第一九七食 家森夕と自炊少女(?)③


「お兄さんお兄さん、これとかどうですか!? すっごく可愛いです!」

「そ、そう……だな?」


 グワッ、と間抜まぬけに口を開いたアヒル――どちらかと言えば不細工ぶさいく寄り――が描かれたお茶碗を前に、俺は「どこが?」と言いたいのをこらえて曖昧あいまいに笑う。すると俺の心中を察したのか、真昼まひるは「な、なんでそんな微妙な反応なんですか!? こんなに可愛いのに!」と唇をとがらせ、食器を商品棚に戻した。相変わらず、この子は変なところで独特の感性を発揮してくるなあ……。


 日が落ちて外も暗くなった頃、俺と真昼は近所のホームセンターまで足を運んでいた。あの後、相変わらず汚い真昼の部屋で電子レンジや炊飯器などの設置・送られてきた調理器具類の整頓せいとんまでは終えたのだが、ガスコンロ用のゴム管やクッキングペーパーのような消耗品、そして食器類は入っていなかったため、こうして急遽きゅうきょ買いに来たというわけだ。

 ちなみに真昼の部屋にあった食器ははしとスプーン・フォーク類、あとは耐熱性のマグカップくらい。それ以外はコンビニ弁当の付属品とおぼしき割り箸やプラスチックスプーン、紙皿といった使い捨ての品々がほとんどである。一応、俺の部屋にも彼女が持ち込んだものがいくつかあるが、それをまえたとしてもあまりにも少なかった。


「……よし、まあこんなもんだろ」


 色々と詰め込んだ買い物カゴを見下ろして頷く。


「これくらいあれば、俺の部屋で作った料理くらいなら十分作れるよ」

「え? でもまだちょっと少なくないですか? お兄さんの部屋にはもっとたくさんありますよね?」

「ん? そりゃ、うちには二人分あるからなあ」


 といっても我が家にある食器たちのうち、半分以上は真昼が来てから新しく購入したものだ。嫌々自炊をしていた当時の俺の部屋には最低限度のものしかなかったし、逆に積極的に料理をするようになって以降は着実ちゃくじつに料理関連の物量が増してきている。


「わ、私の部屋にも、二人分あった方がいいんじゃないですか?」

「え? なんでだ?」

「だ、だって、お兄さんが私の部屋でご飯を食べることだってあると思いますし……」

「いや、それはないだろ」

「即答!?」


 ガーン、という擬音がどこかから聞こえそうな表情で声を上げる真昼。しかしそんな顔をされても、俺がわざわざ彼女の部屋に上がり込んで食事をする必要があるとは思えない。それをするなら、今まで通り俺の部屋で料理をすればいいだけだ。


「……そういえば、真昼はこれからどうするんだ?」

「ど、どうする、とは……?」


 ふらつきながら「お兄さんは相変わらず難攻不落なんこうふらくです……」などと呟いていた少女が首をかしげる。


「その……自分の部屋で料理出来るようになったら――もう俺の部屋には来ないのかな、と思ってさ」

「!」


 若干詰まりながらそうたずねた俺に、真昼はぱちくりとまん丸な瞳をしばたたかせた。そしてその直後、輝くような笑顔でこちらにギュンッ、と身を乗り出してくる。


「も、もしかして寂しいですか、お兄さんっ!? も、もし私が一人で料理をするようになっちゃったら、寂しいですかっ!?」

「!? い、いやそんなつもりじゃなくてだな……!?」


 どこかのアホ女子大生や腹黒女子高生にも通ずる色をたたえたにやけづらで問い詰めてくる少女に、俺は条件反射的に否定しようとした……が。


「……でも、そうだな……真昼と料理するのは俺も楽しいし……さ、寂しいと言えば、寂しいかもしれない……」


 なんとなく、今日買ったばかりの料理本のことを思い出しながら正直に答える俺。すると真昼の口から「おお……!」という謎の感嘆詞が漏れた。


「お、お兄さんが――デレました……!」

「で、デレたってなんだよ!?」

「だって絶対『いや? 別に寂しくはないけど』みたいなこと言われると思ったのに! まさか〝つんでれ〟のお兄さんがこんな素直にデレるなんて!?」

「誰がツンデレだ、俺はどこぞの金髪ヤンキーかッ!」


 そんな安いキャラ付けをした覚えはない以前に、俺は真昼に対してない態度を取ったことなど一度もないつもりなのだが。しかし、おそらく〝ツンデレ〟の定義いみを理解せぬまま適当に使ったであろう女子高生は、喜色満面にあふれた桃色の頬を両手で押さえつつ、キラキラした瞳で俺を見てくる。


「こ、これが雪穂ゆきほちゃんが『古き良き日本文化』と言っていた〝つんでれ〟……! 今ようやく、私にもその良さが理解できたような気がしますっ!」

「一応言っとくけど、君は確実に〝ツンデレ〟を誤解してるからな」

「ハッ!? も、もしや私も〝つんでれ〟を習得マスターすれば、お兄さんに好きになってもらえるのでは……!? お兄さん、私に〝つんでれ〟の極意ごくいを教えてくださいっ!」

「人をツンデレマスターみたいに言うな。どうしても聞きたいなら千歳ちとせにでも聞いてこい」

「分かりましたっ!」


 俺が面倒ごとを手頃てごろな金髪ヤンキーに押し付けると、真昼がビシッ、とその場で敬礼の姿勢をとる。……彼女の魅力はこの素直すぎるほどの素直さなのに、とは言わないでおこう。


「あ、でも心配しなくていいですよ、お兄さん」

「ん?」


 ころりと語調を変えた真昼に、俺は疑問符を反した。「心配もなにも、最初から君がツンデレ属性を手に入れられるだなんて思っていないけど……」と言いかけたが、どうやらそちらの話ではないらしく。


「私、これからもお兄さんと一緒にご飯を食べたいですから!」

「!」

「だから、自分のお部屋で料理が出来るようになってもそれは変わりません! ……あ、も、もちろんお兄さんが良ければ、にはなっちゃうんですけど……」

「……そっか」


 最後に急に遠慮っぽいことを言う少女がなんだかおかしくて、俺はふっと微笑んでしまった。……やっぱり、この子は今のままが一番なのだろうな。


「……でも真昼、わざわざこれだけ買いに来たってことは、自分の部屋で料理するつもりはあるんだろ?」

「はい、それはもちろん! せっかくお母さんたちが用意してくれたんですし……それに、お兄さんがいるお部屋では出来ませんし」

「? 練習……って?」

「ふぇっ!? いい、いえ、なんでもないですよっ!? 別になにもたくらんでなんていませんしっ!?」

あやしすぎるわ」


 わたわたと手を振り回す嘘が下手くそな女子高生に半眼を向ける俺。彼女はそんな俺から目を逸らし、ピューピューと吹けもしない口笛を吹いている。

 期せずして真昼が自炊デビューを果たすこととなったこの日、俺はただただ漠然ばくぜんとした不安を抱えるばかりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る