第二〇二食 家森夕と二人乗り①

「そういえば俺、今日ちょっと実家に帰るよ」

「――」


 ぽとり、と朝食のミートボールが真昼まひるはしからこぼれ落ちた。重力に従って落下したそれは少女のスカートでバウンドし、布地をあんでべっちょりと汚す。


「ぎゃーーーっ!? お、お気に入りのスカートなのに!?」

「おいおい、なにしてんだ……待ってな、布巾ふきん取ってくるから」

「す、すみません……――じゃなくてっ!?」


 台所の方へ濡れ布巾を取りに向かう俺の背後から、真昼が机を叩いて立ち上がる音が聞こえた。続いて「ぎゃーーーっ!? ひ、被害が広がりましたっ!?」という間の抜けた声。……おそらくは立ち上がった拍子、スカートに乗ったままだったミートボールが転がり落ちたのだろう。なにをやってるんだ、この子は。


「ほら、これで拭きな。あ、床に落ちたミートボールは食べちゃ駄目だぞ、ばっちいから」

「あうう……す、すみません……」


 食べるのが大好きな少女は食べ物を粗末にしてしまったことがショックだったのか、それとも単に迷惑をかけたと思っているのか――おそらくはその両方だろう。今後こそ落ち込んだ様子で、自らのスカートをごしごしとぬぐった。上から拭いただけではおそらくシミが残るだろうが、この後すぐに洗濯すれば問題あるまい。


「そ、それでお兄さん、さっきの話って本当なんですか……?」

「ん? ああ、実家に帰るって話か?」


 スカートのすそから覗く細っこい足から意識をそむけていると、真昼がなにやら深刻そうにたずねてきた。


「うん、本当だよ。つっても今日一日だけだし、夜には普通に戻ってくるけどな」

「あ、そ、そうなんですね。よかった……てっきりお兄さんが一人暮らしをやめちゃうのかと思っちゃいました」

「いやそんなわけないだろ」


 大学二回生の秋というタイミングで一人暮らしをやめてどうしろと。毎朝実家から往復四時間もかけて通学するとか嫌すぎる。


「でも、急にどうしたんですか?」

「ああ、実は昨日の夜、親父おやじから連絡があってさ。『前から実家うちで使ってた中型バイク、要るなら持っていけ』って」

「! そ、それ、前にお話ししてた、二人で乗れるバイクですか!?」

「そうそう。夏に帰省した時、ちょうど親父がそろそろ買い替えるって話をしててさ。そんで最近ようやく納車のうしゃが終わったっていうから、古い方を歌種町こっちに持ってこようかなって。今乗ってる原付はもうボロボロだしな」


 寒い冬の日に信号待ちをしているとすぐにエンストを引き起こす愛車を思い浮かべる。高校の頃から乗っていた中古車オンボロで、もちろんその分愛着もあるのだが……しかし公道で乗り回す以上は寿命も見極めねばなるまい。それに大学生の足としては、原付は少々不自由が多すぎる。


「じゃあじゃあっ、私お兄さんのバイクの後ろに乗ってみたいですっ!」

「ああ、そんな話してたっけな」


 テーブルから身を乗り出して瞳を輝かせる少女に、俺は「落ち着け」と言いながら薄く笑う。


「実はこの前、亜紀あきちゃんに見せてもらった恋愛ドラマの中でそういうシーンが出てきたんですよ! 潮風しおかぜに吹かれながら、海沿いの道を二人乗りで走るんです!」

「(古っ)」


 たしかに〝バイクの二人乗り〟と聞いて真っ先に浮かぶイメージの一つではあるかもしれないが……それにしても古すぎないか。女子高生ならもっとこう……夜のネオン街を疾走したりするのに憧れていそうなものだが。それとも、これこそ男がいだいている勝手なイメージなのだろうか。


「……でも、二人乗りはすぐには出来ないかな」

「えっ? どうしてですか?」

「しばらく慣らして勘を取り戻さないとっていうのもあるけど、予備のヘルメットとかプロテクターがないんだよ」


 これはなにも二人乗りに限らず、自転車や原付を含め、二輪車に乗る以上は当然のことである。いや、当然と言いつつ、俺は普段からそんな仰々ぎょうぎょうしいものはけていないのだが……しかし転倒事故による怪我けがを防ぎたければ、最低限頭部とひじひざ、可能なら胴や首用の保護具プロテクターを着けた方がいいに決まっている。真昼のように、二輪車免許を持っていない子を乗せるなら尚更だ。


「そっかー……やっぱり二人乗りって危ないんですね」

「変な運転とか乗り方をしない限りは問題ないんだけどな。事故の可能性があるって話なら、そりゃ車でも飛行機でも同じことだし」


 ただし身一つで乗る分、事故を起こした際に身体へのダメージが深刻になるのはやはり二輪車なのだろう。もっとも、そうならないための技術を身に付けるのが運転免許教習の意義なのだが。


「でもでもっ、もしお兄さんと二人でバイクに乗れるなら、ちょっと遠いお店にも二人でお買い物に行けますねっ! お買い物じゃなくても、一緒にお出かけだって出来ちゃいますし!」

「! ……そうだな。それじゃあ一応、実家に真昼が使えそうなヘルメットとかがないか、探してこようか」

「はいっ! よろしくお願いしますっ!」

「おう」


 無邪気に破顔する真昼に釣られ、俺もまた笑みを浮かべる。

 この子を後ろに乗せるなら今以上に安全運転を身に付けないとなあ、と考えつつ、俺たちは朝食を再開するのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る