第二四四食 家森夕とクリスマス①


 思えば俺は昔から、クリスマスを〝楽しいもの〟として認識してこなかったような気がする。

 いや、もちろんただの平日よりは楽しいだろう。基本的に倹約家けんやくかの母がケーキを買ってきてくれたり、父親がこっそりプレゼントを枕元に置いてくれたり。そういう物欲的な意味合いでいえば、クリスマスは誕生日にいで楽しみな一日ではあった。

 しかし同時に、世間せけんがそれ一色に染まるほど楽しいイベントではないとも思う。精神的な無宗教者が圧倒的多数をめるであろうこの国においてキリストの降誕祭クリスマスを迎えることになんの意味があるのか、なんてつまらないことを言うつもりない――それを言うなら記念日バレンタイン収穫祭ハロウィンだって同様だ――し、純粋に楽しんでいる人たちを否定するつもりもない。ただ、考え始めると不思議だよなあという程度の感情。

 多くの人たちはクリスマスやバレンタイン、ハロウィンが、なんて興味もないし調べもしない。というか俺自身、いつだかテレビで言っていた内容を鵜呑うのみにしているようなものだ。

 ネット上にも〝どこかの誰かが伝聞・翻訳ほんやくした中で比較的信憑性しんぴょうせいのある情報〟が羅列られつされているだけで、本当の起源や歴史を詳細に知る人はもしかしたら日本国内にはいないかもしれない。いや、そんなことを言い出したらキリストもウァレンティヌスもとっくの昔に死んでいるわけで、最初の最初・起源オブ起源を知る人間なんて世界中探したって見つからないのかもしれないけれども。


 そもそも歴史なんてものは往々おうおうにして解釈違いや故意的な改竄かいざんが積み重なってくるものだろう。こないだふとしたタイミングで隣人の少女から「え? 一一八五イイハコ作ろう鎌倉幕府、ですよね?」と当然のように言われた時は驚いたものだ。「一一九二イイクニじゃないの!?」とか「クニからハコってえらいグレードダウンしたな鎌倉幕府!」とか色々言いたいことはあったが、それ以上に自分の国の、たった一〇〇〇年前くらいの、それも一般常識レベルとされるようなレベルの歴史でさえあやまりが見つかることがあるのだということの方が驚きだった。

 しかしそれも当然のことだろう。先の話と重複ちょうふくしてしまうが、たとえ自分の国・一〇〇〇年前くらいの出来事であろうと、それを自分の目と耳で体験した者はただの一人として存在するはずがないのだから。外国の・二〇〇〇年も前の人物にたんを発するイベントの起源ともなればなおのこと。

 要するに遺物いぶつだとか書物だとかを紐解ひもとき、がいわゆる〝歴史〟であり――ゆえに義務教育時代から日本史や世界史が苦手だった俺は「じゃあそんな不確かなものを習うより、公民とか情報の授業を受けた方がよっぽど役立つじゃないか」と不貞腐ふてくされるような思いをいだいたものだ。ちなみに一応言っておくが、過去を知ろうとする研究者や歴史家の仕事はとても重要なものだし、それを習うことにもきっと意味はある……俺は苦手だが。


 とまあどうでもいい話が長くなってしまったが、俺が言いたかったことはつまり「よくクリスマスがこの国でこんなに深く根付いたな」ということである。

 クリスマスがもたらす経済効果は毎年数千億から一兆円ほどと言われている。ほとんどの人間がキリスト教徒ではなく、イヴに教会まで礼拝に行くわけでもないこの国においてこれほど経済が――すなわち人が動く日は数えるほどしかないだろう。しかしこれがたとえば卑弥呼降誕祭ヒミコマスとか織田信長降誕祭ノブナガマスとかだったら、きっと同じ結果とはなるまい。だからこそ不思議なのだ。

 起源も歴史も知らず、意味も関係性もない。それでもこの国のほとんどすべての人間が知り、関わる祭り――クリスマス。


「(……ほんと、不思議だよなあ)」


 すっかり感覚を取り戻した中型バイクの上でメットを取り払った俺は、軽く頭を振りながらほう、と白い息を吐き出す。場所はうたたねハイツの駐輪場、時刻は夜九時過ぎ。空を見上げてみると冬のんだ空気のわりにほとんど星は見えず、月も雲の向こう側に隠れてしまっていた。

 大学とはまったく逆方面、少し離れたところにあるスーパーマーケットでアルバイトをしている俺は、クリスマスのせいでこんな時間まで残業させられた――わけではない。いや、たしかに製菓やら飲料やらの売れ行きが良かったため少しだけ残業にはなったのだが、昨日と同じく朝からのシフトだったので夕方六時頃には解放されていた。それなのにどうしてこんな時間にバイクで出掛けていたのかと言えば、シート下に入っているを買いに行っていたからなのだが……。


「(真昼まひるはまだ小椿こつばきさんの家かな……)」


 携帯にメッセージが入っていないことを確認し、俺は隣人の少女のことを思い浮かべる。今日、友人たちとクリスマスパーティーに出掛けている彼女には「連絡くれれば迎えに行くよ」と伝えてあるが、なにも来ていないということはまだうたげが続いているのか、あるいは盛り上がりついでに一泊してくる可能性もあるかもしれない。

 真昼に予定を聞かれた際、「朝は出掛けるかも」と答えた理由の半分はそのためだ。俺も高校の頃、泊まる予定もなかったのに流れで友人の家で寝過ごした経験はあったし、そういうのは後からとてもいい思い出になる。しかしあの気遣い屋の少女の場合、「明日はお兄さんと過ごす約束があるから」なんて理由でその機会を流してしまいかねない。それはあまりにも勿体ないし……なによりお友だち同士のお泊まり会と比較して、俺がそれ以上にあの子を楽しませてやれるような自信などあるはずもなかった。なお残る理由の半分はシート下のだったが、そちらはさいわ杞憂きゆうで済んだ。


 そんなわけで真昼が俺に気兼ねなくクリスマスを楽しめるようにと小さな嘘をついてしまったものの、連絡が来ていないことから察するにやはり相当パーティーが盛り上がっているのだろう。無理もない、あれくらいの年齢トシの女の子からすればクリスマスはそれくらい特別な一日だ。

 とはいえまだ泊まってくると決まったわけではないし、迎えが必要になる可能性もあるので一報来るまで風呂はお預けだな、と考えながら駐輪場を出る。こちらから連絡をしてもいいが、女の子だけで楽しく過ごしているであろうところへ邪魔を入れるのも気が引けた。


「(とりあえずメシ……面倒だしカップ麺でいいか。真昼にバレたらまた怒られそうだけど)」


 怠惰たいだな思考を巡らせる俺が、一つだけやけに明るい蛍光灯の下をくぐって建物の中へ入ろうとした――その時である。


「ん……? って、えっ!?」


 ブロロンッ、という重低音を響かせながらこちらへ向かってくる一台の大型二輪車を視認し、思わず声を上げてしまう俺。なぜならそのバイクは大学の同級生――金髪ピアスヤンキー女こと、千歳千鶴ちとせちづるの愛車と同じモデルだったからだ。

 いや、でも、まさかな、と脳内で間投詞を連発している間に、そのバイクは俺のすぐ目の前に停車する。あれ、よく見たら後ろにもう一人乗ってるような……?


「よいしょ、っと……えへへ、今日は本当にありがとうございました、千鶴さんっ! ……って、ああっ!? お兄さんっ!? ど、どうしてここに!?」

「ま、真昼!?」


「どういう状況!?」と叫びそうになった俺の正面で、唯一金髪の女子大生だけは訳知り顔で無言をつらぬいていた。

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