第二四〇食 クリスマスイヴと男たち③

「まだ準備が残ってる」と言い千鶴ちづるとかいう目付きの悪い女が冬島ふゆしまを連れて中へ戻っていくのを見届けた俺とリョウ、そして旭日あさひの三人はなんとなく微妙な空気のまま店の前で顔を合わせる。別にここに長居する正当な理由があるわけでもないが、「怒られちゃったからもう行くよ」というのはあまりにも情けない。なにより折角こうして旭日と会えたのだから、少しでも彼女と話していたいというのは至極しごく普通の考え……だろう、多分。


「えーっと……旭日は行かなくていいのか? なんか準備中みたいだけど」

「(! り、リョウ、余計なことを……!)」


 話の流れを見れば自然な疑問ではあるが、もし旭日が「あ、そうだね、じゃあ私も仕事に戻るよ」などと言い出してしまったらどうしてくれるのか。数秒後、そんな俺の思念しねんが伝わったわけではあるまいが、リョウが「あっ、しまった!」という顔をしたのは見間違いではなかろう。

 しかし幸いというべきか旭日は手伝いに戻る必要はないようで、準備とやらが終わるまで店前ここで立っているのが役目らしかった。言われてみれば既に机の上には商品が並べられているわけで、それらが持っていかれたりしないように誰かしら置いておく必要があるのだろう。

 ちなみに旭日たちはこの後閉店までの数時間、商店街をく者たちに声を掛けてケーキを売り続けることになるそうだ。今日という日を思えばなかなか売れずに困る、ということはないかもしれないが……それでもなかなか大変ハードなアルバイトのような気がする。というか――


「あ……旭日は、どうしてこんな時期にアルバイトをしているんだ?」

「え?」


 俺がそう問うと、冬島から受け取っていたコートにそでを通した旭日はぱちくりと可愛らしくまばたきをした。


「そ、その、なにか特別な理由でもあったのかと、少し気になってな。あ、いや、冬休みで時間があったということは分かるのだが……」


 日頃から旭日と話す機会がそれほど多いわけではない――断じて、断じて緊張して自分から声を掛けられないとかそういう軟弱なんじゃくな理由からではない、断じて――俺の質問に、彼女は「うーんと……」と迷うような素振りを見せると、やがて薄く頬を染めつつはにかんでみせる。


「ユズルくんたちはもう知ってるかもしれないけど……私、好きな人がいるんだ。お隣のお兄さん――家森夕やもりゆうくん」

「!」


 瞬間、リョウが素早く俺の表情を気遣ったような気がした。しかし俺はそれを横顔に感じながらも、照れ笑いを浮かべている旭日から目を逸らすことが出来ない。

 そして俺の気持ちにまるで気付いていないであろう鈍感な同級生は、俺たち以外のを見ているかのように瞳を細めて続ける。


「でも私、今までお兄さんにちゃんとしたプレゼントを贈ったこがなくて……だからせめて明日クリスマスだけでも、お兄さんが喜んでくれるようなものを贈りたいって思ってるんだ」

「……それだけのために、わざわざアルバイトを……?」

「あ、あはは……うん、やっぱりちょっと変かなあ?」

「……」


 眉尻を下げる旭日に、俺は言葉を返さなかった。いや……、が正しかろう。なぜなら俺の頭の中は、突きつけられた残酷な現実によって真っ白に染められてしまっていたから。

 無論、彼女が例の男に心を奪われていることは体育祭や文化祭の時から知っている。ゆえに今さら、殊更ことさらにショックを受ける必要などない。これまでだって冬島や小椿こつばき赤羽あかばねといった面々に似たような話を聞かされたことはあったのだから。

 しかしやはりというべきか、旭日本人の口から告げられてしまったダメージは大きい。なにせ、こうして向かい合って話をしていると嫌でも伝わってくるのだ。


 旭日は本気で――きっと俺が彼女を想うよりもずっと、ずっと真剣に――あの男のことをいているのだと。


「……そうか」


 かろうじてそれだけ発し、俺は眼鏡のブリッジを右の中指で押し上げる。特に意味もない、単に癖付いてしまっているだけの動作モーションだったが……今ばかりは顔をおおい隠してくれる自分の手のひらが何よりもがたかった。


「……喜んでもらえるといいな、クリスマスプレゼント」

「! えへへ……うん!」


 満面の笑顔を咲かせた旭日に、俺も顔から手をがしてんでみせる。この笑顔を向けられる相手が自分ではないことが悔しいのと同時に、俺ではこんな笑顔を咲かせることは出来なかっただろうと思えて――それもまた悔しい。そういえば、初めてあの男と話す旭日の姿を目にした時にも似たような感情をいだいただろうか。


「それじゃあ、俺たちはもう行く。……帰るぞ、リョウ」

「えっ……い、いいのかよ?」


 きびすを返した俺に、リョウが慌てたように追従ついじゅうしてくる。そして背中に聞こえてくる旭日の「二人とも、またねー!」という声に手を振り返した彼は、しばらく無言で商店街を進んでから言った。


「……『俺以上に彼女を幸せに出来る男はいない』、じゃなかったのかよ?」

「フン……」


 その皮肉じみた物言いに鼻を鳴らす俺。だが不思議と悪い気分ではなかった。少なくとも、核戦争の勃発ぼっぱつを願っていたつい先刻までよりは。


「別にあの男のことを認めたわけじゃない。ただ俺は、俺のために旭日の笑顔をらすつもりはないというだけのことだ」

「面倒くせえ奴だな、お前……あーあ、クリスマスに旭日を誘う最後のチャンスだったのに格好つけちまって」

「うるさい、放っておけ」

「よっしゃ、じゃあユズルの失恋記念になんか食いに行くか!」

「人の失恋を記念するな!? 第一、俺はまだ失恋したと決まったわけではない!」

「あー、そっか。たしかに旭日が家森ヤモリさんにフラれる可能性だってあるもんな」

「なんだと!? もしそんなことになったらあの男、絶対許さんぞ! いったい旭日のなにが不満だと言うのだッ!?」

「ほんと面倒くせえ奴だな、お前!」


 悲しみに暮れる暇もないまま、男二人で冬の街を騒がしく歩く。

 やはり俺のクリスマスは、寂しいものにはならなかったようだ。

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