第二六〇食 家森夕と二人の本音①


 文化祭の夜から、ふとした瞬間に考えるようになった。俺はあの子と――旭日真昼あさひまひるとどうなりたいのだろうか、と。

 あの日まで、俺にとっての彼女は〝お隣の女子高生〟以外の何者でもなかった。好意を寄せられているだなんて考えもしなかったし、もちろん恋愛感情を向ける対象として見たこともない。真昼のことを「可愛い」と思うことは多々あれど、それもあくまで妹や近所の子どもに対して感じるようなたぐいのものだったはずだ。


 だがあれ以来、俺の真昼を見る目は確実に変化してしまった。

 これまでは気にならなかった多少の接触でさえ意識するようになってしまったし、彼女が不意に口にする「好き」という言葉が鼓膜こまくに染み付いてなかなか離れない。美味しそうに食事をするあの子を見ればどんなに沈んだ気分も途端に晴れ渡るし、逆に機嫌をそこねてしまった時は気が気でなくなる。

 あんなに可愛くて良い子が、俺みたいなえない野郎の一体どこにれたんだと心から疑問に思う反面――真昼から嫌われてしまうことは心底しんそこ怖い。


 今や当たり前のように隣にある、あのお日様のような笑顔が目の前から消えてしまった時、俺はどうなってしまうのだろうか。俺が彼女の好意を拒絶し、あるいは彼女が俺に愛想を尽かして離れていってしまった時、俺は果たしてどう思うのだろうか。

 あの子と出会う前と同じように過ごしていけるだろうか。大学へ行ってつまらない授業を受け、アルバイトで稼いだ金を苦しい生活費のしにし、自炊なんて面倒だと思いながら安い飯を作って、美味うまいとも不味まずいとも思わぬまま機械的に口へ運ぶ。季節が移り変わっても淡々と過ぎゆくだけの色せた日常に、再び舞い戻ることになるのだろうか。

 ローテーブルの対面に咲く笑顔のぬくもりを知ってしまった今、それはとてもつらいことなのではないだろうか。


 繰り返し考える。俺は真昼とどうなりたいのだろう。

 正直、俺の中では未だに高校生はまだ子どもだというイメージが強く残っている。高校生こどもと交際することへの抵抗を払拭ふっしょく出来てもいない。

 けれどその一方で、青葉あおば冬島ふゆしまさんを見ているうちに「案外上手くやっていけるものなのではないか」と思い始めている俺もたしかに存在していた。高校生どうこう以前の問題もたくさんかかえている彼女たちがごく普通に恋人同士の関係をきずけているのに、俺はどうしてたった一つの価値観を捨てられずにいるのだろう、とも。


「(……い、いやいや、でもやっぱり他人ひとの恋愛と自分の恋愛は別だろ……それに青葉たちの場合、女同士だったからこそ問題なく付き合っていけてる部分もあるだろうし……)」

「――さん」

「(第一、仮に高校生と付き合うことに対する抵抗感が消えたとしても『よし、じゃあ真昼と付き合おう!』とはならないよな……恋愛ってそういうもんじゃないし、付き合うんなら真昼が前に言ってた通り、ちゃんとあの子のことを好きになってからにするべきで……)」

「――いさんっ」

「(……ん? そういえば俺って真昼のこと、女の子としてはどう思ってるんだ? 顔は言うまでもなく可愛いし、性格も頭も良いし、超不器用だけどそれを克服するくらい頑張り屋だし……あれ? もしかしてあの子って完璧なのでは……?)」

「――にーいーさんっ!」

「(いや違う違う、そうじゃないだろ。顔とか性格が良ければ誰でも好きになるってわけじゃないんだから……というか、そもそも〝好き〟ってなんだ? 真昼のことは好きか嫌いかで言えばもちろん好きだけど、この〝好き〟は恋愛的な〝好き〟じゃなくて……でもだとしたら『ちゃんと好きになる』ってどういうことなんだよ、なにがどうなったらちゃんと好きになったことになるんだよ――)」


「もうっ、お兄さんってばあっ!?」

「……はっ!」


 考え込んでいる間に哲学的な領域に踏み込みそうになっていたところで肩をさぶられ、ようやく俺の意識は現実世界へと戻ってきた。

 現在地はうたたねハイツ二〇六号室のキッチン。立ったまま思考の海に沈んでいた俺の目の前では、見るからにおかんむりなご様子の女子高生様が唇を〝へ〟の字に曲げていらっしゃる。


「なんですかなんですか、私のことずーっと無視してぼんやりしちゃって!?」

「ご、ごめんごめん、ちょっと考え事しててさ……」

「ふんだっ、どうせ『今日の夜ご飯は何にしようかなあ』とか考えてたんでしょ! お兄さんのいやしんぼさんっ!」

「いや、君じゃないんだから……それでどうかしたのか、真昼?」


 可愛らしくそっぽを向いてしまった少女に手を合わせながら問うと、彼女は「あ、そうでした」と顔の向きを戻した。


「冷蔵庫に入ってる缶ジュース、飲んじゃってもいいですか? たぶん忘年会きのうの残りだと思うんですけど」

「缶ジュース……? うん、別にいいぞ?」


 そんなもの入っていたっけな、と思いつつ、JK組が買い物に行った時に買ってきたのだろうと結論付けて頷く俺。忘年会で余った食材や半端に口の開いた菓子類は基本的に我が家で引き取らせてもらったので、俺が知らない間にジュースの一本くらいまぎれ込んでいても不思議はない。

「わーい、やったあ!」と一瞬で機嫌を直した少女がいそいそと冷蔵庫を開いた。その際、俺はふと彼女の左手に目がいってしまい――ほんの数時間前、初日の出を見に行った展望台広場でぎゅっと握られた右手が燃えるような熱を思い出す。


「(く、くそ、手握られたくらいでドキドキしすぎだろ、俺……思春期の中学生じゃあるまいし……)」


 ぷしゅっ、とジュースの缶蓋プルタブが開栓される音が響く中、俺は自分の異性耐性のなさにため息を禁じ得ない。

 文化祭の夜、突然正面から抱きつかれた時でもここまで鼓動こどうが騒がしくなりはしなかったというのに、今日に限ってやけに意識してしまうのはなぜなのか。指先に絡むなめらかな肌の感触が反復再生リピートされるのをふせぐべく、右のこぶしをぎゅうっと握り締めてみるものの……やはり少女の左手からつたわってきた体温の残滓ざんしが消えることはなかった。


 するとちょうどその時、ズボンの尻ポケットに突っ込んでいた携帯電話がブルブルと振動した。取り出して画面を点灯てんとうしてみると、なにやら青葉から一件のメッセージが入っている。


『青葉蒼生あおい:あけおめ~。それとごめんゆう、もしかして私、キミの部屋の冷蔵庫に何本かお酒、置いてっちゃってないかな? ジュースみたいなラベルのチューハイもあるから、真昼ちゃんが間違えて飲んじゃわないか心配で……』


「じ、ジュースみたいなラベルの……チューハイ……?」


 なんとなく嫌な予感を覚え、俺は冷蔵庫前で棒立ちしている真昼に声を掛けてみる。


「あ、あの……ま、真昼、サン……?」

「……ヒック……ふわぁ~い? なんれすかあ~?」


 羞恥しゅういとは別種の赤色で顔を染め上げてしゃっくりをする女子高生の手に握られていたのは案の定、アルコール度数三パーセントのチューハイ缶だった。

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