第一九〇食 旭日真昼と〝彼〟の話①


 真昼まひるは秋の空気が好きだ。暑すぎず、寒すぎないという気候的な意味もあるが、この季節独特の穏やかで落ち着いた空気が大好きだった。

 普段よく耳にする〝◯◯の秋〟――〝食欲の秋〟や〝読書の秋〟などの言葉も、秋が他の季節と比較して過ごしやすい季節だから、というのが始まりらしいぞ、と隣人の青年が言っていたことを思い出す。他にも〝天高く馬ゆる秋〟という有名な詩句しくがある通り、昔の人たちも秋は素晴らしいものだと考えていたのかもしれない。

 初夏しょかにはあんなに青々しかった銀杏いちょうの葉が黄色一色に染まり、うち一枚がひらひらと目の前を落葉らくようしていく様を眺めながら歩いていた真昼がそんなことを考えていると、不意に隣から「うむむー……」という不満げなうなり声が聞こえてきた。苦笑しながら顔を向けると、そこでは別のがいつもの掴み所のない笑みを消し、代わりにしっかり手入れされている形の良い唇をむっつりととがらせている。


亜紀あきちゃん、まだご機嫌斜めなんだ?」

「そりゃそうでしょー……ライブ楽しみにしてたのに、まさか二曲だけ歌ってハイおしまい、なんてさー」

「し、しょうがないよ。あくまで大学祭のゲストなんだし……それにほら、今日のメインはどちらかと言えばお笑い芸人さんだったみたいだし」

「分かってるけどー……でも納得いかなーいっ!」


 珍しく子どもっぽい癇癪かんしゃくを起こすゆるふわ系の友人に、真昼は「あ、あはは……」と曖昧あいまいに笑うしかなかった。亜紀はお気に入りの――最近になってようやく売り出され始めたばかりの――アーティストの生演奏ライブだけを目当てに大学祭まで足を運んだというのに、彼らがほんの三〇分足らずで退場してしまったことに対してご立腹ごりっぷくなのである。

 ちなみに大学祭は三日間にかけて行われているが、土・日曜日に加えて月曜日の今日が創立記念日となっているため、真昼たち高等部生でも全日程に参加することが可能だ。といっても真昼は初日に青年とあちこち回って堪能たんのうしたし、亜紀も大学祭自体にはそこまで興味がないようなので、お目当てのライブが終わり次第さっさと出てきてしまった。


「……ごめんねー、まひるん。せっかくのお休みに来てもらったのに、こんなあっさり終わっちゃってさー」

「ううん、元々予定があったわけでもないから気にしないで。それに私もすっごく楽しかったよ!」

「うわーん、まひるんってばちょーいい子ー! やっぱひよりんとか雪穂ゆきほとは違うねー!」

「そ、それ、ひよりちゃんたちの前では言わない方がいいかも……」


 感情のない瞳で竹刀しないをヒュンッ……と振るう親友ひよりの姿を想起してしまい、真昼は冷や汗を浮かべる。もっとも、亜紀は日頃からしょうもないことでひよりや雪穂を怒らせてははたかれているので、今更と言われればそれまでなのだが。

 先日も「の雪穂ですら恋人作ってる時代なのにー、ひよりんは相変わらずこれっぽっちも色気いろけないよねー」と発言して両者を敵に回し、前後両方からラリアットを食らっていた彼女のことを心配する真昼。しかし当の本人はお構い無しとばかりに、「それはそうとさー」といつもと変わらぬ間延まのびした声で話題を変えてくる。


「まひるんは、あれからおにーさんとどこまでいったのー?」

「ぶふぅっ!?」


 前触れもなく爆弾を放り込んできたゆるふわ少女に、真昼は動揺のあまり吹き出してしまった。もし飲み物を口に含んでいたら、前方に勢いよく噴射しているところである。


一昨日おとといはおにーさんと大学祭行ったんでしょー? ガンガンめたんでしょー? そのあとどうなったのー? いい雰囲気になったー? 家で二人っきりになってドキドキしたー? 押し倒されたー? ちゅーとかしたー?」

「すすすするわけないでしょっ!? わ、私とお兄さんをなんだと思ってるの!?」

「あはは、だよね。まひるにそんな急展開とかまったく期待してないよ、私も」

「急にドライになるのやめてっ!」

「でもさー、なにかしら変化くらいはあったんじゃないのー? それとも、ホントのホントになんにもなかったのー? やっぱりヘタレまひるんのままだったのー?」

「うっ……」


 知らぬに〝ヘタレまひるん〟という屈辱的なあだ名を与えられていることにショックを受けつつ、少女は頭の中で例の青年のことを考えてみる。たしかに以前よりも真昼じぶんのことを意識してくれているような気がしなくもないが……かといって〝変化〟と呼べるほどのものかと言われると微妙だ。


「(あ、でも風邪引いた時は手を握っても平然としてたお兄さんが、こないだはほんのちょっとだけ照れてたかも……)」


 実際は風邪の時にも青年は相当動揺させられていたのだが、自身が鈍感ではないと信じてやまない少女はその事実に気付いていなかった。手のひらをにぎにぎと動かしながら温かい青年の手のひらを思い出していると、自然と幸せな感情があふれてくる。


「え、えへへへへ……」

「怖っ。ど、どしたのまひるん、急にニタニタ笑い出したりしてー……」

「ハッ。ご、ごめん、亜紀ちゃん」


 少し気持ち悪い笑い方になってしまったせいか半身はんみを引く亜紀に、真昼は慌てて「こほんっ」と取りつくろってみる。しかしゆるふわ系少女はわずかに瞳をほそめてから、ぼそりと呟くように言った。


「――まひるんって、ちょっと雪穂に似てるとこあるよねー……」

「そ、それどういう意味かなっ!?」


 恋人のイケメン女子大生のこととなると暴走しがちな眼鏡少女につうずるところがあると言われても、まるでめられている気がしない真昼だった。

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