしい。普段はなにかと鈍感なくせに、妙なところで鋭いのだから困ったものだ……そしてコーヒーの味は完璧にいつも通りだ。


「……それで? 結局キミのやりたいことってなんなんだよ?」

「へ? あ、そうでした!」


 じーっと見てくる彼女の視線から逃れる意味も込めて問うと、真昼は両手で可愛らしく包んでいたマグカップを机に置き、ぽんと手を打ってみせる。


「私、お兄さんを私のお部屋にご招待したいと思ってたんです!」

「……は?」


 予想もしなかったその提案に、俺が当惑したことは言うまでもない。

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