第二六五食 家森夕と二人の本音⑥

 想像していたより、すんなりと言葉になったように思う。これまでの人生、れたれたとはつくづく無縁だった俺の最初の告白は。

 緊張していないわけじゃない。でも、さっきまでよりもずっと落ち着いている。存外ぞんがい、俺ははがねの精神を持ち合わせていたのだろうか。


「(……違う。俺はただ――)」


 ――この答えに辿たどり着くのが怖かっただけだ。


「……ふぇっ」

「? ……えっ!?」


 聞こえてきたその声に、俺はようやく天井から腹の上に乗ったままの真昼まひるへ視線を戻し……そしてぎょっと目を見開く。なぜなら、瞳いっぱいに涙をめた少女の頬を、大粒のしずくがポロポロとすべり落ちていたから。


「なな、なんで泣いてるんだよ!? 大丈夫か!?」


 当然、みっともなく慌てふためく俺。とりあえずズボンからハンカチを取り出して渡そうとするも、真昼の太腿ふとももさえぎられているせいで手が届かない。そもそも冷静に考えてみれば、ガサツな男子大学生のポッケにそんな気のいたアイテムは用意されていない。女の子慣れした男前だったら指先やら服のそでやらで少女の涙をぬぐってあげられたのだろうが、残念ながら意気地いくじのない俺は彼女の綺麗な肌に触れることすら出来なかった。


「だっでぇ……わだじ、やっどおでぃいざんに『ずぎ』っでいっで○%◇#……!」

「(なんて?)」


 涙声のせいで上手く聞き取れなかったが……「やっとお兄さんに『好き』と言ってもらえて嬉しい」的なことを言っているというのは伝わってきた。彼女がずっと一途いちずに「絶対振り向かせてみせる」と言ってくれていたことを思えば、無理もない反応だったのだろう。いや、もちろん泣かせるつもりで言ったわけではないが。


「……でも、おにいさん」


 あふれ出してくる涙としばらく格闘し、卓上に置いてあったティッシュで「ぢーんっ!」と盛大に鼻をかんだ真昼――ムードもへったくれもないのは相変わらずだった――は、やがて赤くなった目で俺を見下ろしながら聞いてくる。


「わたしのことを好きって言ってくれるのに、どうして『真昼わたしとどうなりたいのか分からない』なんて言ったんですか?」

「そ、それは……」


 もっともな疑問だった。たしかに本当に好き合っているなら、俺が真昼と交際出来ない理由などもはやないだろう。異性として見ていると自覚してしまったからには、「真昼はまだ高校生こどもだから」なんてなんの言い訳にもならない。

 思うに、俺がこれまで真昼の想いにこたえられなかった本当の理由は、俺のことを兄のようにしたってくれる彼女から向けられる純粋な好意をけがしてしまうのが怖かっただけなのではないか。

 彼女が好きになった家森夕やもりゆうとは、だ。だから自分がそんな大層な人間ではないと知っている俺は、それらしい建前たてまえをでっち上げることで守ろうとした。少女が俺に対していだく幻想を。そして何より、彼女から失望されてしまうことを恐れる俺自身を。

 真昼に失望されてしまえば――嫌われてしまえば、俺は居心地のいい大切な時間を失い、またあの色褪いろあせた日常に逆戻りすることになると思ったから。


「それってつまり……おにいさんは、いつかわたしにきらわれちゃうのが怖かったっていうことですか?」

「うっ……ま、まあそういうことになる、のかな……」


 俺自身、今の今までそうだとは自覚出来ずにいただけに、そんな身も蓋もない言い方をされるとなんだか物凄く格好悪く聞こえる……いや、実際に相当格好悪いので、反論のしようもないのだけれども。


「……なりませんよ、きらいになんて」


 寝転んだまま見上げると、真昼は形のいい唇を不満げにつんととがらせ言った。


「わたしはおにいさんのやさしいところも、たのもしいところも、かっこいいところも、かっこわるいところも……ぜんぶ引っくるめてあなたのことが好きなんです」

「!」

「だからきらいになんてなりません。この先、おにいさんがまだわたしの知らない一面ところを見せてくれるっていうなら、わたしはそんなあなたのこともぜったい、好きになってみせますから」

「真昼……」


 臆病な俺とは対照的に、物凄く格好いいことをハッキリと言葉にしてみせる女子高生。本当に、どうしてこんな子が俺なんかのことをを選んでくれたのか……その理由だけは、俺には今後も一生分からないままのような気がする。


「(……そうだよな。君は最初から、そういう子だったよな)」


 馬鹿な己を心の中で強くいましめた俺は、改めて真昼の顔を見上げて言った。


「ごめん、真昼。俺は君の気持ちを全部分かったつもりになってたはずなのに……本当は全く理解出来てなかったんだな」

「……ふふっ、あやまらないでください、おにいさん。べつに怒ってるわけじゃありませんから」


 すると少女は不満げな表情から一変、コロリとお日様のような笑顔を咲かせると、そっと俺の胸板に頬を寄せてくる。


「やっとおにいさんがふり向いてくれて、わたし今すっっっっっごくうれしいです!」

「……そっか」

「はいっ!」


 首元へ伸びてくる少女の両腕がなんだかとても気恥ずかしくて、俺はきっと赤くなっているであろう顔を彼女からフイッとそむけてしまう。

 そんな俺のことを言葉通り嬉しそうに見つめていた真昼の頬もやはり真っ赤に染まっていたが……その後も少女はずっと満面の笑みを浮かべたままだった。

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