第一七〇食 青葉蒼生と年下の恋人④

「や……」


 数秒、硬直させられていた蒼生あおいが、やがてゆっくりと口を開いた。


「やっぱり……それは駄目だよ、雪穂ゆきほちゃん」


 自分でも、情けない声を出しているという自覚があった。年下の少女の、今度こそ掛け値のない真剣な告白に対する返事としては〇点だっただろう。


「どうしてダメなんですか?」

「ど、どうしてって……」


 平然とたずねてくる少女に、蒼生はぐっと喉を詰まらせる。しかし、もしここで引き下がったら押し切られてしまうという圧を感じ、覚悟を決めてその理由を告げた。


「わ、私たちは女の子同士なんだし――」

「さっきも言いましたよね? 私はあなたが男の子じゃなくたっていいです。私が好きになったのは男の子でも女の子でもなく、蒼生さんなんですから」

「だ、だけどほら、雪穂ちゃんって誰かと付き合ったことないんだよね? そ、そういう大事な経験は、やっぱり本当に好きになった人のために――」

「だから、私は蒼生さんのことが本当に好きなんですって」

「い、いやでも、雪穂ちゃんのその気持ちは私がゆがめたのが原因なわけで……」

「そう思ってるなら、どちらかといえば蒼生さんは私を惚れさせた責任をとるべきなんじゃないですか?」

「うっ!? そ、それを言われると……」

「というか、そもそも私が蒼生さんのことを好きになった一番の理由って蒼生さんが優しいからですし――あっ、もちろん顔も大好きですけどね?」

「(ヤバい、普通に論破されそう!?)」


 こちらの手札を一撃でノックアウトさせてくる雪穂に、蒼生は心の中で強烈な危機感を覚えていた。本当に、このまま横綱相撲のごとく押し切られんばかりの勢いである。

 それに、いくら蒼生でもこんなにハッキリと「好き」を連呼されるのは気恥ずかしいものがあった。日頃から講義のノートを借りるたびに「やーん、ゆーくん大好き~っ!」と心にもないことを言っては真顔で「キモい」と返されている彼女だったが……「好き」という言葉は、本気で言われるとここまで心に響くものなのか。


 夕と、そして真昼まひるの母親に話して聞かせた〝青葉あおば蒼生が冬島ふゆしま雪穂と付き合えない理由〟という手札はすべて使い切ってしまった。しかし、それでも雪穂は引き下がってはくれない。


「――蒼生さんは、私のことを好きじゃありませんよね?」


 唐突にそう言われ、蒼生は「えっ……」と返す言葉を失う。

 無論、ここでいう「好き」は人間的な好みという意味ではなく、異性として――より正確にはという意味だろう。そして――少女のその認識は正しい。

 蒼生から見た雪穂は〝蒼生じぶんのことを好いてくれている年下の可愛い女の子〟だ。同性であるということも含めて、恋愛対象として見られるような相手ではなかった。

 言い換えれば、蒼生が雪穂と付き合えない理由として最も大きいものはこれだということになるのかもしれない。


「でも――私は、それでもいいです」

「!」


 少女の言葉に驚き、目を見張る。


「私はもう蒼生さんを諦めることなんて出来ないし……諦めたくありません。どうしても付き合ってもらえないんならそれでもいい。でも私は、たとえフラれちゃったとしてもあなたのことが好きです」

「雪穂ちゃん……」

「こんなに誰かのことを好きになったの、初めてなんです。だからたとえどんな手段を使ってでも、は諦めない。そのためなら蒼生さんの誠意も罪悪感も、げ足だって利用してみせますから」

「……」


 雪穂の目は本気だった。蒼生はそんな彼女の瞳に怖いものを覚え、そして笑う。

 本当に怖い――恐ろしい女の子に、好かれてしまったものだと。


「――と、とは言ってもですね」


 黙り込んでしまった蒼生を見て、どこか慌てた様子の雪穂は弁明の言葉と共にその薄い胸の前でパタパタと両手を振り回す。


「別に蒼生さんを困らせるつもりはないっていうか、迷惑をかけたいわけじゃないっていうか……! さっきも言いましたけど、蒼生さんにその気がないのに付き合えたとしても意味ないですし……!」


 蒼生の無言を本当に、本気で迷惑がっているものとして捉えたのだろうか、少女の表情には明確な焦りが浮かんでいるように見えた。「どんな手段を使ってでも」なんて言っていたのになあ、と、蒼生は背伸びをしている子どもを見ているかのような気分でそっと微笑む。


「……分かったよ、雪穂ちゃん」

「!」


 眉をハの字にした蒼生は、パッと顔を上げた少女に向けて言う。


「キミが一時の気の迷いでもなく、本気で私のことを好きだと言ってくれるなら……私にその気持ちを否定する権利はないよね」

「あ、蒼生さん……!」


 表情を輝かせた雪穂に、蒼生は少しだけ意地悪な笑みで「それに」と付け加える。


「雪穂ちゃんも言ってた通り、私はキミの気持ちを歪めちゃったわけだし……その責任はとらないとね?」

「えっ……あ、あの蒼生さん? たしかに『罪悪感も利用する』とは言いましたけど、それだけで告白を受け入れられるっていうのもそれはそれでフクザツといいますか……」


 バツの悪そうな顔に冷や汗を浮かべる眼鏡少女に蒼生は「冗談冗談」と言い、今度は含みのない笑顔を見せた。


「……だけど、雪穂ちゃんは本当にそれでいいのかい? 私はキミに嘘をついて、今日までずっと騙していたんだよ? それにキミはいいと言ったけれど……女の子同士の交際っていうのは、私たちが考えている以上に大変なことかもしれない」


 しつこいようだが、大切な確認である。前者はまだ雪穂自身の気持ちの問題だとしても、後者に関しては本当に付き合ってみなければ分からないことだらけだろう。男と女のカップルを〝普通〟とするなら、男同士や女同士のカップルは多少なりともいばらの道をくことになるはずだ。

 今なら、まだ間に合う。ここで雪穂が「やっぱりやめておきます」と言っていたら、当然蒼生はそれを受け入れていただろう。しかし、雪穂はすぐに「大丈夫です」と返答した。


「それがどんなに大変なことだったとしても……す、好きな人の隣にいられるなら、私はそれだけで嬉しいです」

「そ……そっか」


 急に照れたようにもじもじと俯いた雪穂に、蒼生の方までなんだか恥ずかしい気持ちになってしまう。

 ハッキリ言って、蒼生が雪穂との交際を受け入れる気になった理由の九割五分は贖罪しょくざいのためである。雪穂を恋愛対象として見たことがないことは事実だし、そんな気持ちで付き合うなんて失礼極まりない話だろう。夕や千鶴ちづるからなにを言われるか分かったものではない……特に千鶴からは。


「(だけど……気を抜いていたら、いつか私も本気にさせられちゃうのかもしれないな)」


 そんなことを考えて、目の前で頬を桜色に染めている雪穂のことを見やる。この少女が今日から自分の年下の恋人になるのかと考えると――蒼生は先ほどまでとはまた別種の罪悪感を抱かずにはいられなかった。

 脳裏によぎった、とある女子高生との関係性に悩む彼のせいだろうか。

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