第二五三食 うたたねハイツと忘年会④

 カニ――鉗脚かんきゃくと呼ばれるハサミ状のあしが特徴的な甲殻こうかく類の一種。種類にもよるが一般的に一対いっついの鉗脚と四対の歩脚ほきゃくを持ち、砂地の上を横歩きをしているその姿はあまりにも有名だろう。

 その多くが水中、特に海水域に生息せいそくしており、食用として目にする機会が多いズワイガニやケガニ、タラバガニなどもその例にれない。また「カニと言えば赤色!」というイメージを抱かれがちだが、エビと同様に加熱処理が行われていない状態ではどちらかというと黒や青っぽい色合いをしている種類が大半をめる――などという雑学は本当にどうでもよく。


「いやったあああああっ! カニなんて超久々なんだけど私っ!?」


 そんな蒼生あおい喜色満面きしょくまんめんの叫びこそ、二〇六号室につどった面々の心境を見事に代弁していた。分かりやすく瞳を輝かせている真昼まひる雪穂ゆきほはもちろん、いつも冷静クールなひよりでさえ、前触れもなくご降臨あそばされた二杯の蟹を前に目を丸くする。


「か、カニって、いったいどうしたんだよこれ? 家森家うちの貧乏な敷居しきいまたいでいいような食材じゃないんだけど」

「バイト先の店長から貰った」

「ええっ!? バイト先……って、なんでケーキ屋の店長がカニくれんだよげふぁあっ!?」

「お、お兄さーーーんっ!?」


 驚きのあまり、蒼生の前では言わない約束の情報を開示かいじしかけたゆうの腹に金髪女子大生の後ろ回し蹴りが炸裂さくれつ。哀れな悲鳴と共に床へ転がった青年に、慌てて隣人の少女が駆け寄る。

 どうやら雪穂と手を取り合って小躍りしているイケメン女子大生の耳に〝ケーキ屋〟の単語は入らなかったようだ。しかしそれでも不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした千鶴ちづるは、部屋にいた六名のうち現金ゲンキンな四名からうやうやしく献上けんじょうされたクッションの山へ腰を下ろす。


「と、とにかくどうもありがとう、千歳ちとせサン……悪いな、こんないいもの持ってきてもらって……」

「うるせェ、手ぶらで他人の家に上がり込むほど恥知らずじゃねェだけだ。オレ一人で食える量でもねェし」

「え? 二杯くらいなら一人でもぺろっと食べられるんじゃ?」

真昼おまえ基準で言うな」


 真顔で言った食いしん坊に千鶴がツッコミを返したところで、蟹を指先でツンツンとつついて遊んでいた亜紀あきが「それよりもさー」と口を挟んだ。


「せっかくだから早く食べようよー、話は食べながらでも出来るでしょー?」

「あン? ……ゲッ、よく見たらテメェ、あの時のクソガキ……!」

「やっほー、〝ツンデレおねーさん〟」

「誰がツンデレお姉さんだッ!? 勝手に変なアダ名付けてンじゃねェッ!?」

「えー、だっておにーさんからのお誘いを既読無視スルーしてたのに結局こんな高級食材持ってきちゃうとかやっぱりツンデレじゃーん」

「だからちげェっつってンだろうが!?」

「あれでしょー? 普段ツンツンしてるせいで素直に『行きたい』って言えなくてー、でもそこでまひるんが『来てください!』って言ってくれたお陰で『し、仕方ないなあ』って顔してれるようになったから来たんでしょー? あははー、かーわいー」

「このクソガキ、好き勝手に妄想してンじゃねェぞ!? あァクソ、こんな所に居てられっか、オレァ帰るッ!」

「なに死亡フラグみたいなこと言ってんのー? それに一度入ったからにはもうこの部屋からは出られないよー、ねー雪穂?」

「ふっ、そういうことです千歳ちとせさん――そーれ取り押さえろーっ!」

「わー!」

「ぐおおッ!? な、なにしやがるテメェら、離しやがれっ!? つーか雪穂、お前までどういうつもりだァッ!?」


 二人揃うと悪ノリが加速することでお馴染なじみの亜紀と雪穂に抱きつかれて動きを封じられるヤンキー女子大生。大学での千鶴をよく知る夕と蒼生からすればなんとも恐れ知らずな所業であったが……しかし流石の彼女でも、年下の高校生を相手に乱暴な真似は出来なかったらしい。

 結局粘着質にまとわりついてくる少女たちに根負こんまけした千鶴は、ぜえはあと息をつきながらクッションの上へと逆戻りすることとなった。もちろんその後に悪ノリ二人組は無事、ひよりの制裁いちげきのもとに沈んでいった。


「……よっし、じゃあせっかくだからがたくいただこうか。青葉あおば、カニのさばき方とか知らないか?」

「んー、一応知識としては知ってるよ。実際にやったことはないけどね」

「じゃあやり方教えてくれ。あ、お前はもう包丁持つなよ? もうだいぶ酔ってそうだし」

「え……やーんっ、ゆーくんってばあ、やーさー――」

「キモい」

「ねえせめて最後まで言わせてくんない!? もはや単なる悪口だし!?」

「むっ……あ、青葉さんっ、あんまりお兄さんとイチャイチャしないでくださいっ! も、もっと離れてっ!」

「いや絶対そんな嫉妬心燃やす場面じゃないよね真昼ちゃん!? さっき雪穂にも言ったけど、キミたちの感性ちょっとおかしくない!?」


 距離が近い青年とイケメン女子大生の間に真昼が割り込み、三人で再び台所へ舞い戻る。そして袋の中からただよいその香りを受けてすっかり酔いが回っている蒼生が吐きそうになるという事故がありつつ、二杯の蟹を無事に解体し終えて鍋の中へ。

 よく〝カニは人を無言にする〟と言うが、二〇六号室は無言になるどころか更に鍋戦争が白熱。随所ずいしょで巻き起こる蟹争奪戦をの当たりにした金髪女子大生は「あの時、オレが蟹なんて持ち込んだせいで……」と、後々のちのちに至るまで自責の念にられることになってしまったという。

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