第二六六食 二〇六号室と波乱の幕開け


 前回までのあらすじ――

 ついに家森夕やもりゆう旭日真昼あさひまひるに対する想いを自覚した。


「うぇえへへへっへへぇ~……」

「な、なんだよさっきから……ニヤニヤ見てくるなよ」


 乙女が出すにしては若干――あるいはかなり――可愛さに欠ける笑い声を発する少女に、部屋主の青年が居心地悪そうに足を組み替えながらそう言った。しかしテーブルの対面で両肘をついている女子高生は幸福の色に染め上げられた頬をおおい、「えー、なんでですかー?」とニコニコ笑顔を返すだけだ。


「んふふ、お兄さんってばいつの間にか私のこと好きになっちゃってたんですね~。『真昼おまえのことなんか女として見れねえよ』とか言ってたくせに~」

「いやそこまで言ったことないだろ、記憶の改竄かいざんが酷いな!?」

「ねえねえ、もう一回ちゃんと『好き』って言ってくれませんか? 『愛してる』とかでもいいんですけど」

「スマホ構えながら言うな、録音する気満々だろ! というか録音されなくたって絶対嫌だよ!」

「え~、いいじゃないですか~。ほら、私お酒飲んじゃったせいで全然覚えてないんですよ」

「嘘つけッ!? その顔は覚えてる顔だろ、だまされねえぞ!」


 少女があやまって缶チューハイを口にしてしまってから約二時間。ようやく酒気しゅきは抜けたものの、アルコールと一緒に一連の記憶も抜け落ちてしまっていた――などというベタな結末オチを迎えることもなく、真昼は夕の言葉をしっかり頭に刻んでいた。厳密に言えば彼を押し倒す前後まではあやふやな部分もあるが……そのあたりを思い出すと恥ずかしさで爆発してしまいそうになるので、混迷状態のままそっと放念ほうねんする方が利口りこうだろう。

 そして酔いからめた少女は、それからずっとこの調子というわけである。


「あ、だったら代わりに私のどこを好きになったのか教えてください。なにがきっかけで好きになったのか、とかでもいいですよ」

「それも嫌だよ! 面と向かってそんなこと聞かないでくれ!?」

「え……面と向かってが嫌なら論文にしてまとめてくれてもいいですけど……じゃあ四〇〇字詰め原稿用紙一〇枚以内にまとめて提出してくださいね。締め切りは明日の朝までで」

「地獄すぎるッ!? 仮に書き出したとしてもに合わないだろそれ!」

「締め切りを過ぎたらバツとしてもう一度私に『好き』って言ってもらいます」

「しかも結局言わされるんじゃねえか! というか罰ゲーム扱いでいいのかよ君は!?」

「それでお兄さんが私に告白してくれるならなんでも構わないです」

「その必死さ、たぶん何か間違ってると思うぞ……」


 夕はキリッとした表情でのたまう少女にため息をく。真昼の性格上、じぶんはずかしめる目的で言っているわけではないことは分かっているが、こんなふうに詰められてしまうといくらなんでも恥ずかしい。そもそも彼の場合は真昼への想いを自覚したのもつい先刻さっきなので、急に好きなところを言えと言われても困ってしまうのだ。


「……じゃあ逆に聞くけど、真昼はどうなんだ?」

「? どう……って?」

「だ、だからその……俺のどこをす、好きになったのかなって……」

「え、全部ですけど」

「即答かよ」

「だってそうなんですもん。さっきも言ったじゃないですか、『全部引っくるめてお兄さんのことが好きなんです』って」

「それを素面しらふで言えるの強すぎるだろ……」


 逆に聞いた自分が恥ずかしくなってきてしまう。夕からすれば真昼くらい容姿・性格・能力に優れた少女なら他にいくらでもいい相手がいると思えてならなかったが、当の本人はまるで「お兄さん以外見えてません」と言わんばかりだった。もしかしたら彼女一番の強みは、その一途いちずさにこそあるのかもしれない。


「ほらほら、私は言いましたよ!? まさか女の子に言わせておいて自分は言わないなんてことしませんよね、ねっ!?」

「ぐ……!」


 完全に墓穴ぼけつを掘った形となり、座ったままたじろぐ夕。はやくはやく、とかすような少女のキラキラした視線が降りそそぎ、ハードルがぐんぐん上がっていく。こうなってしまった以上、なにか言わないと引き下がってはもらえないだろう。


「ま……真昼の好きなところは……」

「うんうんっ!」


 こくこくと首を振り、先をうながしてくる真昼。過去に類を見ないほど瞳を輝かせている彼女に、青年は顔面の発熱を覚えながら言った。


「わ――笑ってる顔……かな」

「え」


 単純な、しかしそれゆえに気障きざっぽくもある解答を聞き、真昼が一瞬硬直する。そしてみるみるうちに顔を真っ赤にした彼女は「え、あの、その……!?」と間投詞を連発。その様子から察するに、ことここに至って自分の質問が相当攻め込んだ内容であったか気付いたらしい。


「あ、あうぅ……!? おお、お兄さんったらよくそんな恥ずかしい台詞を言えますよね、だ、大胆ダイタンすぎます……!」

「き、君がそれ言う!? 言っとくけど君の方がよっぽどだったからな!?」


 一番言われたくない少女に言われ、夕は思わず机を叩く。顔を両手で覆って首をぷるぷるさせる真昼を見ていると、なんだか自分がとてつもなく恥ずかしいことを言ってしまったかのようだった。


「くぅっ……流石はお兄さんです、今回は私の負けですね……」

「いや、今の会話のどこに勝敗があったんだよ!? まさか恥ずかしい発言対決とかじゃないだろうな!?」

「あの、後で聞くために録音したいのでもう一回言ってもらってもいいですか? 『俺が真昼きみの笑顔を守るぜ、ベイビー』って」

「記憶の捏造ねつぞうが酷い! しかも格好よくなるならまだしもダサくするんじゃないよ! 『ベイビー』て!」

「え? 『ベイビー』って付けた方が格好いいと思うんですけど……」

「……そうだった、この子は素のセンスがコレなんだった」


 どこかの抜けた会話だったが、そのおかげもあって浮き足立っていた空気が徐々に普段通りに戻っていく。

 そして二人が愛する穏やかな時間が二〇六号室に流れ始めた頃には、新年最初の太陽は西の空へと傾き始めていた。

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