第二〇〇食 家森夕と家森真昼
――――
――
『ふん、ふん、ふふーん……』
その女は慣れた手付きでトントントン、とまな板の上の包丁を動かしていた。
冷蔵庫で寝かせておいた成型済みのハンバーグを蒸し焼きにしている間に
『これでよし、と』
今晩のメインディッシュをダイニングまで運び、汁物とサラダ、副菜の
学生時代から作り続けた数々のレシピは女の細腕と記憶にしっかりと根付いており、そこにはもはや、レシピ本や料理サイトに頼る少女の
『さてと、お夕飯は出来たけど……』
呟き、女がエプロンのポケットに入っている携帯電話に手を伸ばそうとしたその時、玄関の方からガチャリ、と鍵を回した音が聞こえてきた。瞬間、女は表情をぱっと輝かせると、前掛けの
『ただいまー』
『おかえりなさいっ!』
『うおっ!? っと……』
ビシッとしたスーツ姿でビジネスバッグを
『おかえりなさい、アナタ。ご飯にする? お風呂にする? それとも――』
『じゃあ
『あっ!? もー、まだ続きがあるのにー……食いしんぼうさんなんだから』
『はいはい。でもこれだけ
『ふふっ、そうかも。私もお腹ぺこぺこだし、早くご飯にしよっか!』
お決まりの文句を
『はあ……今日も疲れた』
『お疲れさま。やっぱり公務員って大変なんだね』
『まあな。楽だなんだって言われるけど、仕事なんて全部似たようなもんだろ』
受け取ったジャケットをハンガーに掛けて軽く
『……ん? どうかしたか?』
『えっ!? う、ううん、なんでもないよ!』
赤くなった顔を逸らすことで
『で、でも、忙しくても毎日帰る前にちゃんと連絡してくれるの、すっごく嬉しいよ』
『ん? そんなの別に普通だろ? メッセージ送るだけだし』
『そのお陰で、時間ぴったりにお夕飯の準備出来るんだもん。やっぱり、せっかくなら出来立てのご飯食べてもらいたいからね』
『はは、そんな気遣わなくてもいいのに。……だけど、ありがとな』
『えへへ……うんっ!』
満面の笑みを返し、着替え終わった男と二人で小さなテーブルを囲む。来客があったら困る程度には小さいその食卓は、しかし女たっての希望で購入したものだ。昔、まだ青年とお隣さん同士でしかなかった時代に囲んだローテーブルも、ちょうどこれくらいの大きさだったから。
『『いただきます』』
女が茶碗に
そして二人で
『ん、相変わらず美味いなあ。もう料理の腕じゃとっくに抜かれたな、俺』
『あはは、いつの話してるの? あなたが大学の卒業論文書いたり、就職してお料理する時間なくなってからも、私はずーっと続けてきたんだからね? 今じゃお料理もお洗濯もお掃除も、全部私の方が上手に出来るもん』
『あの
『わ、懐かしい! 最初はずっと「おにいさん」って呼んでたよね』
『今思い返してみるとすごい違和感だな。あれはあれで好きだったけどさ』
『ふふ、じゃあまた呼んであげようか? お・に・い・さ・んっ!』
『やめろよ、なんか恥ずかしいわ』
『えへへ、私も恥ずかしいかも』
昔の話に花を咲かせつつ、あっという間に夕食を食べ終える二人。
『――
『わっ? ど、どうしたの、
食器を片付け終えてエプロンを外そうとした女は、後ろから回された男の両腕にぎゅっと抱き締められた。戸惑いの声を上げながらも心臓が高鳴るのを感じていると、男は彼女の首根にそっと頬を寄せてくる。
『……ふふ、今日は食いしんぼうさんだけじゃなくて、甘えんぼうさんなのかな?』
女がどうにか平静を
『――好きだよ、真昼』
『ゆ……夕、くん――』
どこか色気のある男の声。
互いを
――
――――
「……」
――ようとしたところで、少女はすっかり見慣れた天井を呆然と見上げていた。窓の外からはチュンチュンとありがちな小鳥たちの
「……」
むくりと
「……ふっ」
少女が、どこか
……もし、彼女の友人であるゆるふわ系少女や眼鏡少女たちがこの場に居合わせていたら、きっとこう言っていただろう。人の気も知らずにケラケラ笑いながら、あるいは下品に手を叩きながら。
――「夢オチ
「うああああああああああッッッ!? な、なんでっ!? どうしてっ!? よ、よりによってあんないいところで終わっちゃうなんて……ッ! だってせめてあと一〇秒、ううん、五秒あれば……っ!? ひ、ひどいよ、こんなのってないよっ、うわああああああああああんっっっ!?」
『どど、どうした真昼!? な、なにかあったのか!?』
少女の絶叫に、隣室から青年の驚いたような声が響く。
今日も、うたたねハイツの朝は平和であった。
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